第50話「飛んでこない一塁」
中村がショートゴロを“ボテッ”と転がしただけで、
ショートが弾き、思わぬ形で一点が入った。
ベンチを見ると、仲間たちが一斉に肩を揺らしながら笑う。
「お前、甲子園デビューで満塁って何の罰ゲーム?」
「天才かよ、あのボテボテ……逆に打てねぇぞ」
「天才じゃなくて事故だろ……でも一点ありがとうな!」
中村は耳まで真っ赤だった。
(……これって喜んでいいのか……?
いや、いいよな……点入ったし……)
本人が混乱している中で、
三塁ランナーだった佐藤はすでにベンチ最奥でタオルを顔に当てていた。
(……中村、よかったなぁ)
佐藤が実は、中村並に涙腺が緩いことを誰も知らない。
その後は5番の高橋が犠牲フライで追加点も、
6番の田中はゲッツーで3アウト。
2点が入り、開明の初回攻撃は終わった。
――ここから、怪物の時間。
一回裏を2点で終えた開明は、
なんとも言えない静けさで守りについた。
その先頭に立つのは、復帰したばかりの中村。
初めての甲子園の大観衆に、
彼はほんの少しだけ喉を鳴らした。
(……こんな景色、夏目はいつも見てんのかよ)
背後では夏目がゆっくり左腕を回している。
ただそれだけで、
大濠第一の四番打者は呼吸の仕方を忘れたように固まっていた。
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◆ 2回表
初球。
ジャイロボール。
外角ギリギリ。
見逃し。
二球目。
ジャイロフォーク。
空振り。
三球目。
ジャイロボール。
バットが出るより“先”に通り過ぎていた。
三振。
球場の空気が、序盤から“結果を理解した”ように静まる。
五番も。
六番も。
打てない。
夏目は息すら乱さずにマウンドを降りた。
中村は驚愕しながらミットを外す。
(守備って……こんなに……暇?
いや違う、夏目がおかしいだけか……)
フライも来ない。
ゴロすら来ない。
ただ夏目が三人で終わらせる。
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◆ 3回以降
大濠第一のベンチは途中で悟っていた。
データ班のタブレットは動いているのに、
画面の数字が“現実と一致しない”。
(またズレた……)
(いやもうズレしかない……)
球速、回転数、軌道。
数値が毎回ほんの少しずつ変わり、
その度に「対策」が消失する。
四回まで一人も出塁できず、
五回にはバットがまともに振れなくなった。
夏目は淡々と投げるだけ。
中村は一塁で、
(……ほんとに俺、ここで良かったのか?)
と何度も思った。
飛んでこない。
試されない。
でも――隣に立てている。
それだけで胸が温かかった。
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開明の5回の攻撃
夏目が軽く振った打球がレフト前に落ち、
その後、山田のタイムリーで一点追加。
5回終了時で3ー0。
甲子園全体が悟り始めていた。
(……今日も “あの展開” か)
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9回表 スコア 3ー0
大濠第一の七番打者は打席で震えていた。
夏目は無表情でセットに入り、
一球目を投げる。
ジャイロボール。
空振り。
二球目。
ジャイロフォーク。
バットは空を切る。
三球目。
ジャイロスライダー。
見逃し。
三振。
球場の拍手が広がる。
八番。
九番。
結果は同じだった。
振っても当たらない。
見ても当たらない。
——三者三振。
審判の右手が高く上がった。
「バッターアウト。ゲームセット!」
瞬間、甲子園が揺れた。
夏目、左腕だけで完全試合。
準々決勝も“三人ずつ静かに片付けるだけ”の試合だった。
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◆ 試合後の開明ベンチ
中村はまだ実感がなかった。
初めての公式戦。
初めての打点。
初めて守った一塁。
(あれ……俺……立ってる……
夏目の隣に立って……勝った……?)
背中を叩かれて振り向くと、
夏目がぼそっと言った。
「……守備、楽そうだったな」
中村は吹き出した。
「お前のせいだよ!!!
飛んでこねぇんだよ!!!
俺のデビュー戦返せ!!」
夏目は珍しく小さく笑った。
(……まあ、いいデビュー戦だったじゃん)
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こうして開明高校は
準々決勝、
夏目の“左腕だけ”での完全試合により勝ち上がった。
準決勝へ駒を進める。
だがこの時まだ誰も知らない。
——準決勝。
世代最強打者と呼ばれている大物が控えていることを……




