今日の私たちにあったこと
葵さんは私の表情を見て、笑った。
「って偉そうに言ったけど、颯子ちゃんも自分でそう思ってるみたいだね」
改めて考えてみた。
あの時、情報を素直に受け入れてしまった夕香は、私と、自分の好きな人が付き合っているんだと思い込んで傷ついただろう。だけどそのショックを一生懸命に隠そうとしながら、夕香は私に謝った。
それなのに、それは夕香が自分の痛みを堪えてまで良かれと思ってしたことなのに――、
――私はそんな夕香に対して、どんな態度をとった?
どうして、さっきまでその夕香の思いやりが『悪い』と決め付けていたんだろう。
ちゃんと説明をして、ちゃんと誤解を解いていれば、私は、私たちは、今日一日を不快な気分で過ごす必要は無かった。
あの時は確かに身体中で怒りを感じた。
だけど今は、全くその感覚が思い出せない。
今日の喧嘩は、いったい何だったの?
「なんか……、?」
自分の中の疑問に困惑していると、葵さんがまたにこりと笑った。
「どうして怒ったんだろうって、思ってる?」
ずばりと言われ、驚く。思わず、頷く。
葵さんはカップを抱え込みながら、経験者だからねと胸をそらした。
「喧嘩ってね、どうしてかよく分からないけど、そういうものが多いの。人に話してみると、意外と『あれ、どうして?』って思うようなことが発端だったりするの。たぶん、自分の中だけじゃ、かあっと上がっちゃった感情に上手く整理がつけられないのね」
葵さんは私を見つめ、でも、と区切る。
「もう颯子ちゃんは、その発端が『どうして?』程度のものだって気付いたでしょ? だったら、このままじゃ勿体無いってことにも、気付いてるよね」
「……はい、お陰様で」
「私は自分の意見を言っただけ。気付いたのは颯子ちゃん自身。次にどうするのか決めるのも颯子ちゃんだよ。……頑張ってね」
そう言う葵さんに、
「一応、人生の先輩らしい言葉だな」
と、古場さんが苦笑した。
葵さんは古場さんに目を移すと、軽く顎を上げるようにして言う。
「まぁ、私もいろんな喧嘩を乗り越えてここに居るわけですからね。その節は、どうもお世話になりました、私の人生の先輩さん」
「いいえ。いつでもお待ちしておりますよ」
どうやら、古場さんは色々と葵さんの相談を受けてきたようだ。
きっと葵さんも、古場さんに話を聞いてもらって「あれ、どうして?」と思ったのだろう。
そうして今の私のように、振り返りや反省の後に、どうするのか選んできたのだろう。
いつも冷静に物事を眺めることの出来る古場さんを選ぶ理由は、分かる気がする。
「で、笠見さん。どうやって喧嘩したの?」
……きっと誰も、間違ってもそんな点にこだわる中谷会長のような人に相談はしない。
「殴りあった痕は見当たらないけど、……まさかボディ狙いで? クラスで学級会が開かれちゃったりしないように? 親にバレて学校に乗り込みされたりしないように?」
それはどちらかというとイジメのときの考えじゃないのか。
「え、っと」
会話をしなかった?
「女子のやることっていうと、これは偏見があるかもしれないけど、無視とかかな。でも、話さない日なんて年中いつでもあるよねぇ。クラスメイト全員が仲良いって訳でもないし」
一緒に弁当を食べなかった?
「都合によっちゃ、いつも一緒にいる人とだって、いつも一緒にしてることをいつも一緒に出来るとも限らないんだし。……あれコレも矛盾になる?」
頭に思い浮かべたことが、口に出す前から即座に否定されていく。
今に、今日一日私と夕香の間にあった『喧嘩』を中谷会長は全否定してしまうだろう。
(…………喧嘩の全否定……?)
「――中谷会長」
「なに?」
そうですね。
私と夕香は、少しだけいつもと違う日を過ごしただけです。
そんな日もあります。――……ってことに、しておこうと思う。
「ありがとうございます」
「……なんか思いがけずお礼言われちゃったんだけど、何で?」
答えを求めて、中谷会長は古場さんを振り返った。
心底困ったような中谷会長の顔に、葵さんが口元を隠して笑う。それに対して、中谷会長がますます不思議な顔つきになる。
人の心を察するのが上手い古場さんには、私が何をどう思って中谷会長に礼を言ったのか、分かっていたと思う。
それでも古場さんは答えなかったけど、
「まぁ素直に受け取っておけ。笠見さんからのお礼も、コレも」
「あ。サルだ、サル! 笠見さん、やっぱりサルもあったよ、ほらっ」
二本目のべっこう飴を貰った中谷会長は、嬉しそうだったからいいんだと思う。