表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステータスALL Sの受験生が170キロで高校野球を終わらせた件  作者: 白峰レイ
第2章 大学編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

117/129

第7話「怪物の基準」

ブルペンの端で、夏目孝太郎は順番を待っていた。


すでに投手陣のチェックは、ほぼ終わっている。

国内組。

海外組。

ベテランも若手も。

ひと通り投げ終えたあとだ。


それでも、誰一人として帰ろうとしなかった。


理由は単純だった。

最後に残っているのが、夏目孝太郎だったからだ。


大学生。

しかも、ここ数年名前を聞かなかった投手。


だが、甲子園の記憶と、復帰後の異常な数字は、

この場にいる誰もが知っている。


年齢も、所属も、プロかどうかも。

このブルペンでは、すでに意味を持っていなかった。


「……で?」


低い声が、静かな空気を割った。


腕を組んだ男が立っている。

短く刈った髪。

無駄のない体。

代表の常連。

メジャーでクローザーを務めるベテラン投手。


上野球児。


「大学生が、なんで一番最後なんだ?」


言い方は荒い。

だが敵意というより、確認に近い。


この男は、そういう投手だった。


夏目は少し考えてから、視線を向けた。


「……確認用、らしいです」


「ほう」


上野は鼻で笑う。


「世界最速だの、凄い身体能力だの」

「正直、そういう話は聞き飽きた」


周囲の空気が、わずかに張った。


「才能だけで投げるやつはな」

「だいたい、途中で壊れる」


経験から出た言葉だった。


「ここは代表だ」

「遊びじゃない」


完全に、試している。


だが、夏目は表情を変えなかった。


「……じゃあ」


一拍置く。


「確認してください」


逃げがない。

短いのに、引かない。


上野の眉が、ほんの少しだけ動く。


捕手がミットを構え直す。


「最初は?」


「左で。ジャイロから」


「ほう……」


上野が口角を上げる。


「見せてもらおうか」


夏目は、マウンドの土を軽く踏む。

肩を回す。

呼吸は浅い。


淡々としている。

余計な所作がない。


一球目。


左腕が振り切られる。


ボールが――伸びる。


伸びる、というより。

減速しないまま、突っ込んでくる。


捕手のミットが鳴った。


……はずだった。


乾いた破裂音がして、

ミットが上を向いた。


ボールが、後ろへ転がる。


一瞬、ブルペンが無音になった。


計測器だけが数字を吐き出す。


《165》


捕手が、ゆっくり振り返る。


「……今の、何だ」


誰に向けた言葉でもない。

自分に言っている。


二球目。


捕手は前に出た。

止めにいった。


止めた。

だが、収まらない。


ミットに入る直前、沈んだ。

ボールが身体に当たる。


三球目。


外角低め。


捕手の身体が反応した瞬間には、

ボールはもうミットを抜けていた。


後ろでコーチが、低く言った。


「……伸びながら動いている」


上野が腕を組んだまま訊く。


「取れないのか?」


捕手は、悔しそうに吐き捨てる。


「途中で……加速して……」


夏目は首を傾げる。


「変わってません」


その一言が、余計に空気を冷やした。


「じゃあ、何で取れねぇんだ」


誰かが言う。

別の誰かが黙る。


言いたいことは同じだ。


普通に取れる球じゃない。

そういう種類の球だ。


そのときだった。


ブルペンの入口で、足音が止まる。


誰も呼んでいないのに、

全員が振り向いた。


森山だった。


代表正捕手。

強肩強打なだけじゃない経験豊富な捕手。


マスクを片手に持っている。

表情は変わらない。


「……代わってもいいか?」


短い。

命令でもない。

当たり前の確認みたいな声だった。


今の捕手が、迷わず立ち上がる。

逃げたんじゃない。

譲った。


森山が、しゃがむ。


ミットを一度だけ、静かに鳴らす。


「いいぞ」


夏目は頷く。


一球目。


音が違った。


さっきまで暴れていたボールが、

森山のミットの中で――ぴたりと止まった。


《166》


ブルペンの空気が、はっきり変わる。


「……取った」


誰かが、呟く。


森山は動かない。

視線だけが、夏目に向く。


「もう一段、上げられるよな?」


夏目は、ほんの少しだけ目を細めた。


二球目。


回転が増す。

伸びが増す。


ミットが、わずかに後ろへ下がる。


それでも、収まる。


《168》


森山が、淡々と言う。


「見たことがない球だ」


一拍。


「取れる捕手は少ないと思う」


その言葉が、全員の背筋を正した。


上野が、低く笑う。


「……なるほど」


夏目は、何でもない顔で言う。


「右もやりますか?」


森山は、迷わず頷く。


「もちろんだ」


夏目はボールを持ち替える。


左から右へ。

空気が変わる。


一球。


爆ぜる音。


森山のミットが、明確に押し戻された。


《174》


誰も、すぐには声を出せなかった。


二球目。172。

三球目。170。


数字が、安定している。


森山は、受けながら目を細める。


「……スピン量が異常だ」

「かなり、浮き上がって見える」


夏目は頷く。


「はい」


最後に、スライダー。


同じ腕の振り。

同じ高さ。


次の瞬間、割れる。


森山のミットが、半拍遅れる。

それでも、止める。


ボールが収まった瞬間、

ブルペンの全員が息を吐いた。


上野が、腕を組んだまま言う。


「……本物だな」


視線を逸らさない。


「才能だけの投手かと思ってたが」

「撤回しよう」


一拍。


「これは、別格だ」


周囲の投手たちが、静かに頷いた。


夏目は、少し困ったように首を傾げる。


「そうですか?」


上野は思わず笑う。


「……変なやつだな、お前」


そして少しだけ声を落とす。


「肩は大事にしろ」

「俺みたいになるなよ」


棘はなかった。

同業者の、素直な忠告だった。


夏目は、静かに頭を下げる。


「ありがとうございます」

 

上野は背を向けかけて、ふと思い出したように言う。


「……このあと、投手陣で飯行くぞ」


九条が、横から口を挟む。


「上野さん、こいつ来ると思います?」


上野は首を傾げた。


「どういうことだ?」


夏目はスマホを確認し、真顔で言う。


「すみません」

「筋トレがあるので」


一瞬の沈黙。


次の瞬間、誰かが笑った。


「上野さんの飯断るやつ初めて見たわ!」


「代表合宿だぞ!」


夏目は本気で首を傾げる。


「筋肉は、待ってくれないので」


上野が、天を仰ぐ。


「……聞いたか?」

「怪物って、こういうやつだぞ」


すると、別の投手が言った。


「……俺も、行こうかな」


「俺もだ」


「結局、正解あいつじゃね?」


気づけば、数人が本気でストレッチを始めていた。


九条が笑う。


「お前、空気壊す才能も一級品だな」


夏目は、よく分からないまま言った。


「……そうか?」


代表合宿、初日。


怪物は一人じゃない。

だが――


怪物の基準を、静かに引き上げた男は、

確かにここにいた。


そして、

まだ“本番”は始まってすらいなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