私は雨が嫌いだ。
*
相変わらず、雨のよく降るこの地で。
「いいなぁー、沖縄ぁー、行きたいなぁー」
ちんすこうを齧りながら、中谷会長は心底羨ましげな声をあげた。
中谷会長が食べているのは、沖縄の葵さんから送られてきたもの。今年の三月に大学を卒業した葵さんは、沖縄の恋人の元へお嫁に行ったのだ。読み間違えられてきた苗字も変わり、今の葵さんは『比嘉葵』さんだ。
「今度は美味しいゴーヤチャンプルーが作れるようになってくるからね」
最後に挨拶をした時、そう言って笑った葵さんはとても幸せそうだった。
カップを洗っている古場さんが、ぐでっとしている中谷会長に声をかける。
「沖縄に思いを馳せていても、その課題は終わらないぞ」
「う、……息抜きの夢ぐらい見せてください」
ますます項垂れる中谷会長に、ノートパソコンでBGM用のディスクの編集をしている陽介さんが追い討ちをかける。
「で、その課題の期限はいつまでだって? ゆかりさんとの約束は何だったっけか?」
「……期限は明後日。母さんとの約束は『提出課題を出しそびれるごとに、自費で問題集を一冊購入』……、ってあぁもう! やりますよ! やりますって!」
「よし、その意気だ」「応援してんぜー」「他人事だと思って二人ともさぁ」
そんなやり取りを耳にしつつ、私はちんすこうの入っていた箱の包装紙を手に取った。
鮮やかな色で描かれた、シーサーと、よく晴れた空。
夏場の台風は多いかもしれないけど、いい天気の日は空が綺麗なのだろうな。
そんなことを考えていると、視線を感じた。
「笠見さんって、今でも雨が嫌い?」
……やりますと言った舌の根も乾かないうちにこの人は。
しかも、雨の日のグッズを専門に扱ったこの店内での、その質問は答えづらいです。
「颯子ちゃん、雨嫌いだったんだ?」
陽介さんが話に加わり、はい、と私は仕方なく頷いた。すると、
「だよなぁ、やっぱり。俺も嫌いなんだよな」
「というか、好きな人はあまり居ないんじゃないか? 風情があるっていうのは分かる気もするが、万人受けするものでもないだろう」
予想外にも陽介さんだけでなく、古場さんまで頷いて同意した。
軽く驚いている私に、中谷会長が「全員一致、満場一致」と何処か嬉しそうに言う。
「陽ちゃんはバイク乗りだから、雨が嫌いなんだよ。走りにくいし、危ないしね。古場さんはもちろん遺伝の髪質が一番の原因。俺は学校行事のときに雨が降ると色々と面倒くさいー、ってことで、此処に居る全員が雨が好きではない、のです!」
「……のです、か」
私が頷くと、中谷会長は急に真面目腐った顔になった。
「それで、やっぱり笠見さんは雨が嫌い?」
あまりに真剣な声だったから、正直に答えてもいいものかと少し戸惑った。
「嫌いです、今でも」
だけど次に言われた言葉に、
「俺のこと名前で呼ばないの、そのせい?」
思わず本音を返してしまった。
「……………馬鹿ですか?」
陽介さんが盛大に爆笑をした。
「ちょ、『馬鹿じゃないですか』ならまだしも『馬鹿ですか』って!」
薄く涙眼になった中谷会長が騒ぐ後ろで、陽介さんがヒィヒィと肩を震わせている。
その丸まった背を、呆れつつも笑っているような表情で、古場さんがさすっている。
――……何だ、この光景。
ただひとつの問題点?は、それだった。
私は、中谷会長が生徒会長ではなくなってからも、彼のことを『中谷会長』という変わらない呼び名で呼んでしまっている。それを前々から夕香から指摘されていて、だけど中谷会長自身はどう呼ばれようと気にしていないようだったから、「……まぁそのうちに」と流し半分に呼び慣れた名を使い続けていたのだ。
他の先輩方のことは『矢面さん』などのように「さん付け」で呼んでいる。でも私は中谷会長のお祖父さんのことを『中谷さん』と呼んでしまっていて、なんとなく中谷会長のこともそう同じ呼び方をするのがしっくりこない。それなら、と名前の方で呼ぼうとしなかったのは、ちょっと馴れ馴れしいなという思いと、なんだか気恥ずかしいという気持ちからだ。
決して、『雨』の字が入っているからなんて馬鹿馬鹿しい理由ではない。
「はー…、ほんっと、笑わせてくれる……」
ようやく収まった笑いに陽介さんは涙を拭い、
「お前は笑い過ぎだ。咳き込まなかっただけマシだがな」
腕を組んだ状態の古場さんは、ふっと息を吐く。
すっかりいじけてしまったらしい中谷会長は、
「はいはい、どーせ馬鹿ですよーだ。桜也に迷惑かけて、やおちゃんに遊ばれて、ヨッシーくんに馬鹿にされて、みずうっちゃんに慰められる馬鹿ですよーだ」
椅子の上で体育座りをして、ぶちぶちと文句を漏らしていた。
貴方、何歳児ですか。
――というか、何者ですか。
やけにフレンドリーで、朝偶然出会っただけの後輩を雨やどりに誘ったり。
時々天然タラシで、誤解されそうなことをサラリと言ってのけたり。
妙に良い交友関係を築いていて、周りの人に上手く助けられてたり。
変な名前の、元・生徒会長。性格もやっぱりちょっと変な人。
雨から始まった縁というのは、今でもやっぱり雨嫌いの私にはあまり良いものとは思えないけど、それでも彼自身のことは嫌いではないと思う。一応。
そしてもちろん、そんな彼の名前も、嫌いなんかじゃない。
私は初めて、目の前でいじけている先輩を名前で呼びかけてみた。
湧いて出てきた恥ずかしさには、全力で蓋をした。
彼はきっかり五秒ほど固まってから、
「はい、中谷雨里です」
ニッと笑って、片手を挙げた。
「変な名前だから、覚えやすいでしょ?」
そこで鮮やかに雨があがろうものなら、それこそ月並みで三流、ありがちな恋愛小説のようだったのだろうけど。そうはならないこの地元だからこそ、雨降りの今日、私がさっさと帰らなかった理由でもある、この『BLACK D●T』は存在するのだ。
私は雨が嫌いだ。大、をつけるかどうかは、――……少し、迷う。
これにて『BLACK D●T』は完結です。
お付き合い有難うございまいた。




