第三十四話 ゼウスの憂鬱
セシルや麻生たちが苦難を強いられている頃、オリュンポスでも最大最悪の事件が起きようとしていたーー
現在から少し時を遡り、セシルが念話でリエリカから王都滅亡の一報を受けていた頃ーー天界オリュンポスでは混乱が起きつつあった。
それは地上オルテシアの一国ラグナスの王都が一瞬にして滅びたこと、そして神であるヘルメスが石にされたことに端を発する。
「……ヘルメス。それにしても何故、人間の魔導士風情が悪魔王バエルを顕現させる術など知っておったのか…」
原初の神カオスに仕えていた天使たちの中でも最も美しく、カオスに次ぐ強大な力を有していたといわれる天使長ルシフェル。そのルシフェルが神々への憎しみを募らせ悪魔へと変貌した姿がバエルである。
先々代の最高神ウラノスが天使たちを異界ソロモンに幽閉した際も、ルシフェルにだけはより強力な多重結界を施して特殊な封印を行なったという。その封印は神のみが知る解除魔法と魔法陣がなければ解くことが出来ない。
それを人間が実行したーーつまり、神の中にラグナス王国の魔導士を唆しその方法を教えた者がいる。
ゼウスは頭を悩ませていた。バエルが顕現した今となっては、もはやタナトスだけには任せてはおけないが、神の中に裏切り者がいる以上、そう簡単に他の神々に任せる訳にもいかない。
「アレス、アテナよ…話がある。来れるか?」
オリュンポスにそびえる最も高い山の頂にある神殿で頭を抱えていた最高神ゼウスは、念話で軍神であるアレスとアテナに声をかけた。
"かしこまりました。すぐに参ります"
2人からの返答があってから間も無く、神殿に現れたアレスとアテナはともにゼウスの御前で跪き首を垂れた。
「ゼウス様、いかがなされましたか?」
「うむ。悪魔王バエルがオルテシアに顕現した。そして、監視・伝令役を任せていたヘルメスがバエルによって石にされたのだ。由々しき事態である」
「ヘルメスが…なんということを…」
「アテナよ、オリュンポス全域に兵を配置しバエルの侵攻に備えよ。そして、アレス。其方はタルタロスに向かい、幽閉されておる大地の女神ガイアとティターン十二神に協力を仰ぐのだ」
2人は頷くとすぐにその場から姿を消した。
ーーガイアが協力してくれるとは思えぬが背に腹はかえられまい…
遥か昔に勃発した10年にも及ぶ先代最高神クロノス率いる巨神族ティターンとゼウスたちの戦い"ティタノマキア"の後、敗れた巨神族をタルタロスに幽閉すると宣言したゼウスの処遇にガイアは反論した。
大戦時にはゼウス陣営として共闘していたガイアだが、巨神族であるティターン十二神はみな彼女の子であり、その無慈悲な処遇には納得がいかなかったのだ。寛大な容赦を求めたガイアであったが、ゼウスはその意見を無視し、宣言通りティターン十二神全員をタルタロスに幽閉した。
傲慢なゼウスに激怒したガイアは袂を分ち巨人族であるギガンテスを率いて戦を起こした。巨人戦争"ギガントマキア"と呼ばれる戦である。
開戦当初は山々を大地から引き剥がして投擲するギガンテスの圧倒的な力に劣勢を強いられたゼウス陣営であったが、ゼウスが人間との間に設けた半神半人であるヘラクレスの活躍によって戦況は覆り、やがてギガンテスは皆殺しにされた。大敗を喫したガイアをゼウスはティターン十二神もいるタルタロスに幽閉したのであった。
ガイアは原初の神であるカオスに産み落とされた絶大な力を持つ神の1人であり、多くの神を子に持ち味方につければ大いなる力を得られる。そう考えたゼウスはやむ無くガイアに協力を申し入れる決断を下した。
奈落タルタロスーー青銅の壁に覆われたガイアたちが幽閉されているこの地に降り立ったアレスは青銅門に掛けられた封印の魔法を解き、中へと入り覚悟を決めて門を一旦閉じ封印を掛け直した。中は不気味なほどに静まり返っている。ゆっくりと奥に進んでいくと、アレスの2.5倍ほどの体躯をした巨神族ティターン十二神たちが錠に繋がれていた。
