56話 『妖精の導きと』
トリシャがアイリスと共に魔法の練習をしていると、クラリーチェが2人の元へ歩いて来る。
障壁とやらを張っている彼女が向かってくる事を不思議に思う。
何故なら、前日までアイリスが担当していたのだが、そのアイリスが魔法の練習中に持ち場を離れる事が無かったからだ。
「どうしたの?」
アイリスはクラリーチェやアリアと話をすると、時々敬語が外れる事がある。それは従者、もしくは魔人同士という事もあり、気兼ねする必要が無いからなのかもしれない。
「これを捕まえたから報告しようと思って」
クラリーチェの手元を見てみると、角張った氷の塊のような物を持っていた。その青味がかった半透明の塊は直径が20センチ以上もあり、片手で持つには少し重そうに見えた。
その塊の中には、何かの物体が入っているようにも見える。目を凝らして見てみると、長い髪の毛を携えた小さな女の子がいるではないか。
トリシャはその不可思議な塊に驚いてしまう。
「妖精が何故このような場所に?」
「さぁ、障壁の内側に入ろうとしていたから捕まえてみたの」
トリシャの内情に関係なく、2人は平然と会話を続ける。
その妖精と呼ばれる女の子は、氷漬けにされているのか、目を閉じたまま動きがみられない。
「何でこんな事するの?」
トリシャは氷漬けにされた小さな女の子を可哀想だと思わずにはいられない。
それ故に、クラリーチェが何故この様な行為に及んだのか、問いたださなければ気が済まないのである、
「こんな事?」
「だってこんな小さな子が氷漬けにされているんだよ。可哀想じゃん」
トリシャはクラリーチェと彼女の手にある塊を交互に見ながら純粋な眼差しを向ける。
「これは拘束魔法で動けなくしているだけだから、凍っている訳では無いわ」
「じゃあ、生きてるの?」
「心配しなくても殺してなんかいないわよ」
クラリーチェの言葉を聞き、トリシャは安堵する。小さな女の子は指一本動かないままなのだが、彼女の言葉を信じるなら生きているのだろう。
しかし、眼を閉じたまま身動きを取らない様は、意識が無い様にしか見えないのである。
「拘束を解いてくれたりはしてくれないかな?」
「妖精だからといって危険が無いとは限らないわよ?」
「でも、可哀想だし……」
手の平大の小さな女の子が、氷の様な塊の中に拘束され身動きが取れない状況は見ていていたたまれない気持ちになる。
意識があるのかさえ判別がつかないほど、女の子はぐったりしているようにも見えるのだ。
妖精というものがトリシャの思う善良な存在か、クラリーチェが言う様に危惧すべき存在なのかは分からない。
しかし、トリシャは悲しそうな視線を向けて、クラリーチェに拘束を解くように訴えかけるのである。
「わかったから、そんな目でこちらを見ないでちょうだい」
気に病むトリシャの視線に耐えかねたクラリーチェは、妖精に施した拘束を解く事にした。
氷の様な塊が、外側から小さな欠片に割れてから空中で細氷となって消えていく。その光景は、まるで逆流するダイヤモンドダストみたいに美しいものだった。
そんな幻想的な現象にも目もくれず、トリシャは妖精が弱っていないか気が気でない様子だ。
塊の全てが空中で四散すると、ようやく妖精の女の子の肌に空気が触れるのである。
女の子との間に何も抵抗する物が無くなったことで、正確にその子の姿を捉える事が可能なのだ。
淡い紫色の髪の毛は、毛先につれウェーブがかかっている。白を基調とした服装には、紫色の花が添えられていた。
腰周りにある青いリボンは、髪の毛を結ぶ2つの髪留めと同じ色をしている。
手の平サイズの小さな体と相まって、人形の様な可愛らしさがあった。
「ううん、ここは?」
暫く待つと、妖精の女の子は目を覚ます。
「ほら、心配はいらないと言った通りでしょ」
「良かった」
意識が戻るのを見て、トリシャは胸を撫で下ろした。
妖精の女の子に外傷などあるはずも無く、クラリーチェが言うようにトリシャの心配のしすぎだったみたいだ。
「私は何故、この場所にいるのでしょう?」
妖精の女の子は拘束される前後の記憶が飛んでいるのか、置かれている状況が飲み込めていない様子だ。
「知らないわよ。貴方が森の方から此処へやって来たんでしょう」
クラリーチェは少し冷たい態度を見せる。せっかく捕まえたのに拘束を解く羽目になったのだ。不機嫌になっても何らおかしくはない。
妖精の女の子は上体を起こすが、クラリーチェの手の平に乗ったままでいた。
「そうでした。主の命で金色の魔女を探しに来た所でした」
女の子は手を合わせて、自身の目的を口にする。
魔女と言えばルミエーラの事が思い出される。そして、金色とどこかで聞いたことのあるフレーズを耳にして、それがルミエーラを指す言葉であると、何となく予想を立てるトリシャであった。
「残念ね。お探しの金色なら今日はいないわよ」
「そんなー」
クラリーチェは落ち込む妖精の女の子を嘲笑うかの様に見下ろす。
「要件があるなら伝えときますが如何されますか?」
落ち込む彼女に、アイリスは優しく声をかける。
それを聞くやいなや、女の子は顔を上げて自己紹介を始める。
「私は常緑の従者、ピーチハルトと申します。この度は我が主の元に金色の魔女をお連れする為に参りました。」
彼女の自己紹介を機に、アイリス、トリシャ、クラリーチェの順で簡単に自己紹介を行う。
「で、要件は何なのかしら」
