帰宅と出社
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雨が止んで、矢面さんに傘を返した私と夕香は先に『BLACK D●T』を出た。
矢面さんの傘は乾かしてから返そうと思っていたけど、本人が、
「いーわよー、別にこのくらい。それに、帰る頃には乾いてると思うし」
と、古場さんに了承を取ってから店内で広げて乾かしていたので、その言葉に甘えさせてもらった。
夕香とも分かれ、さっさと歩を進めて、帰宅したのは六時前だった。
「ただいま」
普段は誰も居ない家に自分で鍵を開けて入るけど、今日は土曜日。翔と、珍しく土曜に休みのとれた母さんが居る。
鞄を置いて手を洗おうとダイニングに入ると、スーツ姿の母さんがコロッケにラップをかけているところだった。
「あぁ、颯子。遅かったわね」
「ん、ちょっと寄り道もしてたから。今日、休みじゃなかったの?」
夕食を食べるテーブルを囲む四つの椅子の一つに、持っていた鞄を置く。ついでに制服のリボンも外してそこにかけた。
それがね、と、髪をかきあげた母さんが困ったように言う。
「母さん、これからちょっと出かけることになったから」
「……これから?」
「なんだかね、母さんの担当のお客さんが急にやって来たらしいの。式のことで変更したいところがあるんですって。来週じゃ来店の都合がつかないらしくて。ごめんね」
母さんの仕事はブライダルコーディネーターで、土曜日の休みが珍しいというのもそれが原因である。
式や打ち合わせは土日に集中していることが多いのだ。
「いいよ、仕方ないでしょ。いい式にしてあげて」
気にしてない、と軽く手を振ると、母さんはありがとねと笑った。
「冷蔵庫にサラダもあるわ。あと、お汁は何か作ってくれる? 父さんもそろそろ帰ってくると思うから、母さんのことは伝えておいて」
「分かった。翔は居るんだよね、部屋?」
何気なく口にした質問に、母さんは動きを止めて真面目な顔になった。
「……颯子。翔が、大阪の方に進学したいって言ったら、あなたどう思う?」
「そう言ったの? この間の三者面談で?」
今週の始め、仕事を休んだ母さんは翔の三者面談に行ったはずだ。
母さんはゆっくりと頷いて、「どう?」と回答を促した。
「いいな。あっちの地方って此処よりは雨少ないよね」
私が正直な意見を答えると、ぺち、と額を軽く叩かれる。
「他人事だと思って。弟の受験のことなのよ?」
割と本気で睨まれた。
「まぁ、この話はまた時間のある時に翔としなくちゃいけない話ね。翔がどの程度本気なのかも分からないし。とりあえず行ってくるわ。お汁、お願いね」
「行ってらっしゃい」
母さんは慌しく出て行って、それを見送った私は手を洗うために洗面台へ向かった。
そういえば、翔のはっきりとした志望校は今まで聞いたことが無かった。
――大阪の方……つまり県外か。
弟と仲は悪くもない、むしろ基本的には仲のいい姉としては、「大丈夫?」と心配する気持ちがありながらも、「頑張れ」と応援する気持ちもある。
翔が行きたいところに行きなよ、という、応援に見せかけた放任の気持ちも少し。