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ステータスALL Sの受験生が170キロで高校野球を終わらせた件  作者: 白峰レイ
第2章 大学編

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第10話「近づく理由」

その日の練習は、早めに切り上げになった。


前日の試合で球数を使った投手陣は、軽めの調整だけ。

グラウンドには、どこか中途半端な空気が残っていた。


伊藤は、ベンチで片付けをしながら何度も視線を走らせる。


夏目くんは、ブルペンにも入らず、

外野の端でストレッチをしている。


誰とも話さない。

誰にも話しかけられない。


昨日、六点取られて負けたのに、

その顔には、何も残っていなかった。


悔しさも、怒りも、

引きずるような感情すらない。


それが正しいのかどうか、

伊藤にはもう分からなかった。


(……このままじゃ)


気づけば、伊藤は歩き出していた。


「夏目くん」


声をかけると、夏目はゆっくり振り返る。


「どうした」


いつも通りの声。

いつも通りの表情。


「今日、これで終わりだから……」


一瞬、言葉を探してから続ける。


「よかったら、少し話さない?」


夏目は、断らなかった。


二人で歩くのは、久しぶりだった。

グラウンドの外、学内の通路。


部活終わりの学生たちが、

楽しそうに騒ぎながらすれ違っていく。


その中を、二人は黙って歩いた。


「……昨日の試合」


伊藤が先に口を開く。


「何か、思うことある?」


夏目は、少し考える素振りを見せてから答えた。


「特にない」


嘘ではない。

それが、伊藤には分かってしまう。


「負けたのに?」


「負ける時もある」


淡々とした返答。


「リリーフが打たれたのも、

 想定の範囲だ」


その言い方が、胸に刺さる。


「……悔しくない?」


伊藤は、思わず聞いていた。


夏目は立ち止まる。


「悔しい、って感情は」


少しだけ、間を置いて。


「勝ちたいと思ってる時に出るもんだろ」


伊藤は、言葉を失った。


「今は……」


夏目は空を見上げる。


「投げるのが仕事だからな」


その言葉は、

昨日のベンチやスカウトの声と、

どこか同じ響きを持っていた。


(……それを、本人が言うんだ)


伊藤は、拳を強く握る。


「夏目くん」


声が、少しだけ低くなる。


「前に、楽しかったから続けてるって言ってたよね?」


夏目は、すぐに答えなかった。


沈黙が落ちる。


「楽しいかどうかは、

 あんまり関係ない」


ようやく出た答えは、

まるで答えになっていなかった。


伊藤は、一歩だけ距離を詰める。


「高校の時は、違った」


断言する。


「勝つことより、

 投げることそのものが前にあった」


夏目は、何も言わない。


否定もしない。


それが、答えだった。


「今の夏目くんは」


伊藤は、言葉を選びながら続ける。


「何のために投げてるのか、

 自分でも分からなくなってる」


一瞬、夏目の視線が揺れた。


ほんの一瞬だけ。


伊藤は、それを見逃さなかった。


「……ごめん」


すぐに、言い添える。


「責めたいわけじゃない」


夏目は、小さく首を振る。


「いい」


そして、ぽつりと。


「……その通りだと思う」


その言葉に、伊藤の胸が詰まる。


「私ね」


少しだけ、声を柔らかくする。


「マネージャーになったの、

 正解かどうか、まだ分からない」


正直な言葉だった。


「でも」


はっきりと言う。


「夏目くんが、

 このまま“何も感じなくなる”のは嫌」


夏目は、伊藤を見る。


「……それは」


「私の都合」


即答だった。


「でも、それでいい」


しばらく、沈黙。


風が吹き、

グラウンドのネットがわずかに揺れる。


「伊藤」


珍しく、夏目が名前を呼んだ。


「俺は、多分……」


言いかけて、止まる。


「いや、いい」


そう言って、歩き出す。


伊藤は、追いかけなかった。


でも。


(……今の)


確かに、

“止まりかけた言葉”があった。


それだけで、十分だった。


距離は、まだある。

踏み込めない場所も、山ほどある。


それでも。


伊藤は、はっきりと思った。


見ているだけの位置には、

もう戻らない。


そう決めた自分の足取りは、

さっきより、ほんの少しだけ軽かった。

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