2話 『氷の花弁と』
青味の強い床は、室内の光源を受け、ターコイズブルーに鈍く光っていた。
ルミエーラとアイリスが再び転移した先は、今までいた部屋よりも、1回り以上狭い空間だった。
床の色は同じだが、中央に透明な液体の入った水槽は無い。それどころか、研究資料や魔術書、机や椅子の類も存在しないのである。
しかし、こちらの部屋には今までの部屋にはない物が存在した。
「あれは……」
「クラリスのジュエリーです」
2人が同時に視線を向けたのは、中央に鎮座するオブジェだった。それは、台形の形をした台座の上に、3つの金属の輪が交差する様に乗っている。
その中心には、白銀に輝く魔法石を付けた指輪が浮いていた。
天井からの光は、オブジェにだけ光源を向ける。その光を受けた魔法石は、ダイヤモンドの様に煌めくのである。
「あいつが何で、ここに?」
ルミエーラの中で疑問が渦巻く中、突如として指輪に付けられた魔法石が、より一層強い光を放ち始める。
すると、オブジェの輪の中に、1人の少女が姿を見せたのだ。
青藤色に染まる髪の毛は、首元で青いリボンによって2つに結ばれていた。
白と青を基調とした服装は、空中に浮遊している事もあり、袖口やスカートの裾がヒラヒラと旗めいている。裾にあしらわれたフリルが波打つことで、女の子特有の可愛らしさが強調される。
その愛らしさに反した冷たい視線で眼下に見える侵入者を捉えるのであった。
「アイリス、ルミエ、久しぶりね。だけど、早々に帰ってもらう事になるわ」
静かな口調で話しかける少女は、輪の間から体を通すと、地に足を付ける。
「リーチェ、私は用があってここに来たんだ。――の残した施設は何処にある?」
「その呼び方は好きじゃ無いわ。それよりも、早くこの場を立ち去ってくれないかしら。じゃなきゃ――」
「じゃなきゃどうするんだ? 私たちと戦うとでも言うのか?」
少女の言葉を遮るように、ルミエーラは疑問をぶつける。
「そうね、力づくにでも追い返すしかないわ。だって、それが私に与えられた使命なのだから」
少女は右手を前に翳すと同時に魔法陣を形成する。それを見るや否や、ルミエーラとアイリスは防御体制に入るのだ。
屋内では動ける空間が限られており、回避する事は困難を極める。少女が形成した魔法陣からは、手のひら大の氷の塊が生成されるのだ。
槍の様に先端の尖らせた氷塊は、その切っ先をルミエーラとアイリスに向けられていた。
「まて、私はお前と戦う為に来たんじゃない」
「貴方たちの都合なんて知らない」
冷たい口調で言い放つ少女は、ルミエーラの静止も聞かずに、生成した氷塊を2人に向かって放つ。
アイリスはルミエーラと氷塊の前に立ちはだかると、両手を前へ突き出す。すると氷塊は、彼女の目の前で砕け散るのだった。
アイリスの形成した防御魔法は、目に見えない障壁となり、氷塊の行く手を遮った。氷塊が直撃した一緒だけ、虹のように複数の色に彩色されるのだ。
アイリスが氷塊を防いでいた間、ルミエーラは何もせずに見ていた訳では無い。彼女は魔法陣を描き、魔法の発動の準備を行っていたのだ。
両手の魔法陣から放たれた雷撃は、合計6つに渡る。そのどれもが半円を描き、目の前に立ち塞がる少女に向かっていく。
しかし、その全てが少女の防御魔法によって防がれてしまうのだった。
魔法によって生み出された障壁は、雷撃の侵入を拒むように弾いた。それは、雷撃が少女の身体まで届かない事を意味する。
しかし、ルミエーラの攻撃は、これで終わりでは無かった。散在するはずの雷撃は空中に留まり、お互いを紐状に結びつけ始める。
それは、まるで蜘蛛の巣や網のように少女を取り囲む。ドーム状に広がった雷は、時折バチバチと音を鳴らしながら、部屋の中に新たな光源を作るのであった。
「リーチェ。何故、戦う必要があるんだ?」
「名前を呼ぶならクラリーチェもしくはクラリスと呼んでくれないかしら」
雷の檻によって拘束された少女は、攻撃の手を休める。不機嫌そうな物言いは、訂正しても呼び方を変えないルミエーラに原因があるのだろう。
「戦う必要は無いわ。貴方たちが大人しく帰ってくれるのなら」
「私は目的があってこの場所に来ている。そう素直に帰ることは出来んな」
