4話 「心の傷と涙と」
使用感の無いベッドの上に眠るのは、あどけない表情をした銀髪の幼い女の子だ。彼女を覆っていた羽織は脱がされ、今は寝具のみが彼女の身体を包んでいた。
その女の子は、氷の城に侵入した者によって、転移魔法で移動する前の部屋へ運ばれていた。
女の子を見下ろす様に佇む梟の形をした置物は、今はただのインテリアにしか過ぎない。
「あのババア、服の一つでも用意しとけよな」
部屋に戻ってきたルミエーラは開口一番に悪態を付く。
「そんな言い方すると、流石の私でも怒りますよ」
アイリスはルミエーラの言葉遣いにご立腹の様子だ。何故なら、誰だって自身が慕う人物が悪く言われるのは、気分が良いものでは決して無いのだから。
「だって、この広い城の中を散々探し回ったのに、子供服の一つも見つからないんだぞ。封印が解かれた後の事も考えとけよな」
氷の城の中を2度目の探索をする羽目になったルミエーラは、その成果が何も無かった事から、期限を損ねていた。
「ルミエ、見ない間に随分怒りっぽくなったのね」
ルミエーラ、アイリスとの戦いで傷ついたクラリーチェは、城内を歩き回っていた2人とは違って、体を休めながら部屋で待機していた。
何より、部屋に1人はいないと、クレアリスが目覚めた時に対応出来る者が居なくなる。そうした点から見ても、クレアリスが部屋に残るのが妥当だとえよう。
「私は昔からこういう性格だ。ただ、不満を表に出さなかっただけだ」
「そう」
「私は短気な所は直した方が良いと思うのですが、ルミエに直す気は無さそうです」
アイリスは部屋に帰ってくると、まずはクレアリスの様子を確認する。クラリーチェは暫く待っていれば大丈夫と言っていたものの、心配せずにはいられないのだ。
未だ目の覚まさないクレアリスを1番に気にかけているのはアイリスかもしれない。
「そう言えば、他に従者っていなかったのかしら?」
落ち着きを取り戻した今、クラリーチェは気になる事が出始めていた。ルミエーラが部屋に戻って来たので問いかける事にした様だ。
「ああ、レジーナの事を言っているのか?」
「そんな名前だったかしら。私と契約しようとするから、アイリスとしか契約していないんじゃないかって気になったの」
先程の戦いで、クラリーチェはルミエーラに負けてしまった。そればかりか、手傷を負っていたとはいえ、本来実力が同等のアイリスに遅れをとってしまった。
もし、あの時に他の魔人がいたならば、ルミエーラはもっと苦労せずに事に当たれたに違いない。そう思わずにはいられなかった。
「お前を含めると4人目だな」
「私は契約しないから外してよ。何かあれば協力はしてあげるけど、それはあくまで私が消滅しない為の交換条件よ」
ルミエーラはクラリーチェが居るローテーブルの近くに歩み寄ると、側に置いてある椅子に腰掛ける。
1人がけの椅子に背筋を伸ばして座るクラリーチェとは正反対に、ルミエーラは3人は掛けられる大きさの椅子の中央に、どっしりと足を広げて座るのだった。
「貴方、足くらい閉じて座ったらどうなのかしら? 女の子なんでしょ?」
「はは、私を子供扱いするのはお前くらいだな。いいじゃないか、誰も見てはいないだろ」
クラリーチェの視線はカウントしないと言わんばかりに、ルミエーラは姿勢を改める事はしなかった。
「はぁ、アイリスも大変ね」
合わないうちに大らかな性格となったルミエーラを見て、その間のアイリスの気苦労を察する。
そんな彼女を子供扱い出来るのは、今やクラリーチェと、アイリスを含む、僅かばかりしか存在しないのだろう。
アイリスが紅茶を用意すると、ルミエーラはそれを口に含んだ。芳醇な茶葉の香りが鼻を抜け、豊かな味わいと共に広がりを見せるのだ。
「リーチェ、――の研究資料や施設、本当に知らないのか?」
紅茶を一通り楽しんだルミエーラは、本題と言わんばかりに、真面目なトーンで話しかける。
「貴方もみたでしょう。ここにあるのが全てよ。あの人は多くを残さなかったのよ。残ったのは宝物一つとこの城と、宝を守る守護者だけ」
ルミエーラが見たものは、研究結果をまとめた資料と、幼児1人、そしてそれを守る為の従者のみだった。
過程が省かれた研究資料は、机上の空論となんら代わりが無い。その成果を実証するのは、それこそ1から実験を重ねなければならないだろう。
仮にルミエーラ以外の者が訪れたところで、この施設に残された物が役に立つ筈が無いのである。
「あーあ。面倒な封印式を幾度と解かされて苦労した結果。成果は小さな子供と偏屈な魔人のみかー」
「それって私の事かしら?」
ルミエーラは背もたれに体を預け、天を仰ぐ。労力と成果が見合わなかった事もあり、失意に項垂れるのであった。
薄い意識の中、誰かが呼ぶ声が聞こえる。
「クレア、クレア」
その声は聞き馴染みが深く、安心感を与えてくれる。
しかし、その声は遠のいていくと、次第に聞こえなくなった。
「待って、パティ。私を置いていかないで」
最後に叫んだ言葉は届くことも無く、空気中に吸収されていく。その声を失ってしまうと、何もない場所に1人取り残されてしまう。
「う、ううん」
眩い光に抵抗しながら瞳を開くと、見知らぬ天井が視界に広がる。今までの出来事が夢なのか現実なのか区別がつかない。
意識がはっきりてくると、誰かの話し声が聞こえてくる。上体を起こし、話し声のする方に顔を向けると、見覚えの無い人物が眼下に広がった。
「ルミエ、クレアリス様が目覚めました」
女の子の様子にいち早く気づいたのはアイリスだった。