自己紹介を終えた所で、クラリーチェが質問を投げかける。
ピーチハルトという名前は聞いたが、肝心の要件については聞かされていないからだ。
「それが、詳しい話は聞かされていないのです」
「何それ、要件も伝えずについて行く様な人なんているのかしら」
クラリーチェは呆れるようにものを言う。
あの面倒くさがりのルミエーラが、何も聞かずについて行くはずがないと、トリシャも思わずにはいられない。
「ルミエなら逆に、何も伝えない方が気になって聞きに行く事は有り得そうです。ですが、常緑の魔女がそこまで考えているとは思えませんね」
金色や常緑というのは、魔女の通り名なのだろうか。トリシャは聞かされていない要件よりも、そちらの方が気になっていた。
アイリスの言葉を聞くに、常緑の魔女という人物にあったことがありそうな言い回しだ。
魔女と言うからは女性だろうと予想を立てる事は可能だが、それ以上は情報が無いので分かりかねない。
「代わりと言っては何ですが、皆さんを主の元へお連れしても宜しいでしょうか?」
「従者である私たちが主の判断も無くついて行く事は出来ません」
アイリスはキッパリと断りを入れる。
それもその筈だろう。従者である事を生きがいとし、従者である事を信条としているアイリスが、独断で行動する筈が無いのだから。
提案を断られて、ピーチハルトはわかりやすく落ち込む。
「相変わらず真面目ね。貴方の主も私の主も好き勝手するのだから、たまには別行動も良いんじゃない?」
以外にも、クラリーチェはピーチハルトについて行く事を仄めかす。
「ですが……」
「トリシャはどう思うの?」
渋るアイリスを尻目に、クラリーチェはトリシャに話を振る。
彼女がクレアリス同様、氷の城で過ごしていたとするならば、久々の外出に羽目を外したがっているのかもしれない。
「えっと、危険じゃなければ行ってもいいかな」
ルミエーラの迎えが来るまで、まだまだ時間がある。
魔法の練習の集中力が切れかけていた事もあり、トリシャは流れに身を任せることにした。
「皆さんを危険な目に合わせません。私が保証します」
力強く言葉を発するピーチハルトは、未だにクラリーチェの手の平に乗ったままだった。
「でも……」
「もし何かあれば、私と貴方で対処すればいいじゃない。それに、何時でも帰ってこられる様に転移魔法陣を残しておけば問題ないでしょ」
渋るアイリスを説得するクラリーチェは、彼女に向かって微笑みかける。
「道具はあるかしら?」
「一応持ってはいるけど」
アイリスは腰に下げたポーチの中から、1メートル程の長さになる筒状に巻かれた布を取り出す。
そして、その布を地面に広げるのだ。少しだけ灰色がかった白い布は、模様がある訳でもない無地の生地になる。
「いつまで人の手の上に乗っているつもりかしら」
「あ、すみません」
クラリーチェに言われてから、ようやくピーチハルトは手の平から降りる。
すると、紫がかった半透明の羽が彼女の背中から覗くと、その羽を使って宙に浮いてみせるのだ。蝶々の羽みたいにヒラヒラと舞うその姿は、妖精と言うに相応しい出で立ちだった。
手が自由となったクラリーチェは、足元に敷かれた布の近くでしゃがむと、手で布に触れるのだ。
すると、空中で魔法陣を描くのと同じ要領で、布の内側全体に広がる大きさの魔法陣を描いていく。
布に描かれた魔法陣は、トリシャが習得した魔法よりも複雑なものになる。それは、今のトリシャに理解できるものではなかった。
「こんな感じかしら」
クラリーチェは魔法陣を描いたばかりの布を折り畳むと、その布をアイリスに預ける。
布が被せられていた先の地面に目を向けると、布に施されていた魔法陣と同類のものが浮かび上がっていたのだ。
「下にもきちんと写っているわね。さぁ、妖精さんはどうやって連れて行ってくれるのかしら」
クラリーチェは腰を上げると、ピーチハルトに向かって移動方法を問う。
「皆さんにはゲートによって移動してもらいます」
ピーチハルトが空中を大きく浮遊すると、彼女の通った跡に大きな楕円系の形をした空間が浮き出てくる。
黒や灰色が混ざった靄みたいな空間は、不気味な雰囲気を醸し出していた。
「この空間魔法は常緑のかしら?」
「はい。我が主と従者を結ぶものとなります。このゲートを通って頂くと、主の元へと案内する事が可能です」
クラリーチェとピーチハルトの間で話が進んでいく。
アイリスは小さな板に何かを書き込むと、足元にある魔法陣の傍に置いていた。
「私が通るとゲートが閉じるので、皆さんお先にお入りください」
ピーチハルトに促されるまま、クラリーチェはゲートと呼ばれた空間の中に入っていく。
暗闇とも呼べる靄の中へ入っていく様は、悪しき物に飲み込まれていく姿に錯覚する。
「アイリス、手を繋いでも良いかな?」
不安を感じたトリシャは、手を差し出す。
移動した先で一人きりになってしまうかもしれないと、頭に過ぎってしまった。その不安を取り除く為に手を結ぶ手段に出たのだ。
「もちろんです」
アイリスと固く手を結ぶと、トリシャは意を決して靄の中へと入っていくのだ。
中へ入る際に少しだけ体に負荷がかかる。その抵抗を受け、トリシャはアイリスと繋いでいる手に力が込められるのだった。
最後にピーチハルトがゲートを潜ると、ゲートと呼ばれた空間魔法は縮小していく。
靄が全て無くなると、森の入口の開けた地には、一つの魔法陣と、書き置きの施された白い板だけが残るのだった。