ルミエーラもクラリーチェと名乗る少女も、お互いに引くつもりは無いようだ。
「話は終わりよ。ここに居座る限り、戦う理由が出来てしまうのだから」
クラリーチェが床に両手を付けると、雷の檻の内側一杯に広がる魔法陣を描く。すると、雷の檻を突き破るように、氷柱が八方に出現する。
花が咲く様に周囲に広がった氷柱は、芸術品の様な美しさを見せる。その花冠の様に美しく咲く氷柱は、室内の半分を占拠する程、巨大なものだった。
その氷で形成された花弁を彩る様に、クラリーチェの背中にあるオブジェが花芯の様に中奥付近にそびえていた。
「アイリス、大丈夫か?」
「はい、何とか」
アイリスはそう言うが、左腕を負傷していた。咄嗟に防御魔法で障壁を作るも、壁際まで吹き飛ばされてしまったのである。
その際に、左腕を壁に打ち付けてしまい、強い打撲を負うことになってしまった。
ルミエーラはというと、早々に防御を諦め、壁際まで退避する行動を取っていた為、傷を負う事は免れていた。
「あのくらいの魔法じゃ、私は拘束されないわ」
クラリーチェを囲っていた雷の檻は、今の氷柱の衝撃で、跡形もなく打ち消されてしまっていた。
「余り私を怒らせるなよ」
ルミエーラは鋭い目付きでクラリーチェを睨む。
それは、アイリスを傷つけられての事なのか、クラリーチェに足止めされて事が上手く運ばないからなのかは定かではない。
しかし、彼女の内情は、怒りが沸沸と湧き上がって来ていた。
「別に貴方の怒りを買うつもりは無いわ。ただ、私は与えられた役割に従っているだけに過ぎないのだから」
「それは――に与えられたものなのか?」
「そうよ。これは従者として私に与えられた最後の役目だもの。貴方たちが引かないのなら容赦はしないわ」
ルミエーラは湧き上がる感情を抑え、クラリーチェと戦う覚悟を決める。
何故ならば、彼女のいう言葉が本当ならば、その忠誠心を失わせる事は不可能に近いからだ。
「私は手加減が下手だからな。消滅しても怨むなよ」
「安心して、そんな事はしないわ。だってルミエも――の大切な人なのだから」
ルミエーラは大小様々な魔方陣を同時に複数、周囲に展開させる。
突き出した右手の前に大きい魔法陣を1つ、その周囲に中くらいの魔法陣を3つ、そして更に外側に小さな魔法陣を10も同時に扱う。
小さな魔法陣から矢尻の様に鋭く尖った三角形に形成された雷が出現する。それらは、くの字を描いてクラリーチェへと迫っていく。
部屋の半分を占める氷の花弁は、双方の行動範囲を制限する。つまり、速度の早い雷魔法を回避するのは困難だという事だ。
クラリーチェは自身の周りを防御魔法で覆う。彼女にとって魔法防御は得意とする分野だが、速度と貫通力に優れた雷魔法を全て防ぐ事が出来なかった。
「くっ」
クラリーチェに命中した雷魔法は3つである。左腕と右脚、それに腹部に当たった事になるのだが、彼女の幾重にも重ねた防御魔法を完全には破る事が出来ずに、打撲程度のダメージしか受けてはいなかった。
しかし、ルミエーラの攻撃はこれで終わった訳では無い。
中型の魔法陣2つから放射状に雷が放たれる。それは、クラリーチェに攻撃を仕掛けながら、周囲の氷柱を砕いていくのであった。
クラリーチェは継続的に向かってくる雷を防御するので精一杯になる。一瞬でも防御を怠れば、雷が直撃するのはあからさまだ。
彼女が防御に徹している間に、ルミエーラは大きな魔法陣の発動に向けて、意識を割くのだった。
中型の魔法陣から放たれる雷で彼女の行動範囲を限定し、狙いを定める。
大型の魔法陣の中に描かれている4つの魔法陣から、雁股の形状をした雷が4つ、クラリーチェの四肢に向かって放たれた。
それらは、彼女の防御魔法を突き破って、狙いを定めた箇所を捉えるのであった。
雁股は彼女の四肢それぞれの手首と足首に触れると、枷の様な形状へと変化する。その枷は、出現した魔法陣との間を、雷の様に発光する鎖で繋がれていた。
防御に専念する他なかったクラリーチェにとって、この拘束を回避する手立ては存在しなかった。
この様な高度な魔法の猛攻は、ルミエーラが才ある魔女であるから可能な芸当だと言えよう。
「リーチェ、もう一度聞く。――の残した施設は何処にある?」
「私に聞かれても困るわ。ルミエが後継者に相応しいなら自ずと分かるはずよ」
