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追放された夜、灯火台帳は空白になった

「夜勤係など、王宮の栄光には不要だ」


 儀礼局長は、金糸の入った袖で机を払った。

 その袖先が、俺の灯火台帳を床へ落とす。


「明日から結界灯の管理は儀礼局で行う。お前のような下級点検員が、王太子殿下の戴冠準備に口を出すな」

「ですが、今夜の西薬房と北帰還路の灯火は、朝まで残す契約です。台帳の引き継ぎだけでも」

「余り火の処分くらい、こちらでできる」


 余り火。


 俺――セオ・ランベルトは、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷えた。

 灯火は余らない。

 灯火には、夜を越す予定がある。


 西薬房の冷蔵棚に残す青い灯り。

 夜勤明けのパン職人が通る北帰還路の足元灯。

 孤児院へ朝の粥粉を届ける荷車の標識灯。


 どれも、朝まで何も起きなければ「使われなかった灯り」に見える。

 けれど何も起きないように、誰かがそこで待っている。


「最後に台帳だけ確認させてください。未使用灯火ではなく、生活維持予約分が混ざっています」

「まだ言うか。無能な夜勤係が」


 局長は笑った。


「お前の仕事は、夜に机へ座っているだけだった。王宮の儀礼灯と、町の小さな道しるべを同列に扱うな」


 俺は返事をしなかった。

 床に落ちた台帳を拾い、革紐を結び直す。

 台帳の角には、八年分の指の跡がついている。灯火の名前を呼ぶたび、少しずつ黒ずんだ跡だ。


 消えかけの灯りには、いつも小さく声をかけてきた。


 ――おつかれ。朝まで、もう少しだ。


 その癖を、王宮の誰も仕事だとは認めなかった。


「退職印はこちらで押しておく。出ていけ」


 門を出たとき、王都の鐘は十時を打った。

 戴冠前夜祭の準備で、王宮の中央塔だけが昼のように輝いている。


 反対に、町の夜は薄かった。


 最初に気づいたのは、西薬房の窓だった。

 いつもなら、青い保冷灯が棚の内側で静かに瞬いている。熱に弱い解熱薬を朝まで守るための灯りだ。

 その青が、窓の奥で二度揺れて、消えた。


「おい、嘘だろ」


 俺は走った。


 薬房の裏口では、見習い薬師のミナが、木箱を抱えたまま凍りついていた。


「セオさん? 王宮を辞めたって……」

「あとで。冷蔵棚は?」

「急に灯りが落ちました。予備灯も点かなくて。夜明けの肺熱薬が、あと三十本」


 三十本。

 子ども用の小瓶なら、三十人分だ。


 ミナは泣きそうな顔で棚を押さえている。

 棚の中には、白い息を吐く小瓶が並んでいた。温度が上がれば効き目が落ちる。朝一番に待っている子どもたちへ出せなくなる。


「王宮から通達が来ました。未使用灯火を戴冠儀礼に回収するって。薬房の夜間保冷分は、使っていないから余剰だって」

「違う」


 俺は台帳を開いた。


 西薬房、青灯三十本分、用途欄――夜間保冷。

 担当印――セオ・ランベルト。

 継続条件――肺熱薬が棚に残る限り、朝六時まで停止不可。


 その下に、赤い儀礼印が重ねられていた。


 用途変更。王宮中央塔、戴冠用光輪補助。

 理由。未使用保留灯火。


「未使用じゃない。これは、朝まで誰かが生きるために残してある灯りだ」


 俺は台帳の余白に指を置いた。

 灯火契約は、燃えている火そのものではなく、用途の順番で動く。先に書かれた生活用途が残っていれば、儀礼用途はその後だ。


 だが赤い儀礼印は、俺の担当印の上から押されている。

 俺が退職扱いになったことで、生活用途の責任者が空白になった、と処理されたのだ。


「ミナ、薬房の責任者印は持ってるか」

「見習い印しかありません。正式な薬師長は、王宮の夜会へ呼ばれて」

「見習い印でいい。薬を受け取る人間が、ここにいると示せればいい」


 俺は棚の横に貼られた受領札を外した。

 肺熱薬、三十本。

 朝六時、東孤児院へ引き渡し。

 受取補助――ミナ・フェル。


「ここに名前を書く。今夜この薬は、王宮の光輪ではなく、東孤児院の朝の薬だ」

「でも、わたしの印で足りますか」

「足らせる。灯火台帳は、偉い順じゃない。夜が明けるまで困る順に読む」


 ミナの手は震えていた。

 それでも彼女は、自分の見習い印を受領札へ押した。


 俺は台帳の赤印の横に、青い保留線を引く。

 未使用保留、ではない。


 生活維持予約分。


 青灯の契約文が、小さく震えた。

 棚の奥で、消えたはずの灯りが一つ戻る。二つ、三つ。薬瓶の影が青く浮かび、冷たい息がまた白くなった。


「戻った……!」

「朝まで全部は無理だ。三十本分のうち、今守れたのは十三本」

「十三人分も守れました」


 ミナは、棚に額をつけるようにして息を吐いた。


 その声で、俺は初めて自分が王宮を追い出されたことを思い出した。

 悔しさはある。

 けれど今は、十三本の薬が冷えている。

 そのほうが先だった。


 外で、また灯りが落ちた。


 北帰還路の足元灯だ。

 夜勤明けの職人や洗濯女たちが使う、川沿いの細い道。その奥で、パン焼き窯の赤灯も揺れている。


「セオさん、これ、薬房だけじゃ」

「ああ」


 俺は台帳をめくった。

 西薬房の次頁。

 北帰還路、足元灯二十四基。

 朝焼き通り、パン窯安定灯八基。

 東孤児院、粥粉荷車標識灯三基。


 すべての用途欄に、同じ赤い儀礼印が押されていた。


 王宮中央塔、戴冠用光輪補助。

 未使用保留灯火として回収。


 そして、一番下。


 王都北門、外郭結界灯、一晩分。

 責任者欄――空白。


 俺の名前だけが、削られていた。


 中央塔が、遠くで白く輝く。

 その光が強くなるほど、町の夜は薄くなっていく。


 俺は台帳を閉じなかった。


「ミナ。薬房に予備の青い紐はあるか」

「あります。棚の結束用なら」

「貸してくれ。今夜から、消えた灯りに名前を戻す」


 王宮は、俺を夜勤係から外した。

 だが夜は、まだ終わっていない。


 薬棚も、帰還路も、パン窯も、北門の結界灯も。

 誰かが朝まで必要としている灯りを、余り火とは呼ばせない。

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