海洋神オケアノスとその妻、海の女神テティス、太陽神ヒュペリオンとその妻、光の女神テイア、運命の神イアペトス、天文の神クレイオス、掟の女神テミス、追憶の女神ムネモシュネ、知性の神コイオスとその妻、予言の女神ポイベ、そしてティターン十二神のリーダーであり先代最高神であった天空神クロノスとその妻、豊穣の女神レアの十二神が一斉に殺意のこもった目でアレスを見下ろした。アレスがまるで幼子のように感じるほどの巨体。両手両足を拘束している錠によって力を封じられているとはいえ、その威圧感は凄まじいものがあった。空気に呑まれまいと、アレスは気丈に言い放つ。
「我はゼウスの子、軍神アレス!皆さんにお願いがあり参りました!!」
反応がない。十二神はただ目を細め睨んでいる。もっと罵られるものだと思っていたが、何も言ってこないことにアレスは困惑しながらも話を続けた。
「今、オルテシアは悪魔王バエルが復活し、混沌の最中!皆さんどうか、お力添えをいただけないでしょうか!!」
「やかましいぞ、小僧。そんなに大きな声を出さずとも聞こえておる。お願いと申すなら、まずはそれなりの誠意を見せてもらわねばな」
うっとりするような低く歯切れのいい声でありながら、小馬鹿にしたような口調。その声の主は短い白髪を逆立て後ろに流した褐色肌で色気のあるロマンスグレー、天空神クロノスであった。先代の最高神にしてゼウスの父でもある。
「誠意…でありますか……わかりました!どのようにすればご満足いただけますか!」
「やれやれ…そんなことも自分で考えられぬとは教育がなっておらぬな、全く。母上、どのように致しましょう?」
クロノスが視線を向けた先は十二神たちの更に奥、そこには巨神ではなくアレスと変わらない背丈の女神が瞳を閉じ凛とした佇まいで正座していた。
「ゼウスの子よ。其方らの願いを聞き入れる義理などありません。帰りなさい。そしてもう二度とここへ来てはなりません。いいですね?」
このような場所に在っても一切の衰えを感じさせないそのオーラは、さすが原初の神の一柱であると言わざる得なかった。ゼウスに託され乗り込んできたアレスであったが、もはや直視することすらおこがましく感じさせてしまう圧倒的な存在感。それでもアレスは食い下がろうと交渉を続けた。
「ガイア様!自分はどうなっても構いません!!どうか何の罪もない地上の無垢な人間たちをお救い下さい!このままではオルテシアは悪魔王に蹂躙され、やがてはオリュンポスまで滅びてしまいかねません!!」
アレスの言葉を聞いて十二神とガイアは口角を上げた。さきほどまでの神聖な佇まいだったガイアは立ち上がり、まるで別人と思えるほど下品な高笑いを始めた。十二神たちも声を出して笑っている。あまりの豹変ぶりにアレスは形容しがたい不安に襲われ、警戒を強めた。
「あーっはっはっはっ!!真なる愚か者よの、アレス。自らを犠牲にしても構わないと申すか!オルテシアの無垢な人間?ゴミ畜生の間違いではないのかえ?これを笑わずにいられようか!愛しい我が子たちよ、準備を始めよ!」
「あー久しぶりに笑ったわい。小僧、一番申してはならぬ言葉を述べてしまったな。覚悟を決めるがいい。願い通りバエルなどいくらでも滅殺してやろうではないか」
不敵な笑みを浮かべクロノスたち十二神は座禅を組むように座り込んだ。そして身体中の魔力を高めていく。錠に繋がれているにも関わらず、その魔力はどんどん増大していく。
「何を…するつもりなんだ…」
アレスの額を冷や汗が流れ落ちた瞬間ーー十二神とガイアの錠が全て粉砕した。13人の神が声を揃えて詠唱を始める。
「我が末子にして理を覆す終末の巨人、テュポンの魂よ!!贄は用意した!今こそ我らの悲願を叶えるため降臨せよ…ラグナレク・タイタン!!」
暗雲立ち込めるタルタロスの上空から漆黒の雷が降り注ぎ、その一陣がアレスを穿つ。漆黒の炎に焼かれながらアレスは悶え苦しみ、地面をのたうち回っている。
「ハハハッ!!ゼウスよ、覚悟せよ。バカな息子を寄越した代償は計り知れぬぞ!!」
