3話 『純白の空間と』
ルミエーラの雷魔法により半壊していた氷の花弁は、クラリーチェが意識を失うと共に跡形もなく消失していた。
「封印式の解除に成功しました」
アイリスはこれまでより短時間で封印式を解く事に成功した。それは、今回の封印式を解く難易度が低い訳ではなく、今短期間で彼女の封印式を解く速度が上がった事に起因する。
壁が左右に開くと、先程通ってきた場所と同じ様な純白の壁に覆われた空間があった。
「よし、先へ進むぞ」
「待ちなさい。先へなんて行かせないわ」
ルミエーラが壁の奥にある、空間に入った時だった。魔法による攻撃を受けて気を失っていたクラリーチェが、目を覚ますと同時に立ち上がる。
いくら加減をしたといっても、こんなに早く目を覚ます事は、通常ならありえない。
それは、彼女の意地にも近い使命感が、傷ついた体を立ち上がらせるのだった。
「ルミエ、先に行ってください。私が足止めをします」
ルミエーラの目的はクラリーチェとの戦闘では無い。それは、彼女の従者であるアイリスにも言える事で、クラリーチェに邪魔をされない様に試みるのだ。
「無理はするなよ」
ルミエーラの声にアイリスは、背を向けたまま返事をする。それを確認すると、ルミエーラはアイリスが封印式を解除した壁の向こう側で、予め施されている転移魔法を起動させるのだ。
「先に行かせないと言っているでしょ」
クラリーチェは右手を振り上げる。そして、魔法陣を描きながら手を前で振り払うと、魔法によって攻撃を仕掛けてきた。
ルミエーラのいる方向を目掛けて、氷の波が押し寄せてくる。先端が鋭利な氷の柱は、地面を這うように幾重にも連なりながら、うねりを上げていく。
その魔法が直撃すれば、人体を軽く射抜いてしまうだろう。そうならない為にも、アイリスは身を挺して防御魔法を発動させる。
左腕の負傷は、彼女の油断からなるものであった。旧知の中のクラリーチェからの攻撃、更にあの時彼女は拘束されていたのも油断を生む原因になっていただろう。
しかし、現在の主は違えど、主の命令に忠実な彼女の生き様を知った今、アイリスに油断などあるはずも無い。
従者として、主に身を捧げるのは、アイリスも同じなのだから。
奥へ続く入口を含む周囲を、ドーム型の障壁で包み込む。先端が鋭利な氷の柱が触れても傷つく事もなく、触れた先から氷の柱を砕くのであった。
「アイリス……」
「ルミエの邪魔はさせないわ」
お互いに譲るつもりも遠慮するつもりも無い。主が違えた今、対立してしまうのも仕方の無い事なのだ。
1度戦闘に入ってしまえば手加減などという甘い考えは存在しない。例えどちらか片方が消失してしまったとしても――
再び扉が開くと、外には白い空間が広がっていた。壁も床も天井も、穢れの知らない純白に包まれていた。
その純白の部屋は、反対側の壁も天井も果てしなく遠く感じる程、だだっ広い空間が存在しているのである。
ルミエーラは部屋の中に足を入れると、周囲を見渡した。研究資料、薬品、机や椅子に至る物まで何一つ無い。
想像もしなかった内装に度肝を抜かれるばかりである。
ここで、ルミエーラは遠目に何かが存在しているのを発見した。それを見つけるや否や、彼女は近づいていく。
彼女が地面を軽く蹴ると、浮いた体をそのままに、低飛行で宙を駆けていく。
瞬く間に接近した後、ルミエーラの視界に入ったものは、透明度の高い六角柱状に結晶された器に入る幼児の姿だった。
銀髪に色素の薄い肌、衣服を身につけない幼い女の子は、ルミエーラの知る人物に酷似している。
「クレ……アリスなのか?」
彼女の敬愛する人物の一人娘。その名はクレアリスという。
「でも、何でこんな姿で……」
ルミエーラは余りに現実離れした出来事に、立ち尽くしてしまう。彼女の記憶にある限り、クレアリスと最後に会ったのは、もう十数年も前の事になる。
なのに、目の前にいる裸の女の子は、とても十数年も時を過ごしていたとは言えないくらいに幼すぎたのだ。
女の子の入っている器に触れようとすると、電流が走った時のような音を上げ、手が弾かれてしまった。
