14 ただ、好きだと叫ぼう
新学期が始まる。
昼休みになると俺は昼飯と、鷺本から借りた昔のROCKIN' ON JAPANを持って旧校舎へ向かう。鷺本家には創刊号から揃っていた。このところはまっていて、新しい方から遡って順番に読んでいるのだ。今は90年代に突入したところだ。気になるバンドが出てきたら鷺本にCDも借りている。面白い。
来年度になると取り壊されてしまうここは、今は来る者もほとんどいない。
屋上へ続く階段を上り、一番上まで来ると外には出ないで階段の最上段に腰掛けた。さすがにこの時期の屋上は寒いからだ。座ってると屋内の階段だって尻が冷えるくらいだ。
パンをかじっていると、足音が聞こえた。
おそらく颯だろう。芹羽の足音はもう少し軽い。
バタバタとしたその足音が響いてきて、下の踊り場に颯の姿が見えた。
「よう……」
手を挙げて、声をかけようとした俺に背中にアコギを背負った颯がそのまま突っ込んで来る。
えっ、とのけぞった俺の顔の横に、ダン、と音を立てて颯の足が振り下ろされていた。
「なっ……!? あぶなっ」
牛乳持ってなくて良かった。
顔を上げれば、颯の不穏な黒い目が俺を見下ろしている。
「な、何かな、颯くん……?」
俺、なんかしたかな? 初詣以来会ってなかったと思うけど。初詣は一昨日だ。
あ、そういえば芹羽から預かったお守り渡してなかったな、などと思い出す。
「……お前、何やってんだよ」
「はい? そりゃ、こっちの台詞だよ」
颯に踏み殺されそうになったのは俺だ。
「お前がさっさと芹羽に告らないから、あいつがフラフラすんじゃねえか」
「は?」
「俺が、何のためにあの歌作ったと思ってんだよ?」
「えーと……? 何の話?」
「お前らのためだろうが……!」
忌々しそうに吐き捨てて大きく溜め息を吐くと、颯は踏みつけた足を上げた。ようやく俺は起き上がる。颯は階段の一番上まで上がると俺の背を軽く蹴った。いや、だから、颯くん? あぶないよ、そういうことすると。転げ落ちるからね? 背中に足跡ついちゃうからね?
仕方なく最上段は譲ってやり、二、三段下に座った。
「お前、まだあのヘンな女とつきあってんのかよ?」
「ヘンな女?」
「あの年上のピアノ弾く女。前にシゲさんたちと一回だけ会ったことあるじゃん。あの女の家行ってただろ」
「……沙樹さんのこと、知ってたのか」
「知らねえよ。なんて名前かなんて。……お前がフラフラしてっから、芹羽が」
「何? 告白でもされちゃった?」
にやにや笑って言えば、急に黙り込んで颯は心底嫌そうな顔をすると俺を見下ろした。
ハイハイ、ごめんよ。
「沙樹さんとはなんにもないよ。……もう、あの家にも行かない」
ただ、それと俺が芹羽に告白するとかはイコールにはならないけどな。
俺はポケットを探って、学業成就のお守りを出した。
それを颯に放る。
「なんだ、コレ?」
「芹羽と俺から。とりあえず進級しないと、お前、俺らのこと『先輩』って呼ばなくちゃいけなくなるぞ」
「……」
「お前にひどい振られ方してもお守りなんか買っちゃう芹羽のいじらしいことよ……」
「……」
「『私たち今まで通りでいられるかな……?』なんてうるうるしながら呟いてた芹羽が可哀想……」
「……」
「ああ、でもどうせ颯は後輩になっちゃうもんなー。じゃあ、もう『ともだち』でもないかー。そりゃ、しょうがないなー。芹羽のことひどい振り方してもいいんだろうなぁ。どうせ進級しないからなー」
「……なんなの、お前、それ。怒ってんの?」
「別に。フォローしてるだけ」
「何のフォローだ」
「こう、うやむやにして、何事もなかったかのように振る舞わせようという?」
「全然フォローになってねえじゃねえか。嫌がらせか」
「まあ、そうとも言うかも?」
颯は面倒になったのか、ポケットにお守りをねじ込んで、ギターをケースから取り出した。
下手くそなギターを弾きながら、颯が歌い出したのは、ライブで最後に歌った歌だった。
あの、芹羽の背中を押してしまった曲。
俺をむやみに走らせた曲。
颯が歌い出してしばらくすると、踊り場からそっと芹羽が顔を覗かせた。
