第64話「終わった場所で」
決勝が終わって数時間。
甲子園の外周は、試合があった日の独特の静けさに包まれていた。
昼間あれほど鳴り響いていた歓声も、今は壁の向こうに沈んでいる。
外壁の前で、夏目は立ち止まった。
中のグラウンドは見えない。
けれど、ついさっきまでそこで投げていた。
汗も、土の匂いも、歓声も――全部、胸の奥にまだ残っている。
(……ここで終わったんだよな)
夏目は壁に手を置いた。
冷たい感触が返ってくる。
そこへ、足音。
伊藤がゆっくり隣に来た。
決勝の後だからか、目元が少し赤い。
「……来ると思ってた。夏目くん、ここ好きだもんね」
「別に好きではない」
「嘘。ずっとここ通ってたの見てたわよ」
夏目は答えない。
代わりに、壁を見つめたまま小さく言った。
「……終わったんだよな」
伊藤は夏目の横顔を見た。
この怪物が、今だけはどこか“普通の高校生”に見える。
「終わったわ。でも、全部できたじゃない」
「全部……か」
「うん。全部」
夏目が息を吐く。
その瞬間――背後から、叫び声。
「おーーーい!!青春してんじゃねえ!!!」
振り返ると、中村が猛ダッシュで走ってきた。
決勝の疲労はどこへいったのか。
伊藤が呆れた声を出す。
「何でそんな元気なの……」
「キャプテンだからだよ!!おい夏目!!
ここで黄昏れるとか似合わねぇぞ!!!」
夏目は少しだけ眉をひそめる。
「別に黄昏れてない」
「黄昏れてんだよ!!黙って外壁触ってるやつ初めて見たぞ!!」
中村は勢いよく夏目の肩を叩いた。
夏目の身体はびくともしない。
「でもさ……いい試合だったろ?」
夏目は少しだけ考え、それから言った。
「……まだ投げられた」
「だろ!?だから終わりじゃねぇんだよ!」
伊藤は二人を見ながら、ふっと笑う。
こういう感じが、ずっと好きだった。
「夏目くん」
「ん?」
「終わりたくないって思ったんでしょ」
夏目は黙った。
否定しなかった。
中村はニカッと笑う。
「じゃあ続けろよ!野球!大学でもどこでも!
お前ならいくらでもできる!!
俺たちは今日で終わりだけど……それで十分だろ?」
夏目は壁から手を離し、仲間の方へ向き直る。
その表情は、決勝よりずっと強かった。
「……ああ。続ける」
伊藤の目が潤む。
中村は満足そうに大きく頷いた。
「よっしゃ!飯行くぞ!!
優勝した夜に壁触って終わりは寂しすぎんだよ!!」
伊藤は吹き出した。
「ほんと……空気壊す天才ね、中村くんは」
「キャプテンだからな!!」
夏目は、少しだけ笑った。
それだけで、二人は足を止めそうになった。
甲子園の外壁はもう静かだった。
中は見えない。
声もない。
けれど――
今日ここで見た景色は、
もう消えることはない。
三人はゆっくり歩き出した。
夏目は最後に一度だけ、壁を振り返る。
(……また、いつか)
そう心の中で呟き、
仲間の背中を追いかけた。
夏の終わりを告げる風が、静かに吹き抜けた。