「これは、最後の最後でこんなものを残すなよな」
ルミエーラが悪態を付くのも仕方がない事だ。何故ならば、これまでアイリスに解かせてきた封印式が可愛く思えるほど複雑な封印式が施されていたからである。
1回、溜息を付いたルミエーラは、全神経を集め、幼い女の子に施された封印式を解き始めるのであった。
どれ位の時間が経過した事だろう。ルミエーラが封印式を時終える頃には、アイリスが封印式を解いてきた総計よりも時間が経過していた。
封印式が解かれると、少女を囲っていた六角柱状の結晶体は、空中で薄いガラスが割れるように散在すると、塵となって跡形もなく消え去った。
封印から解き放たれた女の子の体は、徐に高度を下げていくと、そのまま地面へと倒れ込む。
「クレアリス。大丈夫か? クレアリス」
ルミエーラが何度も声をかけるが、女の子は一向に目を覚まさない。呼吸、脈共に確認したが、女の子が生きている事は間違いなかった。
一通り治癒魔法を試すことになるのだが、女の子が目を覚ます事は無かった。
「こういうのは苦手なんだよなー。こういうのこそアイリスに任せた方が無難だろ」
悪態を付きながら独り言を呟く。
今まで封印式を解くのに意識を割いていた事から頭から抜け落ちていたが、ルミエーラはここでようやくアイリスとクラリーチェの動向を気にし始める。
アイリスが手負いのクラリーチェにやられるとは思わない。しかし、彼女の主として心配せずにはいられなかった。
「よし、確認しに行くか。ついでにクレアリスの事も聞かないといけないしな」
ルミエーラは鞄から白い羽織を取り出すと、それを使って女の子体を包んだ。それは以前使っていたものだったが、女の子の体を包むには最適の大きさだった。
封印を解いた今、いつまでも裸のままで居させては、女の子の体調を害する危険がある。
ルミエーラは銀髪の女の子を抱き抱えると立ち上がり、アイリスとクラリーチェの元へと歩を進めるのであった。
ルミエーラの思い描いていた研究施設はここには無かった。しかし、この幼い女の子の存在は、彼女にとって何ものにも変え難いほど悦ばしい事なのだ。
未だ深い眠りから冷めない女の子の顔を見て、思わず笑が零れる。久しく笑う事も無かったルミエーラは、自身の表情の変化に気づくことは無いのであった。
銀髪の女の子を抱いたルミエーラは、アイリスを残した場所へと帰ってくる。
戻ってくる途中、アイリスの事を気にかけていた彼女だったが、その心配は杞憂に過ぎなかった。
何故なら、彼女が封印式を解いている間に一段落していたからだ。
「アイリス、苦労をかけたな」
激しい戦闘が行われていたのだろう。部屋の壁や床には先程まで無かった傷や凹凸が生まれていた。
そんな戦闘を終えたアイリスは、自身より気付いたクラリーチェの頭を膝に乗せ、怪我の治療を行っている最中だった。
しかも、自分も負傷しているにも関わらず、消耗の激しいクラリーチェを優先して治癒魔法を使っていた。
それは、クラリーチェと戦うつもりが無かったルミエーラの意志を組んだのとは関係無く、彼女自身がクラリーチェに対する情愛からなるものなのだろう。
「その子は……」
治療をする手を止め、アイリスはルミエーラに抱かれた女の子に視線を移す。
その女の子はルミエーラと同様に、彼女にとっても大切な存在だと言えるだろう。
「治療中悪いが、こちらを優先して欲しい。意識が無いままなんだ」
アイリスはクラリーチェの頭をそっと地面に置くと、ルミエーラの元へ行く。
「息はあるようですね。身体に異常は見られませんが、出来る限りの事はやってみます」
ルミエーラの手を離れ、床に横たわる銀髪の女の子の体には傷一つ無い綺麗な肌をしていた。
羽織をはだけさせると、アイリスは女の子の体を隅々まで診察していくのである。
「解くことが出来たみたいね」
急な声に顔を上げると、意識を取り戻したクラリーチェが横たわったまま視線をこちらに向けていた。
「リーチェ」
「ふふ、クラリーチェ、もしくはクラリスと呼んでって言ったじゃない」