窺うようにこちらを見上げてくるので、俺は軽く手を挙げた。遠慮がちな表情を安心させるように少しだけ、肩を竦めて見せた。颯の態度なんて気にする必要ない。颯は結局、何も変わらないんだ。
芹羽は足音をほとんど立てずに上がってきて、俺の一段下に座った。短いスカートから覗く膝小僧に顔を埋めて、その後ろ姿が全身で颯の歌を聴いていた。
まったりとした、昼休みの空気。
……そうだな、やっぱり俺はこの空気が好きなんだ。
颯の歌を、芹羽と二人占めして、三人で過ごす時間。
これから、おそらくは変わっていってしまう時間。
もう少し続けられるかもしれないし、もしかしたら、最後かもしれない。
好きだけど――変化していくのも、嫌じゃない。
変化させるのも、悪くないのかもしれない。
じゃーん、とまぬけなギターが響いて、颯が歌い終える。
そういや、この歌のタイトル、なんだったろう。ライブの時に聞いた気がするんだけど、思い出せない。
「ところで、この歌タイトルなんだっけ?」
俺が訊くと、颯が得意そうに答える。
「『主人公、俺』!」
……変なタイトル。颯センスねぇな。
「……そんな、ばかばかしいタイトルだったっけ? なんか、もっとカッコ良さげなヤツじゃなかったっけ?」
「うん、サギに勝手になんかつけられてるけど、真のタイトルはそれだから!」
……うん、素直に鷺本に任せとけよ。
ただ……、そうだな。これは颯のメッセージなのかもしれない。
いつでも、俺の物語の主人公は俺だ。
誰にもそれを代わってはもらえないし、譲るべきじゃない。
やれよ、っていうメッセージ。
――本気出せよ、俺の物語は俺が主人公だろ?
そんな、メッセージ。
颯が別の歌を歌い出した。
駆け出すみたいな片想いの歌。
――走り出せ、走り出せ……!
颯の歌は、全身でそう歌う。
止まることなんか知らない颯は、いつも全力で走ってる。
たとえぶち当たって砕けても。そして、また走り出す。
……俺も、少しは本気出さないと。
俺は、階段を降りて芹羽の隣に座った。
「芹羽」
気持ち良く歌う颯を邪魔しないよう、小さく呼びかけた。
「ん?」
芹羽も颯を邪魔しないようにしたのか、俺に顔を寄せて問い返してくる。
何気ない仕草。俺のことなんか気にも止めてないからできる、近い距離。
――でも、俺は。
もう、この距離にはこだわりたくない。
「俺たち、つきあう?」
芹羽が一瞬顔を引いて、驚いたようにまじまじと俺を見た。
その戸惑った顔がみるみる赤くなっていく。
「…………は?」
ああ……、何赤くなっちゃってんの。
今までの芹羽だったら、こんな言葉で赤くなったりしない。
恋愛になんか鈍感で、「冗談でしょ?」って笑うと思ったのに。
颯に恋をして、告白して振られて。それで、芹羽も変化している。
――馬鹿だなあ、芹羽は。
俺は、小さく溜め息を吐いた。
失恋したからって、隙だらけだろ。
こんな簡単な言葉で揺すぶられるなよ。
「……なんちゃって」
芹羽が何か答える前に、素早く言った。
冗談だよ。――まだ、今は。
次に付き合う人は、ちゃんと俺が好きになって、相手からも好きになってもらいたい。それが、芹羽になるのかはわからない。俺自身、今の芹羽に対する感情が本当に恋だったのか、単なる幼馴染みに対する独占欲だったのか、それともただの友情なのか、正直はっきりしない。
あるいは、もしかしたら次好きになるのは芹羽以外なのかもしれない。もっと別の誰かに出会うのかもしれない。
そんなことは、今わからない。
でも、もし好きだ、と本当に思える時が来たら。そういう人ができたら。
その時になったら全開で好きだと言おう。
躊躇も遠慮もしない。距離なんか測らない。
ただ、好きだ、って叫ぼう。
そんなことで壊れるような関係なら、それまでなんだ。
もう、安心させてずっと近くにいようなんて、ずるい真似はしない。
「……ばか」
芹羽がほっとしたように、呟いた。
――覚悟しろよ、芹羽。
そのうち、お前が安心なんかしてられないくらい、俺は本気出す。
……っていうのはあんまり格好悪いから、口に出すのはやめるけど。
旧校舎に、颯の駆け出したくなるような片想いの歌が響く。
そんな風に、俺もなれるだろうか……、なってみたい、と思った。




