第32話『わからない。でも、変。ずっと変。』
最初に引っかかったのは、入学式だった。
新入生総代として壇上に立った伊藤は、原稿を読みながら内心ずっと不満だった。
(なんで私がこれやってるんだろ)
理由を知ったのは、そのあと。
先生から何気なく聞かされた。
「本来は入試トップの子に頼んだんだけどね。断られちゃって。その子以外だと伊藤さんが一番成績良かったから」
「…………」
入試トップ。
その言葉を聞いて、真っ先に浮かんだのは一人だった。
二メートルを超える身長。
やたらと静かで、教室にいるだけで目立つ男。
夏目孝太郎。
(……絶対あいつね)
後日。
屋上で昼食を食べていた時、伊藤はさりげなく訊いてみた。
「先生から聞いたんだけど、本当は総代って入試トップの人がやる予定だったらしいのよね」
「そうなのか」
「……誰だったのかしらね?」
「悪い。俺だわ」
あまりにもあっさり言われた。
「やっぱりあなたなのね」
「怒ってる?」
「怒ってない。ただ、負けてたのが悔しかっただけ」
夏目が一瞬だけ目を丸くする。
「……そこ気にするんだな」
「当たり前でしょ」
夏目はなんとも言えない顔で空を見上げた。
その横顔を見ながら、伊藤は思った。
(……次は勝つ)
この時はまだ、それだけだった。
夏目が野球を始めるなんて、想像すらしていなかった。
⸻
次に気になったのは、ランニングだった。
勉強効率が上がるらしい。
そんな理由で夏目を誘った。
断られると思っていたのに、
「……いいけど」
と、あっさりついてきた。
そして一緒に走り始めて十分。
伊藤は横目で夏目を見る。
(……なんでこの人、息切れしないの?)
呼吸がほとんど乱れていない。
フォームも崩れない。
身体はあれだけ大きいのに、足運びに無駄がなかった。
しかも本人は余裕そうにしている。
「夏目くん」
「ん?」
「疲れてないの?」
「まだ全然」
「…………」
伊藤は前を向いた。
(やっぱり変)
ただ、この頃はまだ――
身体能力が高い人なのだと思っていた。
⸻
その後、夏目は筋トレにハマった。
毎日のように身体を鍛え、どんどん大きくなっていく。
最初は、
(また筋肉増えてる……)
くらいにしか思っていなかった。
だが、一緒に過ごす時間が増えるにつれて気づいた。
夏目は、やたらと身体の使い方が上手い。
誰かに細かく指導されている様子もない。
なのに、無駄な力をほとんど使わない。
「それ、誰かに教わったの?」
「何が?」
「筋トレのフォーム」
「いや」
「じゃあ、なんでそんなに綺麗なのよ」
夏目は少し考えた。
「こっちの方が効率いいからな」
「…………」
理由になっているようで、なっていない。
伊藤は考えるのをやめた。
(……なんなのよ、この人)
⸻
そして――
県大会一回戦。
中村に頼まれ、夏目が初めて公式戦に出ると聞いた。
伊藤もマネージャーとしてベンチに入った。
最初は、少し興味があっただけだった。
野球経験ゼロの夏目が、いったい何をするのか。
だが――
初めてマウンドに立った夏目が投げた瞬間。
「…………は?」
思わず声が漏れた。
170キロ。
高校生どころか、世界でも見たことのない数字。
しかも速いだけじゃない。
ボールは高回転で、打者の手元まで勢いが落ちない。
相手打者はバットを振ることすらできなかった。
周囲が騒然となる。
「170!?」
「マジかよ!?」
「高校生だぞ!?」
だが伊藤が気になったのは、それだけではなかった。
二球。
三球。
そして次の打者。
(……さっきより投げ方、滑らかになってない?)
最初より無駄が減っている。
腕の振り。
踏み込み。
体重移動。
投げるたびに、ほんの少しずつ洗練されていく。
(そんなこと……ある?)
普通なら何日、何週間とかけて直していくものを。
夏目は試合中にやっていた。
本人は何も気にしていなかったが。
⸻
さらにおかしかったのは、変化球だった。
その試合で夏目は、それまで一度も投げたことがないはずのスライダーを投げた。
伊藤は直前の打席を思い出した。
相手エースの村上が投げていた球。
完全に同じではない。
むしろ夏目の球の方が、速く、鋭く、曲がり幅も大きい。
だが――
(……さっき見たスライダーがきっかけ?)
そうとしか思えなかった。
その後のカーブも、フォークも同じだった。
一度見た球種を――
夏目は、その場で自分なりの球にしている。
(いやいや……)
そんなはずがない。
野球はそんな簡単なものではない。
少なくとも、伊藤が調べた限りでは。
なのに。
目の前では、それが起きていた。
(見ただけで……できるようになるの?)
答えは出なかった。
⸻
そして夏目は、そんな異常な成長を全部同じ言葉で片づける。
『ポイントで取った』
『ポイント振ったから』
初めて聞いた時は、冗談だと思った。
だが夏目は、わざわざそんな嘘をつく性格ではない。
それに――
ポイントを振ったと言った直後、本当にできることが増えている。
球速。
コントロール。
変化球。
走力。
全部。
(……ポイントって何よ)
そんなものがあるはずがない。
それでも、夏目の成長を見ていると完全に否定することもできなかった。
入学式。
ランニング。
筋トレ。
そして野球。
思い返せば、最初からずっと変だった。
ただ、野球を始めてから――
それが隠せないほど大きくなっただけ。
(……この人、本当に何者なんだろ)
今までは、
「夏目だから」
で済ませていた。
でも。
県大会で見たものまで、全部それで片づけるのは無理がある。
伊藤は小さく息を吐いた。
(……さすがに、ちょっと気になるわね)
答えはまだ分からない。
ただ一つだけ。
夏目孝太郎には、本人すらよく分かっていない“何か”がある。
伊藤はそう思い始めていた。