アレスを包む炎はやがて身体に染み込んでいくように消えていき、身体を黒く染めていく。そしてもがき苦しんでいたアレスは不死であるはずだが、まるで絶命したように微動だにしなくなった。不思議なことに全身を焼かれていたにも関わらず、身につけていたヒマトンは燃えるどころかそのまま無傷で残っている。ただ、紅だったヒマトンの色はアレスの均整のとれた肉体とともに漆黒に染まり、黄金色だった髪も黒くなっている。
神が生きたまま焼かれるというあまりに凄惨な光景だったため、さすがの十二神も息を呑んで見守っていたが、ガイアだけは恍惚とした表情でその様子を眺めていた。
そしてついにアレスだった"それ"が目を開いた。黒い眼球に真紅の瞳孔ーーその姿は地上に顕現したどの悪魔よりも悪魔然としていた。
「ティポン、妾がわかるか?」
「ああ…久しぶりだな、クソババア」
目覚めての第一声が"クソババア"という悪態ぶりに十二神は目を泳がせながらそわそわしている。
「フフ、相変わらず反抗期なのかねぇ…まぁよい。お前の身体をエトナ火山の底に封じた憎たらしいゼウスにようやく報復する時がきた。動けるかえ?」
「ゼ…ウス…ゼウス!!ゼウスゼウスゼウスゼウスゼウスぅぅぅっ!!!あの野朗ブッ殺してやる!!オイ、クソババア!ゼウスはどこだ!!」
「落ちつきな、バカ息子。高いところから見下したがるゼウスのいる場所といえばオリュンポス山の頂に決まっている。今から乗り込もうじゃないか」
だいぶ闇の深そうな親子のやりとりであったが、どうやら仲が悪い訳ではないようだ。十二神たちも内心ハラハラしていたが、問題なさそうだと胸を撫で下ろした。
「母上、バエルの方はいかが致しましょう?いずれ我らにも牙を向くやもしれませんし、さすがに放置はできないかと」
「そうさね…バエルはクロノス、アンタたちに任せても構わないかい?妾とテュポンはゼウスを討ちに行く」
「チッ、ハズレくじかよ。バエルなど俺たち十二神全員で行かずとも潰せるだろ。俺もゼウスの野朗を八つ裂きにしてやりてぇんだが?」
「ちょっとやめてよ、オケアノス。お義母さまに任せよ?ねっ?」
不満そうなオケアノスを面白くなさそうに見つめるガイアの視線に気付き、慌てて窘める妻のテティス。オケアノスもそのことに気付き、舌打ちをして黙り込んだ。
「話はまとまったね。さあ、行くよ」
ゼウスに恨みを持つ13人の神と1人の怪物は青銅門の前に立ち、門をこじ開けようと十二神が魔法や打撃をぶつけるが傷一つ付かない。
「くっ…腐ってもタルタロスの監獄か。思いのほか頑丈だな」
「テュポン、お前なら出来るだろ?やりな」
追撃を行なおうとした十二神をガイアは制止し、テュポンに門を開けるよう命じた。テュポンは面倒くさそうに後頭部を掻きながら一歩前に出ると、右手を門に押し当てて一瞬だけ力を込めた。その瞬間、門どころかその周囲の青銅の壁まで木の板でも壊すかのように砕け散りながら吹き飛んだ。
「や、やはりテュポンの力は凄まじいですね…」
驚異的な力に知性の神コイオスは思わず呟いた。他の十二神も立つ瀬がないとドン引きしている。
門があった場所を通り抜けて解き放たれた14人の脱獄者はそれぞれの目的の地へと転移魔法によってタルタロスから姿を消した。
ーーその頃、オリュンポスでは
「そんな馬鹿な…アレスの気配が消えた…それにこの気配は……」
かつて天界を恐怖に陥れた災厄が再び迫り来る気配をオリュンポスの神々、皆が察知していた。
前回、次回はセシルとメイドの珍道中とか予告しておきながら、全く違う内容になっちゃいました、、、ここにきてまさかのゴリゴリのギリシア神話っぽい内容。
一気に新キャラが14名も出てきたので、これからのんびり1人ずつ紹介していきます。
まずはティターン十二神の一柱、海洋神オケアノス。
深緑色の髪のボウズでモミアゲからヒゲまで繋がっちゃってるイカついムキムキのオッサン。
口が悪く喧嘩っ早い性格で、海のような広い心は微塵もありません!←あくまでこの作品内での設定です
奥さまのテティスは逆に物腰柔らかな海の女神さまで、オケアノスはテティスにベタ惚れで頭が上がりません!
いますよね〜こういう絶妙にバランスのとれてる夫婦。
次回こそはセシルとイザナミの冥土探検!です!←たぶん




