第1章 ファイブスター
1
「おい、けんた!それ俺のパンだろ!」
放課後の教室に、テツの大きな声が響いた。
「え?何のこと?」
けんたは、口いっぱいにパンを頬張りながら、とぼけた顔をしている。
「お前、今食ってるやつ!」
「これ?俺のだけど?」
「袋に俺の名前書いてあるだろ!」
テツが机の上に置かれたパンの袋を指さした。そこには、黒いペンで大きく「テツ」と書かれている。
「……あ、本当だ」
けんたは一度袋を確認すると、悪びれる様子もなく笑った。
「まあ、もう食べちゃったし」
「ふざけんな!」
テツがけんたの頭を軽く叩く。
「痛っ!暴力反対!」
「人のパン食うな!」
その様子を見ていたカイは、参考書から目を離さずに言った。
「毎日同じことでケンカして、よく飽きないな」
「カイ、お前も何か言ってやれよ!」
テツが助けを求める。
「けんたが悪い」
「ほら見ろ!」
「でも、名前を書いて机に置いておいたテツにも問題がある」
「なんで俺まで怒られるんだよ!」
教室に笑い声が広がった。
そうすけは、そんな3人を見ながら自分のカバンを開けた。
「まあまあ。テツ、これ食べなよ」
そう言って、そうすけは自分のお菓子を差し出した。
「おお、ありがとう」
「そうすけ、優しいな!」
けんたがすかさず手を伸ばす。
「お前にはあげない」
「なんでだよ!」
再び笑い声が起こった。
そのとき、窓際の席に座っていたコウジが、声を上げて笑った。
「お前ら、本当に毎日楽しそうだな」
コウジはいつも笑っていた。
誰かが冗談を言えば、誰よりも大きく笑う。誰かが落ち込んでいれば、何も聞かずに隣へ座る。
特別に目立とうとするわけではない。
けれど、コウジがいるだけで、その場の空気は自然と明るくなった。
「なあ、コウジ。お前も何か言ってくれよ」
テツが言った。
「何を?」
「けんたが悪いって」
「うーん……」
コウジは少し考えるふりをしてから、けんたの肩を叩いた。
「けんた、今度からテツのパンには毒が入ってると思って食べろよ」
「なんで俺が毒入りなんだよ!」
「だって、そんなに怒ってるんだから」
また教室に笑い声が広がった。
コウジは、いつもこんな調子だった。
誰かを傷つけるような冗談は言わない。相手の表情をよく見て、みんなが笑えるところで話を止める。
そのことを、本人は特に意識していなかった。
ただ、みんなと一緒にいる時間が好きだった。
2
放課後、5人はいつものように一緒に帰った。
校門を出ると、夕日が道路を赤く染めていた。
「今日どうする?」
けんたが聞いた。
「どうするって?」
そうすけが答える。
「このあと。ゲーセン行かない?」
「俺はいいけど」
テツがすぐに反応した。
「お前、また金ないんじゃないの?」
カイが言った。
「いや、今日はある!」
「先週も同じこと言ってたぞ」
「今日は本当にあるって!」
「じゃあ、けんたが全部払ってくれるらしい」
コウジが笑いながら言った。
「えっ、なんでそうなるの?」
「お金あるんだろ?」
「あるけど、全部じゃない!」
そんな会話をしながら、5人は歩いていった。
途中、小さな公園の前を通りかかったときだった。
ベンチの近くで、一人の小学生がうつむいていた。
コウジは歩く速度を落とした。
「どうしたんだろう?」
「さあ?」
けんたが振り返る。
コウジは少し考えてから、小学生に近づいた。
「どうした?迷子?」
小学生は首を横に振った。
「違う……」
「そっか。じゃあ、何かあった?」
小学生は少し迷ったあと、小さな声で答えた。
「友達とケンカした」
「そっか」
コウジは無理に理由を聞かなかった。
「仲直りしたい?」
小学生はうなずいた。
「じゃあ、明日話してみたら?今日すぐに無理でもいいじゃん」
「でも、怒ってると思う」
「大丈夫だって。俺もよく友達とケンカするけど、次の日には普通に話してるし」
コウジは笑った。
「友達って、そういうもんじゃない?」
小学生の表情が少しだけ和らいだ。
「ありがとう」
「おう。またな!」
コウジは軽く手を振って、4人のところへ戻ってきた。
