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01 46億円を、あなたに差し上げましょう

 『獄門』と呼ばれる異世界の門が開き、魔王軍と呼ばれる者たちがなだれこんできてからは、この世界は一変したという。

 しかし、俺の世界はあまり変わらなかった。


 魔王が制定した新法により、国民はすべて『スキル注射』なるものを受けさせられている。

 これは人間の内に潜んでいて、人によっては一生オモテに出ることのない能力、すなわち潜在能力引き出すというもの。


 たとえばとんでもない剣術の腕前だったり、または超人的な記憶力などが覚醒するという。

 かくいう俺ももちろん、ガキの頃に予防接種といっしょに受けさせられた。


 しかしこのスキル注射というやつは、クラス内の強いヤツがより強い力を得て、弱いヤツがより惨めになるという結果しかもたらない。

 俺はその頃ひどいイジメに遭っていたのだが、スキル注射のあとはさっそく体得したスキルの試し斬りをさせられたものだ。


 俺のスキルは何かって? 言ってもしょうがないさ。

 だって俗にいう『はずれスキル』だったんだからな。


 そのスキルは生まれる家が違っていたら、もしかしたら『神スキル』になっていたかもしれないけどな。


 いつだってそうだ。

 俺は産声をあげた頃から、ずっとチャンスに恵まれなかった。


 俺は生まれた瞬間に泣いていた。

 それは赤ん坊だったからじゃない。


 この世に生まれたことをさっそく後悔していたからだ。

 だってベッドの目の前にあった張り紙には、


 命名『億斗(オクト)


 なんて書かれてあったんだからな。


 将来は億を手にできる人間になりますように、との思いを込めて付けられたそうだが、我が家はド貧乏だった。

 それなのに『億斗』なんて名前だったから、俺は保育園に入った頃からさっそくイジメられた。


 そのイメージが学生時代もずっとつきまとったせいで、俺はオッサンになった今もこうして、社会の底辺を這いずり回っている。


 今は『オーク建設』という、ショボい工務店で働いている。

 仕事は超絶ブラックで、休出や残業は当たり前。給料も信じられないほどに安かった。


 しかし今日はいくぶん気分がいい。

 なぜならお待ちかねの給料日だから。


 その日は全従業員(といっても5人しかいないが)がひとりずつ社長室に呼び出され、社長の前で土下座して給料を受け取るんだ。


「ブヒッ! それでは最後、山田億斗!」


 社長室から顔を出した秘書の『オーク』、通称『ヒショーク』が俺の名を呼ぶ。


 『オーク』というのは、ファンタジーRPGに出てくる豚みたいなモンスターのこと。

 魔王軍が異世界からやって来てから、この世界は剣や魔法、モンスターが生活に溶け込んでいた。


 ファンタジーRPGのオークといえば腰巻き1枚に棍棒を持っているイメージだが、今ここにいるオークは作業服を着て眼鏡をかけている。


「はい!」


 俺は嬉々として返事をし、社長室に入った。

 これから土下座させられるというのに、まるでエサをもらうのに必死な犬みたいに。


 高そうな書斎机には、中年太りの父っちゃん坊やがふんぞり返っていた。


 『大久(おおく)(ふとし)』。俺の高校の頃の同級生。

 家業であるこの工務店を継いで社長になった。


 スキルはたしか、『匠の手抜き工事(ビフォア・アフター)』と『木材の申し子ティンバー・チャイルド』。

 前者のスキルは、この工務店の増収増益に寄与しているそうだ。


 後者のスキルは木材の扱いに長けるというものだが、その定義はなかなか幅広い。

 建築に使う角材から箸に至るまで、加工された木を扱わせたら、ヤツの右に出る者はいない。


 高校時代は、昼休みのたびに『人間ドラム』と称して俺はクラスメイトの前でボコボコにされたものだ。

 土下座して金を払えば見逃してやると言われたので、俺はみんなの前で土下座させられ、コイツに金を払っていた。


 そのときのクラスメイトの嘲笑は、いまでも忘れられない。

 思えば俺の人生、いままで一度も勝ったことがなかった。


 というか、戦ったことすらない。

 ただ一方的に打ちのめされ、亀のように縮こまるばかりだった。


 今では人間としてのプライドすらもかなぐり捨て、かつてのイジメっ子に土下座して給料をもらっている。

 俺はもうなにも感じない……はずだった。


 高級そうなじゅうたんに額をこすりつけるようにして土下座していた俺の頭に、ヒショークが金庫から取り出した万札がヒラヒラと落ちてくる。

 俺は好物を与えられた犬のように、むしゃぶりつく勢いで拾いあげた。


 しかし、それは5枚しかなかった。

 俺は土下座したまま顔をあげる。


「社長、まさかこれだけですか?」


 (フトシ)はむくれた赤ら顔を、さらに膨らませていた。


「そうだ。俺がくれてやった給料に文句があんのか?」


「そんなつもりはないです! でも、俺の給料は10万だったはずです!

