第34話 『怪物と隊長集団』
甲子園球場のアナウンスが響いた瞬間、
観客席がざわぁぁ……と大きく揺れた。
土の匂い。
照り返す日差し。
スタンドを埋め尽くす人、人、人。
開明高校の選手たちは、
一歩ごとに黒土を踏みしめながらグラウンドへと入っていく。
「……重いな」
最初にそう呟いたのは、佐藤だった。
「足取られる。テレビで見るより、全然違う」
「当たり前だろ」中村が笑う。
「ここは“野球の聖地”だぞ。軽いわけねぇ」
整列する選手たちの姿が、電光掲示板に映し出される。
――開明高校、スターティングメンバー。
1番 キャッチャー 佐藤智也
2番 ピッチャー 夏目孝太郎
3番 レフト 山田亮太
4番 ファースト 鈴木正信
5番 セカンド 高橋直樹
6番 サード 田中宏
7番 ショート 渡辺優
8番 ライト 金森翔
9番 センター 加藤信
名前が読み上げられるたび、
スタンドのざわめきが少しずつ色を変えていく。
「2番ピッチャー……?」
「珍しくね?」
「佐藤ってキャッチャーだよな?」
伊藤はスコアブックに目を落としながら、
そのざわめきを耳に入れていた。
(……全国だと、やっぱりそこ突かれるわよね)
2番ピッチャー。
高校野球ではほとんど見ない打順。
だが――
(合理的ではあるのよね)
伊藤はペンを走らせながら、そう判断していた。
メジャーでは、打撃力の高い選手を2番に置くことも珍しくない。
出塁率の高い佐藤。
そして、少しでも多く打席に立たせたい夏目。
その二人を並べるなら、この形になる。
“勝つためだけ”を考えれば、
理屈は、きれいに通っていた。
一方で。
夏目本人は、腹を押さえていた。
(……まだちょっと痛いな)
表情には出さない。
だが明らかに、さっきまでより集中が一段落ちている。
中村が横から小声で言った。
「お前、ほんとに甲子園来てんだよな?」
「来てる」
「感想それだけか?」
「人、多い」
「そこ!?」
そのとき、対戦相手――桜阪高校のベンチが騒がしくなる。
全員が、ほぼ同時に謎のポーズを取り始めた。
右手を天に掲げる者。
腰を深く落とす者。
目を閉じ、何かと交信していそうな者。
観客席が一瞬、静まり――
次の瞬間、ざわついた。
「……何あれ」
「応援? いや、違うよな?」
「ヒーローショー?」
中村は眉をひそめる。
「名門って聞いてたんだけどな……」
伊藤は静かにメモを取る。
「……実力は本物よ。
ああいうの、メンタルルーティンの一種だから」
「方向性が独特すぎるだろ」
プレイボール。
甲子園に、乾いた音が響く。
桜阪高校・1番打者。
俊足のリードオフマン。
だが、打席に入る直前、
またもや例のポーズを取った。
佐藤がミットを構えながら小さく呟く。
「……集中しろ」
夏目がセットに入る。
その瞬間、
空気が、はっきりと変わった。
初球。
ズバァァァァンッ!!
ミットが大きく鳴り、
球場全体が一瞬遅れてどよめく。
【171km/h】
「え……?」
「170……?」
「高校生だよな?」
佐藤は、無意識にミットを握り直した。
(……重い)
回転が綺麗すぎる。
伸びが、異常だ。
夏目は首を傾げる。
(……指の掛かり、まだ甘いな)
三球三振。
桜阪ベンチでは、
仲間たちがなぜか同じポーズで励ましていた。
「見えなかっただけだ……!」
「次は見える……!」
「狙いは完璧だった……!」
佐藤が思わず言う。
「……励まし方までクセ強ぇな」
桜阪2番。
またもやポーズ。
今度は腕を組み、目を閉じる。
「……体調は万全だ……」
中村がベンチで呟く。
「誰も聞いてねぇよ……」
結果は三球三振。
佐藤は思った。
(……夏目の球、やっぱりおかしい)
速度だけじゃない。
コース。
回転。
タイミング。
打者が、反応できていない。
伊藤はペンを止めた。
(……今日は、何か起きる)
一回裏。
佐藤の打席。
(……相手の球、遅く見える)
錯覚かと思った。
だが、見えている。
際どい球をカットし、
最後は四球を選ぶ。
中村が叫ぶ。
「ナイセン! 佐藤!!」
佐藤は一塁で小さく息を吐いた。
(……なんか、調子いいな)
そして。
2番、ピッチャー。
「夏目孝太郎」
球場が、もう一度ざわめく。
夏目はバットを握りながら、空を見上げた。
(……一発、狙ってみるか)
甲子園の空気が、
ふっと止まった。