そのアイリスの声に、ルミエーラとクラリーチェはベッドの上に視線を向ける。そこには、瞼が開ききっていないが意識の目覚めた幼い女の子の姿があったのだ。
「だ、誰?」
女の子は見知らぬ人たちに不安を覚える。目覚めて直ぐに見えるのが、見覚えの無い部屋、見覚えの無い人たちならば、不安が一層濃くなるのは当然だ。
「覚えていませんか? アイリスと言います。意識が戻られて安心しました」
「アイリス?」
女の子が目覚めて喜ぶアイリスとは違い、その女の子は事態を上手く把握出来ていないのか、頭に疑問符を浮かべる。
「アイリス? アイリス? アイリス、アイリス!」
女の子は自身の記憶に問いかける。その結果、何度もアイリスの名前を呟くことで、ようやく思い出す事が出来たようだ。
「そうです。アイリスと申します」
「アイリス知ってる。パティと一緒にいた」
アイリスを記憶の中にいる事が分かった女の子は不安が和らいだのか、初めて笑顔を見せる。その笑顔は、屈託の無い晴れやかなものだった。
「あっちは、えっと……」
「私はクラリーチェと言います。クラリスと言った方がわかりやすいかと」
「クラリ、クラリー、クラリス」
クラリーチェと上手く発音出来ない女の子は諦めたのか、クラリスと呼ぶ事で落ち着いた様子だ。
「クラリスは知ってる様な気がする。でも……」
女の子はルミエーラに視線を向けると言葉を詰まらせる。何故なら、この中で唯一、記憶を辿っても見覚えがないからだ。
「そうだな。私は分からないだろうな。ルミエーラ。と――パティにはルミエと呼ばれていた」
「ルミエは知ってるけど、知ってるルミエと違う」
女の子は記憶の中にあるルミエと、目の前のルミエと名乗る女性の差異に困惑してしまう。
「まぁ、無理もない。あの時から随分歳を取ったからなー」
「もしかして、クレアの知ってるルミエと同じルミエなの?」
「ルミエが分かるなら同一人物だと思うぞ」
「大きいから分からなかった」
ルミエーラが知っている人だと分かると、女の子は安心したのか表情が緩む。
「パティ、パティはどこ?」
安心したのも束の間、女の子は記憶に1番鮮明に残っている人物を求め始める。
「パティは……」
アイリスは言葉を詰まらせると、表情を曇らせて俯いてしまう。
「ごめんな、パティはもう居ないんだ」
その代わりに、ベッドの側で腰を屈めて視線を低くしたルミエーラが、優しげな口調で答える。
「何処に行ったの? いつ会えるの?」
言葉通りにしか理解の出来ない女の子は、他意を掴めず求める事を止めない。
「何処にも居ないんだ。もう、会えないんだ」
ルミエーラはなるべく穏やかな表情を作り、年端の行かない幼児に現実を突きつける。
「会えないなんてヤダ! パティに会わせて!」
「私もアイリスも会いたいけど、もう出来ないんだ。ごめんな」
「パティ……会えないの?」
女の子は今にも泣きそうな表情でルミエーラを見る。眉は下がり、眉間に皺を寄せ、目尻には涙を浮かべている。
布団はずり下がり、上半身は肌が露呈する。腰あたりに落ちた布団を掴んだ手は、強く握りしめられており、力を入れすぎている所為か腕が震えていた。
「会わせてあげられないんだ。もう、会えないんだ」
何度も繰り返し言う事で、物心付いていない幼児に現実を理解させようとする。酷な事かもしれないが、いつかは現実を受け入れなければならない。
何故なら、女の子が合いたい人物は、もうこの世には居ないのだから。
静まり返る空気は、4人全員が心に傷を負っている事を意味している。
ルミエーラやアイリス、クラリーチェやクレアリス、それぞれにとっての大切な人に、二度と会う事が敵わないのだから。
「パティ……パティに会いたい。パティ、パティ……うわあああああ――」
求める人物にもう会えない事を理解できたのか、女の子は泣き声を上げる。その声は部屋中に響き渡った。
目から大粒の涙を流し、大きく口を開けて泣く。1番大切な人に2度と会えないと知った女の子は、泣く事でしか現実を受け止められないのだ。
「こういうのは苦手なんだよな。後は任したぞ」
「あ、はい……」
ルミエーラはそう立ち上がると部屋から退出した。何故なら、子供の鳴き声を聞くと胸を痛めてしまうからである。
これは彼女なりに心を傷つけない防衛手段なのかもしれない。
部屋に残されたアイリスは、ベッドの横の床に膝をつけると、女の子の手に自身の手を重ねる。
今はかける言葉など無い。悲しみに暮れる女の子の側で、そっと見守る事が彼女に出来る最善なのであった。
クラリーチェは幼い女の子をアイリスに任せると、椅子に腰掛け遠目に見守る事しかしない。
何故ならば、物事に対し常に静観し、客観的に状況を俯瞰するのが、彼女のやり方だからだ。
必要とあらば命をもかけて物事をやり遂げるだろう。しかし今現在、彼女がそこまでして状況を変えられる様な事柄は存在しない。
だとしたら、静かに見守る事も、彼女なりの優しさなのかもしれない。
2人の魔人に見守られる中、銀髪の幼い女の子は大声で泣き続けた。涙は頬を伝い、胸を這い、強く握られた布団まで到達する。
そして、白く清潔な布団を塗らすと、零れた涙がシミを作っていく。そのシミは、女の子の心の傷の表れなのかもしれない。
pixivにアリアのイメージイラストを投稿しました。
良ければそちらもよろしくお願いします。
リンク https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=65161963