「何してたんだよ?」
テツが聞いた。
「ちょっと相談に乗ってた」
「お前、本当に誰にでも話しかけるな」
「いいじゃん。困ってる人がいたら、話くらい聞くだろ」
そう言ってコウジは笑った。
そうすけが、少し感心したように言った。
「コウジって、そういうところあるよね」
「どういうところ?」
「人のこと、よく見てるところ」
「そうかな?」
コウジは照れくさそうに頭をかいた。
「まあ、俺はみんなと楽しく過ごしたいだけだよ」
その言葉に、誰も何も返さなかった。
ただ、5人はまた並んで歩き始めた。
3
公園に着くと、5人はいつものベンチに座った。
ここは、学校帰りに何度も集まった場所だった。
特に何をするわけでもない。
くだらない話をして、笑って、気づけば暗くなっている。
そんな時間が、5人にとっては何より楽しかった。
「なあ、卒業したらどうする?」
けんたが突然聞いた。
「急にどうした?」
テツが答える。
「いや、もうすぐ卒業じゃん。みんなバラバラになるのかなって」
そうすけが少し考えてから言った。
「俺は就職かな。家のこともあるし」
「俺も働くと思う」
テツが続けた。
「カイは?」
「まだ決めてない」
「お前なら何でもできそうだけどな」
けんたが笑う。
「そんなことない」
カイは短く答えた。
「じゃあ、コウジは?」
そうすけが聞いた。
「俺?俺も普通に働くよ。とりあえず、生活できればいいかな」
「夢とかないの?」
けんたが聞いた。
コウジは空を見上げた。
「夢か……」
少し考えてから、笑顔で言った。
「いつかみんなで海外旅行とか行きたいな」
「海外?」
テツが聞き返す。
「そう。みんなで行ったら楽しそうじゃん」
「いいね!」
けんたがすぐに乗った。
「俺、海外行ってみたい!」
「お前はどこでもいいんだろ」
カイが言った。
「そうだけど!」
コウジは笑った。
「じゃあ、いつか5人で行こうぜ。絶対な」
「いいな、それ」
そうすけがうなずいた。
テツも笑いながら手を上げる。
「約束な!」
5人は、何となく手を重ねた。
それが本当に実現するかどうかなんて、誰も考えていなかった。
そのときは、5人でいられる未来が当たり前のように続くと思っていた。
4
それから数年が経った。
5人は高校を卒業し、それぞれ社会人になった。
住む場所も、仕事も、生活の時間も少しずつ変わっていった。
それでも、4人は定期的に集まっていた。
コウジも、もちろんその中にいた。
しかし、一年前。
その日常は突然終わった。
コウジは通勤途中、原付バイクで交通事故に遭った。
ただ、いつもと同じように仕事へ向かっていた朝に、突然事故が起きた。
知らせを聞いた4人は、最初、何を言われているのか理解できなかった。
「嘘だろ……」
テツは何度もそう繰り返した。
「昨日、普通に連絡したじゃん……」
けんたはスマホを握りしめたまま、動けなかった。
カイは何も言わず、ただ下を向いていた。
そうすけは、涙をこらえることができなかった。
葬儀の日。
4人は並んで立っていた。
コウジの写真は、いつもの笑顔だった。
その写真を見るたびに、そうすけは胸が苦しくなった。
「また明日な」
最後に会ったとき、コウジはいつものようにそう言って笑っていた。
その明日は、もう来なかった。
5
現在。
カイは、都内の会社でパソコンの画面を見つめていた。
時計は午後9時を過ぎている。
周囲の席はほとんど空になっていた。
「カイさん、まだ帰らないんですか?」
同僚が声をかけた。
「ああ、これだけ終わらせてから帰る」
「大変ですね」
同僚はそう言って帰っていった。
カイは画面に目を戻した。
仕事は嫌いではない。
むしろ、周囲からの評価も悪くなかった。
ただ、毎日同じことを繰り返す生活に、少しずつ飽きていた。
何かを変えたい。
そう思うことはあっても、何をすればいいのか分からなかった。
カイはパソコンを閉じ、椅子にもたれた。
「……このままでいいのか」
小さくつぶやいた。
一方、そうすけは職場で上司に呼び止められていた。
