第2章 霞む境界線
1 何気ない会話
金曜日の夜。
けんたの部屋には、テツ、そうすけ、カイの3人が集まっていた。
テーブルの上には、コンビニで買ってきた弁当やお菓子、飲みかけのジュースが並んでいる。
テレビではバラエティ番組が流れていたが、誰も真剣には見ていなかった。
「なあ、ちょっと聞いていい?」
けんたがソファに寝転がったまま口を開いた。
「何?」
そうすけがスマホから顔を上げる。
「この前の銀行強盗の話、覚えてる?」
テツがすぐに反応した。
「ん?」
「いや、ちょっと気になってさ」
「お前、本当に好きだな」
テツは呆れたように笑った。
けんたは気にする様子もなく、テレビのリモコンを手に取った。
「だって、すごくない?普通に生活してた人間が、ある日突然、大金を手に入れるんだぜ」
「普通じゃないだろ。犯罪者だぞ」
カイが冷静に言った。
「分かってるって。もしもの話だよ」
「そのもしもの話が好きだな、お前は」
そうすけが笑った。
けんたは起き上がり、テーブルに置いてあったポテトチップスを開けた。
「でもさ、もし大金が手に入ったら何する?」
「仕事辞める」
テツが即答した。
「早いな!」
「だって、毎日仕事ばっかりだぞ。休みの日だって疲れて寝て終わり。何のために働いてるのか分からなくなるときがある」
テツは袋からポテトチップスを一枚取り出した。
「金があれば、少なくとも今よりは自由になれるだろ」
「確かにね」
そうすけがうなずいた。
「俺も、家族にもう少し楽をさせてあげたいかな」
「そうすけらしいな」
けんたが言った。
「カイは?」
「別に、今すぐ欲しいものがあるわけじゃない」
カイは少し考えてから答えた。
「ただ、今の生活をずっと続けることが正解なのかは分からない」
「お前も不満あるんだ?」
「不満がない人間なんていないだろ」
「まあ、それはそうか」
けんたは笑った。
「じゃあ、みんな今の生活に満足してないってことじゃん」
「それと銀行強盗は別の話だ」
カイはすぐに返した。
「分かってるよ!」
部屋に笑い声が広がった。
その日は、いつものように冗談を言い合って終わった。
少なくとも、3人はそう思っていた。
2 それぞれの毎日
それから数日後。
4人は、それぞれいつもの生活に戻っていた。
カイは職場で上司から仕事を任されていた。
「この資料、明日までにまとめておいてくれ」
「分かりました」
「最近、仕事が早くて助かるよ」
「ありがとうございます」
褒められても、カイの表情はほとんど変わらなかった。
仕事が嫌いなわけではない。
むしろ、周囲からの評価も悪くなかった。
しかし、仕事ができるようになればなるほど、任される仕事が増えていく。
帰宅時間は遅くなり、自分の時間は減っていった。
ふと、カイは窓の外を見た。
高層ビルの明かりが並んでいる。
「何のために働いているんだろうな」
その疑問に、答えはなかった。
一方、そうすけは職場で同僚の仕事を手伝っていた。
「そうすけ君、本当にありがとう。助かったよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
そうすけは笑顔で答えた。
頼まれると断れない。
困っている人がいれば、自分の仕事を後回しにしてでも手を貸してしまう。
それがそうすけの性格だった。
ただ、帰宅すると疲れがどっと押し寄せてくる。
食事を済ませ、ソファに座る。
スマホを開くと、家族との写真が目に入った。
「もっと何かしてあげたいな」
そう思っても、できることは限られていた。
テツの生活も、特に変わらなかった。
工場での仕事は忙しく、毎日同じ作業の繰り返しだった。
休憩時間、同僚が話しかけてきた。
「テツ、今度の休み何するんだ?」
「別に。寝てるよ」
「またかよ。たまには遊びに行けばいいのに」
「遊ぶ金もそんなにないしな」
テツは缶コーヒーを飲んだ。
「給料も上がらねえし、仕事だけ増えるし。やってらんねえよ」
「まあ、みんなそんなもんだろ」
同僚は笑った。
テツは何も返さなかった。
みんな同じ。
その言葉が、なぜか妙に腹立たしかった。
そして、けんた。
けんたは仕事を終えて帰宅すると、いつものようにソファに寝転がっていた。
動画を見たり、ゲームをしたり、友人と連絡を取ったり。
特別不幸なわけではない。
生活に困っているわけでもない。
ただ、毎日がつまらなかった。
「何か面白いことないかな」
スマホをいじりながら、けんたはつぶやいた。
ふと、昔の写真が目に入る。
高校時代の5人。
コウジが真ん中で笑っている。
「またみんなで何かしたいな」
けんたは写真を眺めたあと、スマホを閉じた。
3 再び集まる4人
週末。
4人は、けんたの部屋に集まっていた。
「最近、何か面白いことあった?」
けんたが聞いた。
「特にない」
カイが答える。
「俺も仕事ばっかり」
そうすけが笑う。
「俺なんか、毎日同じことの繰り返しだぞ」
テツがソファに座りながら言った。
「みんな疲れてんなあ」
けんたは楽しそうに笑った。
「お前は楽しそうだな」
テツが言う。
「俺は毎日楽しいよ」
「何もしてないだけだろ」
「それが一番幸せなんだって!」
カイが小さく笑った。
しばらく雑談をしていたが、けんたは突然思い出したように言った。
「そういえばさ、この前の銀行強盗の話だけど」
テツがすぐに顔をしかめた。
「まだ続くのかよ」
「聞いてくれって」
「もう十分聞いた」
「いや、今回はちょっと違う」
けんたは真面目な顔を作った。
「もし本当に大金が手に入ったら、みんな何したい?」
「またそれか」
テツが笑う。