 それでもカツカツなのに、たったの5万だなんて!?」


「億斗、お前は高校のころ、俺に金を払ってたじゃねぇか」


「は?」


「そのことを最近思いだしてなぁ、せっかくだから再開しようと思って。

 いちいち払ってもらうのはお互い面倒だろうから、毎月給料から5万さっぴくことにしたんだわ」


「はあっ?」


「いい習慣ってのは、続けてこそ意味があるってもんだ、だろ?

 お前はこれからずーっと、定年までこの俺にカツアゲされ続けるんだ。ぎゃっはっはっはっはっ!」


 太とヒショークが兄弟のように腹を抱えて笑っている。

 俺は思わず、手の中にあった5万円を握り潰していた。


「おいおい? なんだ、その態度は? この俺とやろうってのか?

 そういや、カツアゲしたうえに『人間ドラム』ってのは、やったことがなかったなぁ?

 ……新しい習慣にするかぁ?」


 俺はやり場のない怒りに、歯を食いしばる。

 いや、やり場は目の前にあるというのに、過去のトラウマのせいで、どうしても拳が振り上げられない。


 思い浮かぶのは、ヤツからぶちのめされているイメージのみ。

 ヤツにワンパンでもくらわせている未来は、どうしても想像できなかった。


 俺は無言で太に背を向けると、社長室を出る。

 そして走った。外にいる他の従業員のオークどもに、涙を見られないように。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 昔は、労働ナントカ法とかいう労働者を守る法律があったという。

 しかし魔王がこの世界に来てからというもの、それらの弱者を守る法律はすべて形骸化しているそうだ。


 魔王は弱肉強食を標榜し、弱き者を守る制度を徹底的に排除した。

 今やこの世の中、金と力がすべてとなっている。


 警察や司法の概念はあるので、もちろん表だった犯罪はできない。

 しかし警察官や裁判長は権力や金で簡単に転ぶので、金持ちや権力者はやりたい放題。


 労働者たちは働きアリ以下の存在となり、やりがいすらない搾取が当たり前となっていた。

 金持ちが住む地域以外は治安の悪化が急速化し、夜間は女はもちろんのこと、男ですら外を出歩けないほどだ。


 そう、この世は大きくふたつに分かれていた。

 金のあるヤツには天国で、金のないヤツには地獄という、生と死にも似た二極化の社会。


 その中でも俺は底の底、地獄の床下収納にいた。

 なんたって、所持金が5万しかないんだからな。


 ちなみに俺は金を借りることもできない。

 趣味のギャンブルにのめり込んだあまり、すでにサラ金に500万、ヤミ金に500万の借金がある。


 地獄の給料日からの1ヶ月間は、まさに生き地獄だった。

 このご時世、10万円ですら生きていくのは不可能だというのに、その半分となるともはや伝説挑戦クラス。


 電気も水道もガスも、一度滞納すると猶予なく止められる。

 ボロアパートの部屋はまっくらで、薄い壁から漏れてくるテレビの音を聴くのが唯一の娯楽となった。


 そして俺は、生きるのをあきらめる。

 このまま生き続けても、カツアゲされる人生が続くだけだなんてもう耐えられない。


 俺はふらりと夜の街にさまよい出ると、ホームレスが売っている怪しげな睡眠薬と強い酒を、一張羅である『オーク建設』の作業着と交換した。

 帰りは全裸だったが、もう人目は気にならなかった。


 睡眠薬と酒を一気にあおって、死体のようなシミのついた万年床に転がる。

 これで楽になれると思ったのだが、死ねなかった。


 次の日の朝、死んだほうがマシだという頭痛で意識が戻る。

 寝返りを打った拍子に、固いものにゴンと頭をぶつけてしまった。


 ぼんやりとモヤのかかった俺の視界には、鎖のついた鉄球がふたつ転がっていた。

 ボーリング球みたいに大きくて、まるで大昔の囚人とかが足首に嵌めていそうな輪っかが付いている。


「なっ、なんだ、こりゃあ……?」


 まだズキズキする額をさすりながら起き上がると、どこからともなく声が聞こえてきた。


『私は、魔王……。46億円を、あなたに差し上げましょう……』

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