拘束されているにも関わらず、クラリーチェは涼しげな表情を崩さない。
それは、彼女の余裕の現れなどではなく、与えられた役割を全うしようとする使命感からなるものであった。
「アイリス、動けるなら施設への入口を探してくれ」
「承知しました」
ルミエーラからの指示を受け取ったアイリスは、左腕を抑えながら部屋の中を捜索し始める。
先程通ってきた壁の様に、隠されている可能性が高い。となると、封印式が施された場所を頼りに探していくしかなさそうだ。
「私が抵抗せずに待っていると思っているのかしら?」
クラリーチェは手足を拘束する枷を外す為に、拘束魔法の解除をし始める。
「アイリス、長くは持ちそうにない。なるべく早く見つけてくれ」
ルミエーラはクラリーチェの抵抗を妨げる為に、枷の拘束力を強める。それでも尚、彼女を永遠に拘束し続ける事は困難だと言えよう。
つまり、拘束が解かれるのも時間の問題だという事だ。
アイリスはその間、部屋のどこかに隠された入口を探す。早くしなければ、拘束魔法を解いたクラリーチェに邪魔をされてしまうだろう。
そうなれば、主の意に背く結果になってしまう。それだけは、彼女にとっても許し難い最悪の結果と呼べるものだった。
壁伝いに進みながら封印式の痕跡を探る。もしかしたら、クラリーチェのいる付近、それこそ3つの金属の輪が重なったオブジェに隠されているかもしれない。
アイリスは逸る気持ちを抑えて、虱潰しに部屋の壁を確認していく。
部屋の中を一周し、元の場所に帰ってくる直前、アイリスは封印式の施された場所を発見する。
それは、この部屋の入口と同じ壁の面に位置した場所に存在した。
「ルミエ、見つけました」
「そのまま式の解除作業に入れ」
アイリスは返事をすると、壁際に向き直る。手で触れると、壁に封印式が浮かび上がってきた。
もしも、反対側から回っていたら、もっと早く見つけていたに違いない。後悔が頭の中に過ぎるが、アイリスは封印式をいち早く解くために、尽力していくのだった。
しかし、アイリスの報告を聞いたクラリーチェが静かにしていることも無く、拘束魔法の解除を早めていく。
彼女の魔力に呼応する様に、雷で出来た枷と鎖は、バチバチと音を立てながら光源を強める。その音は、拘束魔法が解ける前兆とも言えるほど、激しさを増していく。
その時、バチンと音を鳴らし、クラリーチェの左足を拘束する枷が外れてしまった。
効力を失った拘束魔法の一つは、鎖と共に、その場から消失してしまう。
「この部屋は私に残された最後の場所なの。これ以上貴方たちの自由にはさせないわ」
クラリーチェの言葉と共に、右手を拘束する枷が外された。
右手が自由にはなった彼女は、枷の解除と並行して、アイリスに向けて魔法で攻撃しようと試みる。
「自由は私の性分でな、いくら邪魔されようと譲る気は無い」
ルミエーラはクラリーチェが魔法陣を形成するよりも早く、待機させてあった中型の魔法陣を使って魔法を発動させる。
それは攻撃力だけに重点を当てた、至ってシンプルな魔法だった。魔法陣から放たれた雷撃は、唸りを上げながらクラリーチェに直撃する。
「あ゛あ゛あ゛っ」
人一人を軽く飲み込む大きさの雷撃は、最短距離で少女の体を貫くのであった。
拘束が完全に解けていない彼女が、これを防ぐ事など出来るはずもなく、その場に崩れ落ちてしまう。
「アイリス、封印は解けそうか?」
「すみません。もう少し時間を要します」
ルミエーラは一息つくと、その場に座り込む。封印の解除を待つ間、消耗した体力を少しでも回復させるためだった。
クラリーチェの左手と右脚を拘束する魔法を解除する。拘束具が放っていた光が無くなると、部屋の中を照らす光源は、3つの輪が重なるオブジェの上にある照明だけとなった。
ルミエーラは、気を失って倒れた少女の方に視線を向ける。手加減はしないと言ったものの、最後の雷撃に関しては、多少は威力を抑えたつもりだった。
それでも少女の防御魔法を突き破るには十分すぎる威力を持っていた。
少女の体が消滅していない事が遠目に確認できると、ルミエーラはホッと胸を撫で下ろした。
何故ならば、成り行きとはいえ彼女と戦う事になってしまったが、それはルミエーラの本意ではなかったからだ。