「仕事を辞めるって言っただろ」
「そうだったな」
「俺は家族のために使う」
そうすけが言った。
「海外に行くのもいいよな」
けんたが続ける。
「海外?」
カイが聞いた。
「そう。昔、コウジと5人で行こうって話したじゃん」
その名前が出ると、少しだけ空気が変わった。
「言ってたな」
テツが答えた。
「コウジ、絶対楽しみにしてただろうな」
そうすけが小さく笑った。
「どこに行きたいって言ってたっけ?」
けんたが聞いた。
「確か、どこでもいいって言ってた気がする」
カイが答える。
「そうそう。みんなで行ければいいって」
そうすけは懐かしそうに目を細めた。
けんたは、少しの間黙っていた。
「俺さ、あの約束、まだ実現してないんだよな」
テツが言った。
「当たり前だろ。まだ誰も海外に住んでないんだから」
「旅行でもいいじゃん」
「まあな」
4人は笑った。
そのとき、けんたが少し身を乗り出した。
「だったらさ、いつか本当に4人で海外に行こうぜ」
「普通に旅行ならいいだろ」
カイが答える。
「いや、旅行じゃなくて、しばらく住むくらい」
「簡単に言うなよ」
テツが笑った。
「いいじゃん。夢なんだから」
けんたはいつもの笑顔を見せた。
4 冗談の中の本音
その日から、銀行強盗の話題は少しずつ4人の間に定着していった。
誰かが言い出すわけでもない。
ただ、何かの拍子に話題に上がるようになった。
ある日、居酒屋で飲んでいたとき。
「なあ、もし一億円あったらどうする?」
けんたが聞いた。
「まずは仕事辞める」
テツが答える。
「そればっかりだな」
カイが笑う。
「だって、それが一番だろ」
「俺は家族のために使う」
そうすけが言った。
「残りは?」
「貯金かな」
「堅実だなあ」
けんたは笑った。
「カイは?」
「投資でもして、将来の自由を確保する」
「さすがカイ」
「お前は?」
カイが聞き返した。
「俺は海外に行く。暖かいところで、毎日好きなことして暮らす」
「お前らしいな」
テツが笑った。
「でもさ、そういう生活って、普通に働いてたらなかなか難しいよな」
けんたがぽつりと言った。
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
「まあ、時間はかかるだろうな」
カイが言った。
「時間か……」
テツがグラスを見つめる。
「俺たち、何年この生活を続けるんだろうな」
そうすけが静かに言った。
その言葉は、4人それぞれの胸に引っかかった。
誰も、今の生活を完全に否定したいわけではない。
仕事がある。
帰る家がある。
大切な人もいる。
それでも、何かが足りなかった。
もっと自由になりたい。
もっと違う人生を見てみたい。
そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていた。
「なあ」
けんたが言った。
「もし本当に人生を変えられるとしたら、どうする?」
テツはすぐには答えなかった。
そうすけも黙っていた。
カイは4人の顔を見回した。
「……方法によるな」
「おっ、カイが興味持った!」
けんたが笑った。
「別に興味があるわけじゃない。質問に答えただけだ」
「じゃあ、考えてみてよ」
「何を?」
「人生を変える方法」
カイは小さく息を吐いた。
「簡単に言うな」
そう言いながらも、完全には否定しなかった。
5 4人の夢
帰り道。
4人は駅まで一緒に歩いていた。
夜風が少し冷たい。
「なあ、みんな」
けんたが言った。
「いつか本当に海外で暮らせたらいいよな」
「まだ言ってんのか」
テツが笑った。
「いいじゃん。夢くらい持とうぜ」
そうすけがうなずいた。
「いつか、みんなで行けたら楽しそうだね」
「コウジも連れていきたかったな」
その言葉に、けんたは少しだけ表情を曇らせた。
「そうだな」
カイは夜空を見上げた。
「5人だったら、もっと騒がしかっただろうな」
「間違いない」
テツが笑った。
4人は、しばらく黙って歩いた。
コウジがいなくなってから一年。
それぞれの生活は続いている。
仕事もある。
毎日やるべきこともある。
それでも、何かが欠けたままだった。
「また集まろうぜ」
けんたが言った。
「おう」
テツが答えた。
そうすけも笑顔でうなずいた。
カイは短く言った。
「次はもう少し早い時間からな」
「お前、いつも帰るの早いもんな」
けんたが笑った。
4人はそれぞれの帰り道へ向かった。
6 残った言葉
その夜、カイは自宅に戻ってもなかなか眠れなかった。
ベッドに横になり、天井を見つめる。
頭の中には、今日の会話が残っていた。
人生を変える方法。
自由な生活。
海外で暮らすこと。
そんなことを考えても、現実には簡単にできるわけがない。
分かっている。
それでも、けんたの言葉が妙に引っかかっていた。
「もし本当に人生を変えられるとしたら……か」
カイはスマホを手に取った。
何となく、4人のグループチャットを開く。
最後のメッセージは、けんたのくだらないスタンプだった。
カイは小さく笑った。
そして、スマホを枕元に置いた。
その頃、けんたも自宅でスマホを眺めていた。
今日の4人の会話を思い出す。
最初は本当に冗談だった。
銀行強盗なんて、映画の中の話だと思っていた。
けれど、みんなの話を聞いているうちに、少しだけ違う感情が生まれていた。
「もし本当にできたら……」
けんたは小さくつぶやいた。
もちろん、まだ何も決まっていない。
ただ、今の生活を変えたいという気持ちは、4人とも同じだった。
そして、その気持ちは少しずつ、危険な方向へと向かい始めていた。




