#10<業病>
今、エルサレムはムスリムとキリスト教徒の共同統治の道を探っている。
サラディンがいて、ボードゥアン4世がいてこそだ。
曲がりなりにも、綱渡りの和平が成り立っている。
ボードゥアン4世が死ねばエルサレムは無秩序と悪行のカオスと化すだろう。
ルノー・ド・シャティヨンも口にこそ出さぬが、本心では乱世を願っていた。
「乱世でこそ浮かぶ瀬もあれ、という事よ」
だが業病とはいえボードゥアン4世の精神は鋼のように強かった。
ボードゥアン4世「わたしがエルサレムだ」
「私が生きている限り、好き勝手は断じて許さない」
病魔が気力を削ぐことは決してなかった。
だが寿命は違う。
サラディンは思った。
イスラムには優れた医療がある。
それは10世紀からの錬金術300年の成果だ。
サラディン「この男を死なせてはならない」
「エルサレムの命運はまさに彼の命運だ」
「だが彼の業病はやがて彼の命を奪うだろう」
サラディンは自身の侍医モーシェをボードゥアン4世の元に送った。
いわゆる「敵に塩を送る(Show humane treatment to one's enemy)」である。
強敵同士の宿命と宿業が奇妙な友情を生み出していた。
モーシェ・ベン=マイモーン(1135-1204)。
12世紀の哲学・医学・天文学・神学者。
サラディーンの宰相アル=ファーディルと親交があり、アイユーブ朝の宮廷医となる。
その後サラディンの侍医となる。
モーシェはサラディンの指示で、エルサレムの王の宮殿に到着した。
王の居室は数百本のロウソクで灯りを取っている。
モーシェは王を診察しようとした。
だがロウソクの灯りは暗い。
とてもロウソクの照度では診察ができなかった。
モーシェ「石灰灯の用意を」
助手がテキパキと準備をする。
ガスボンベを鞄から出すと弁を調節し、炎を作った。
イスラム錬金術は前化学時代に達していた。
化学反応式はまだないが、実験と観察が化学の域に近づいていた。
酸素と水素を燃焼させて、その炎を石灰に当てる。
そうすると、高温になった石灰の熱放射が、白熱光を発するのだ。
その明るさはロウソク1億本(1億燭光=白熱電球100W)に相当した。
ボードゥアン4世「明るいなあ」
モーシェ「目に悪いですから遮光眼鏡をお掛け下さい」
包帯を取る。
炎症と爛れが強い照明の下、あらわになった。
モーシェ「うっ」
ボードゥアン4世「どうした?治りそうか」
皮肉っぽい笑みが引きつった王の顔に浮かぶ。
治る訳がない、薬草も香油も効き目がない。
かつて、欧州最高の医師が「神のみぞ知る」と見放したのだ。
組織のサンプルをとって顕微鏡で見る。
イスラム顕微鏡は5レンズ3群の高性能顕微鏡である。
イスラム学者イブン=ハイサムという男が製作した。
その最大倍率は20x10x5=1000倍に達している。
細長い桿菌と球状の菌塊が見える。
モーシェは顔をしかめた。
モーシェ「これは「らい菌」による感染症です」
「菌の感染力は弱く、数年から数十年に及び進行が続きます」
「大風子油が感染原のらい菌の成長を阻害する効果があります」
大風子は東南アジア原産の高木で、大風子油はその種から摂った油である。
入手はインド-アデンーアレクサンドリア経由の輸入品だ。
「飲んでも注射しても効果がありますが、症状が重篤でもあるので静注します」
ボードゥアン4世「治らんのか……」
モーシェ「一筋縄ではいきません、業病なのです」
「本国に帰り、過去300年の錬金術史の記録を調べてみましょう」
ボードゥアン4世のらい病の進行は止まった。
モーシェは帰国し、錬金術史の記録を調べようとした。
だが時期が悪かった。
図書館の蔵書はすべて売り払われていた。
ファーティマ朝のダール・アル=イルムは、サラディンが解体したのだ。
知恵の館|(ダール・アル=イルム)とは現在の大学の研究機関にあたる組織の事だ。
カイロ学派というイスラム自然科学の最高峰の研究がなされていた。
近代光学の父と呼ばれるイブン=ハイサムもその一人だった。
カメラ・オブスクラ(針の穴カメラ)は彼の発明だ。
日光の屈折、分光、反射の研究実験を行った。
分光により、日光には様々な色の光が含まれているのを観察した。
アリストテレスも針の穴カメラに言及していたが、発案したのは彼である。
13世紀にロジャー・ベーコンが日食の観察に使用した記録がある。
せっかくの自然科学の膨大な知識も、宗教と民族意識が遠因となり、四散しかけていた。
だが、サラディンはなんとか宗派を越えて、知識を救おうと考えていた。
前王朝の体制は受け継ぐ訳には行かない、回りが許さない。
そこでサラディンは新たに研究機関を大学に設けていた。
サラディンのアイユーブ朝配下の大学「新アズハル学院」。
名前は同じだがファーティマ朝の大学「旧アズハル学院」とは組織が違う触れ込みだ。
自然科学はすでに理論だけは近代に近づいていた。
イブン=ハイサムはレンズの球面収差とアルハゼンの定理から拡大鏡に言及している。
これは顕微鏡や望遠鏡の製作とメニスカスレンズ群の収差修正への道を開いた。
これらの数学、工学、自然科学への探究が「新アズハル学院」の目的であった。