今までとは違い、クラリーチェは穏やかな口調で声を出す。
それは、彼女にとって自身に与えられた役割の終わりを意味していた。
「これはどういう事だ?」
「私は研究施設の場所を知っているとは言ってないわ。私に与えられた最後の役目は、その子を誰の手にも渡さないって事だけよ」
クラリーチェの視線は天を仰ぐように上を見つめていた。
彼女が必死に先へ行かせない様に尽くしていたのは、未だ目の覚まさぬ女の子に誰も近づけさせない為だったのだ。
「こいつは本当にクレアリスなのか?」
「ええ、――の大切な一人娘。クレアリス様で間違いないわ」
ルミエーラの認識に間違いは無かった。しかし、もう一つ彼女に聞かなくてはならない事がある。
「どうして、どうして幼いままなんだ?」
記憶にあるクレアリスと目の前の女の子は同一人物なのは間違いない。しかし、それにしては余りにも女の子は幼すぎる。
アイリスやクラリーチェ程とはいかなくても、本来ならばもっと成長してもおかしくはないのだ。
目の前の銀髪の女の子は、どこからどう見ても、5才前後の幼児にしか見えない。
「封印を解けたのに分からなかったとは面白いわね。クレアリス様の時は止まっていたの。そういう封印式が施されていたと言えば分かるかしら」
ルミエーラは封印式を解く際、順序通りに解いたりはしない。要点だけを抑えて式を解くと、細部は省略するように力技で済ませる傾向がある。
それは、お手本通りに解いていくアイリスとは根本的に方法が異なるものだった。
その所為か、ルミエーラは式の全容を理解する前に解いてしまう事も暫しあり、今回の様な自体になってしまう事も多々あるのだ。
「つまり、あの時から封印されていたって事になるのか……」
クレアリスが幼いままだった所以をしり、ルミエーラは複雑な心境を抱える。
「アイリス、そんな事をしても無駄よ。だけど安心して、その内目を覚ますわ。上の部屋にでも連れて行ってあげて」
クラリーチェは床に背中を付けたまま、視線だけをアイリスへと向ける。
「リーチェ、お前はこれからどうするんだ?」
「そうね、役目も無くなってしまった今、自然に消滅するのを待つ事しか出来ないわ」
「私の元に来るつもりは無いか?」
役目の無くなった従者は、行く行く存在が消滅してしまう。魔女との契約を失うという事は、従者であり、魔人である彼女たちにとって死と同義なのである。
ルミエーラは彼女の消滅を防ぐ為か、彼女を自分の従者に誘うのであった。
「アイリスもいるし、私にとって魅力的に見えるわね。でも、私の主は――だけと決めているの」
彼女は自身の消滅も厭わない。
従者とは、付き従う者を意味する。つまり、主を変えるという事は、そう簡単に割り切って考えられない事なのだ。
「なら、クレアリスの事を見守ってやってくれないか。お前に与えられた事は、この子を守る事も含まれていたんじゃないか? この子が大きくなるまででいいから私の従者になるといい。その後に、クレアリスの従者になるというのはどうだろう」
「私は……」
クラリーチェに迷いが生じる。消滅を受け入れていた彼女が初めて揺らいだ瞬間だった。
「私はクラリスがいてくれた方が助かるわ。きっと――もわが子の行く末を案じているに違いないもの。クレアリス様を見届けるのも貴方の役目の一つだと私は捉えているわ」
アイリスはクラリーチェの傍に寄ると、彼女の治療を再開する。
「そうね。私もクレアリス様の事は心配だわ。不本意だけど、ルミエの従者になってあげてもいいわ」
クラリーチェは自身の主の最後の言葉を思い出す。
『クラリス。貴方に最後のお願いがあるの。クレアの事をよろしく頼むわ。この場所でクレアを守ってあげて欲しいの』
その言葉の中に、封印が解かれたら終りとは、明言されていなかった。
この場所で、この部屋で侵入者を拒み続ける事だけしかしなかった彼女は、その後の事など考えた事も無かったのだ。
封印が破られた今、この場所で、この城の中で、クレアリスの事を見守って行こうと心に決めるクラリーチェだった。




