裏側の端先
「今は九月を製作中。実はもう、八月は完成してるんだ」
話が一区切り付いた時、山崎さんがそう言った。
「へぇ。出来上がりはどんな具合なんだよ?」
陽介さんが興味津々に尋ねる。愛好者である私も、新作の話には食いつかずにいられない。
流石にまだ本物は渡せないんだけど、と笑った山崎さんが、自分の鞄から小さなビンを取り出した。 芳香剤の売り場でよく見かける、テスターのようなものだ。
「これが八月のサンプルパート3だ。完成品は、もう少し改良してある」
ビンを受け取り、そのフタを開ける。手であおぐようにして匂いを嗅いだ。
――夏真っ盛りの八月。
それを念頭においていたせいか、本当に雨の匂いがしたわけではないのに、浮かんだのは、いきなり降ってきた激しい夕立と、それが止んだ後の雨に濡れたヒマワリだった。
匂いがイメージとなって、私の中に原色の黄色が広がる。
率直に、凄いと感じた。
でも四月の製作から携わっていた陽介さんが出したのは、私と違って痛烈な意見だった。
「柑橘系の匂いがえらく濃いな。夏蜜柑ってか? 制汗剤によくある匂いに近い。雨ってもんが持つイメージとはちょっと離れる気もするけど」
私は心の中だけで感嘆の呻きをあげる。
……確かに、考えてみるとそうかもしれない。私が思い浮かべた激しさや鮮やかさは、ライムやレモンの酸っぱさ、その匂いの強さと似ている。陽介さんの意見は的確で、ただ「凄い」とだけしか感じられなかった自分を少し恥じる。
ビンを返す陽介さんに、山崎さんは苦笑をした。
「そこだ、改良点は。それでも残念なことに柑橘系の強いイメージは残ることになったが、このサンプルよりは良くなってる。本物は、実際に市場に出てから試してくれ」
「ほー。じゃ、期待しとくわ」
それから後は、今後の月雨シリーズの開発について話し合った。
それぞれの月のイメージを話合ったり、そのイメージを山崎さんが取り出したスケッチブックに描いたり。色鉛筆を手にしながら、夕香の好きそうな作業だなと、今頃部活動で汗を流しているだろう友人のことを思った。
陽介さんの描いたトマトのような柿に山崎さんがツッコミを入れ、山崎さんの描いた雪だるまに「冬でも雨シリーズにするんですか、雪じゃなく」と私が意見し、私の意見に陽介さんが手を打った。
「そうか、確かにそうだよな。雪って言やぁ、十一月から一月ぐらいか?『ホワイトクリスマス』ってイベント性を重視するなら、十二月だけってのもアリだな」
「となるとイメージカラーは白か……? 今あがっている他の月とのカブりは無いし、その線でいけるな。と、まぁそれは今後追々としても、まずは近年の気象情報を確認してみよう」
陽介さんが意見を言い、それを受けた山崎さんがメモを取りながら発展させる。
二人のやり取りを黙って眺めつつ、私は感嘆していた。
こうやってあの月雨シリーズが作られてきたのだと、その一場面に――それはほんの一部だろうけど、それでも普通は見られない面に――今自分が関わっているのだと再認識をすると、なんだかとても感慨深く思えてきた。
手帳に走り書きを連ねていた山崎さんが、一通り書き終えてにこりと笑う。手帳を閉じて鞄にしまい込み、時計を一瞥した。
陽介さんに目線をやり、陽介さんがそれに頷く。
「今日の颯子さんの意見は、とても有益なものばかりだったよ。ありがとう。結構な時間がかかっちゃったけど、疲れてないかな」
「はい。楽しかったです。こちらこそ、ありがとうございました」
今日のこの話し合いは、勉強になったというか、少なくとも私にも有益だった。
答えた私の肩を軽く叩き、陽介さんが笑う。
「じゃ、行くか。今日の本命、『街灯』鑑賞!」
私も笑顔で大きく頷き、だけど頷きながら思う。――本命って、そっちでいいの?