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【完結】私の子  作者: 小野花壇
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耳に感じるあなたの存在

本当に不思議なことだが、大鷹くんは自然に千羽子の心に染み込んでくる男だった。

年も近いということから、同じ年代の話で盛り上がった。

千羽子はこのひとが仮に出会い系アプリのサクラでも問題ないと思い始めてきた。

結婚に対して強い願望がありすぎて、恋愛が分からなくなっていた千和子にとっては、いいリハビリだった。

疑似体験、シミュレーション、どんな言葉が正しいかはどうでもよくて、この大鷹くんと呼んでいる彼とのやりとりが心地よかった。

直接やりとりすることについては、多少の不安もあった。

これで千羽子の個人情報があらぬところに漏れたりすると厄介だし、仕事にも影響するかもしれないし、あまり仲が良くない田舎の母にも迷惑をかけるかもしれない。

でも、千羽子はいま、失うものはない。 

千羽子は独身で、ただのブラック企業の社蓄で、なんの価値もない存在だと自分で感じていた。

結婚の波にも乗れずに、売れ残っていく感覚が年々増している。

こんなわたしに大鷹くんは、優しく話しかけてきてくれる。

アプリでのやりとりを一週間行ったあとで、彼から直接のやりとりを提案され、個人の連絡先を教えた。


「大丈夫。大丈夫」

千羽子は空いたビール缶を片付けながら、自分に言い聞かせていた。

やはり初めてのこと。

見ず知らずの人に連絡先を教えるのは心への負担も多祥なりともある。

しかしこの胸の鼓動が早く打っているのは、果たして不安だけなのだろうか。

お酒が体に回っているからなのだろうか。

それとも。

「期待、してるのかな」

客観的に自身を分析してみると、簡単に答えは出る。

もしかしたら、上手くいって、大鷹くんと付き合えるかもしれない。

もしかしたら、もっと上手くいって、結婚するかもしれない。

そんなあり得ない未来を思い描いては、心なのなかで打ち消して、現実を見るようにした。

それでも胸の高鳴りは、止まなかった。


ブブブ

ベッドの方から何かが振動する音が聞こえる。

なんだ、とキッチンからベッドを覗いてみると、携帯電話の画面が光っていた。

時刻は夜の10時。

たまに母から安否確認の連絡がある。

そういえば、しばらく電話をしていなかった。

母とはとても仲がいいわけではないが、とりわけ悪いわけでもない。

私が勝手に母に苦手意識を持っているのだ。

なぜ父と別居したのか。

なぜいっしょに暮らしてくれなかったのか。

思春期という多感な時期に経験をした両親の別居は一生たっても癒えることのない心の傷だ。

しかし、千羽子も大人になった。

きっと夫婦にしか分からない並々ならぬ理由があったのだろう。 いまはそれをとやかく責めることはしない。

きっと時間が経ったら教えてくれる。

急いで携帯電話をベッドから取り上げて画面を見ると、そこには知らない電話番号が表示されていた。

「なんだ、お母さん電話番号変えたんだ」

落として壊したりでもしたのかな。

軽く考え、携帯電話を耳に寄せる。

「あ、もしもし?こんばんは。さっそく連絡してみたんやけど大丈夫やった?」

聞きなれない男の人の声だった。

関西弁?東京のひとではなさそうだ。

そして少なくとも母ではない。

「、、、」

まだ混乱していて、言葉が出てこない。

誰だ?

関西に知り合いなんていない。

強いて言うなれば、確か別居中のお父さんが大阪に住んでいるはず。

お父さん?

そんなわけはない。

声は若い男性だった。

「おーい。ちーさん。聞こえとる?」

ちーさん。

この言葉にピント来た。

私をこの名前で呼ぶ人物は少なくとも一人しかいない。

でも、まさか、そんな。

「え、もしかして、大鷹くん?」

「せやで!」

電話越しでも分かるほど、元気そうだ。

「あ、ごめんなさい。わたし、てっきり間違い電話か何かかと」

「ちゃうで~。びっくりさせて堪忍な」

「いえ、全然大丈夫です」

「なにいきなし敬語なっとんの?タメ語でいこうや」

「あ、あぁ、うん」

あの大鷹くんと電話で話している。

これはどんな状況なのか。

そういえば、アプリのプロフィールに京都府出身と書いてあったのを思い出した。

恥ずかしながら、大鷹くんのプロフィールは穴が開くほど読んでいた。

暗譜できるほど、彼の情報を何度も読み返した。

そして満面に笑う彼の写真を眺めながら、何度も寝落ちした。

せめて、夢でも会えるように、と。

「もしかして、電話迷惑やった?」

「あ、ううん、そんなことないよ。ただびっくりしただけ」

「それはごめんやな。次から前もって言うことにするわ」

「うん、ありがとう」

「ところで、ちーさん、、、」

この後、お互いにビックリするほど、会話が盛り上がり、気づいたらもう夜中の3時になっていた。

幸いにも携帯電話の通話料を気にしなくてもよかったので、とにかく話した。

自分でも何をそんなに話すことがあるのか不思議だったし、正直話の内容も緊張のせいもあってあまり覚えていない。

ただ、ただ、楽しかった。

それだけは、事実だった。

アプリで出会った人に恋をするなんて。

恥ずかしい。

でも、それは事実。

電話を切ることがこんなにも切ないなんて。

元カレと別れるときよりも、彼を愛しいと感じていた。

何が私をここまでさせるのか。

それは彼の雰囲気だったり、テンポだったり、言葉では表せない、つかみどころのない感覚だ。

明日も仕事だから、早く寝ないと。

千羽子は満たされた気分で目をつぶった。

寝入り際に思い出したのは、初めて聞いた大鷹くんの声。

低くて、でも元気で。

若さが感じられる。

きっと、見た目も声通りで、男らしさのなかに若さが滲み出ているんだ。

同い年の私たちは周りから見るとどう写るのだろうか。

お似合いのカップルになるのだろうか。

実際にあったら幻滅されてしまうかもしれない。

それであれば、歳上で懐が大きい男性が千羽子には合っているかもしれない。

懐かしい。

この感覚。

千羽子はまどろみのなかで昔の記憶を思いだし始めた。

しかし、千羽子はいままさに夢に入ろうとしているので、そんなことは気づかないほどに夢側に向かっていた。

思い出されるのは、この前のことだ。

千羽子が忘れるべきだと心に鍵をかけた記憶。

忘れる方が幸せだと。

すべて夢だったのだと、言い聞かせたあの日々。

「松谷さん、、、」

千羽子はすでに夢の中にいるため、自分が口にした言葉は全く覚えていない。

それは千羽子にとっては不幸中の幸いだ。

それは千羽子にとって思い出したくない人だから。

千羽子が結婚できない理由を作った、張本人だから。

夜が朝を迎え、徐々にしらみがかる空がとても美しい。

一人の少女の恋が残酷に終わっていたことすらはね除けるかのように。

小鳥が鳴いて、新しい一日の始まりを告げた。

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