「そうすけ君、悪いんだけど、この仕事もお願いできるかな?」
「はい、大丈夫です」
反射的に返事をしていた。
本当は、今日は早く帰りたかった。
しかし、困っている人を見ると断れない。
昔からそうだった。
仕事が終わった頃には、外はすっかり暗くなっていた。
そうすけは駅まで歩きながら、スマホを取り出した。
グループチャットには、しばらく新しいメッセージが届いていない。
4人で集まることも、以前より少なくなっていた。
「またみんなで飲みたいな」
そう思いながら、スマホをポケットにしまった。
テツは、工場の休憩室で缶コーヒーを飲んでいた。
「お前、今日も残業?」
同僚が聞いた。
「まあな」
「大変だな」
「別に」
テツは短く答えた。
仕事に不満がないわけではない。
毎日同じ作業を繰り返し、給料も大きく変わらない。
頑張っても、何かが変わる気がしなかった。
「何のために働いてんだろうな」
テツは缶コーヒーを飲み干した。
そして、けんた。
けんたは自宅のソファに寝転がり、スマホで動画を見ていた。
仕事は続けているものの、これといった目標はない。
友達と遊ぶことは好きだが、最近はそれぞれ忙しく、以前のように頻繁に会うこともなくなった。
「暇だな……」
けんたは動画を止めた。
ふと、昔の写真を見返す。
高校時代の5人の写真。
真ん中には、笑顔のコウジが写っていた。
「懐かしいな」
けんたは少し笑った。
6
その夜、けんたはグループチャットを開いた。
しばらく考えたあと、メッセージを送った。
けんた:
「みんな、久しぶりに飲まない?」
すぐにテツから返信が来た。
テツ:
「急だな笑」
けんた:
「たまにはいいだろ!」
そうすけ:
「いいね!いつにする?」
カイ:
「金曜なら空いてる」
けんた:
「じゃあ金曜な!」
たった数行のやり取りだった。
けれど、けんたは少し嬉しかった。
4人が揃うのは久しぶりだった。
金曜日。
4人は、昔からよく通っていた居酒屋に集まった。
「おー!久しぶり!」
けんたが店に入ってくる。
「お前、相変わらずうるさいな」
テツが笑った。
「元気が取り柄だからな!」
「それしかないだろ」
カイが冷静に返す。
そうすけも笑いながら席に着いた。
「みんな変わってないね」
「いや、俺は大人になったよ」
けんたが胸を張る。
「どこがだよ」
テツがすぐに突っ込んだ。
4人は昔と同じように笑った。
料理が運ばれ、酒が進む。
仕事の話、最近あった出来事、昔の失敗談。
話題は次々と変わっていった。
しばらくすると、そうすけがグラスを置いた。
「そういえばさ……」
3人がそうすけを見る。
「コウジがいたら、今ごろ何してたかな」
一瞬、テーブルが静かになった。
「絶対、けんたのパン勝手に食ってるだろ」
テツが言った。
「いや、俺のパンはコウジが守ってくれてたから!」
けんたが反論する。
「逆だろ。お前がいつも食われてたじゃん」
カイが笑った。
「そうそう。コウジ、よく俺のことも勝手に撮ってたよな」
そうすけが言った。
「変な写真ばっかりだったな」
テツが続ける。
4人は笑った。
懐かしい記憶が、次々と浮かんでくる。
コウジがいた頃の何気ない日常。
くだらない会話。
何度も繰り返した冗談。
もう二度と戻らない時間。
笑い声が落ち着いた頃、そうすけが小さく言った。
「もう一年か……」
「早いな」
カイが答えた。
「まだ、たまに連絡が来そうな気がするんだよな」
けんたはグラスを見つめた。
「分かる」
テツが短く答えた。
誰も、コウジのことを忘れたわけではなかった。
7
そのとき、店のテレビから聞き覚えのある言葉が流れてきた。
『今回取り上げるのは、海外で起きた大規模な銀行強盗事件です』
画面には、海外の銀行を映したニュース映像が流れていた。
『犯人たちは多額の現金を奪い、事件は世界中で大きく報道されました』
けんたはテレビに目を向けた。
「すげえな……」
テツがテレビを見る。
「何が?」
「いや、こんなこと本当にやる奴がいるんだなって」
カイはグラスを置いた。
「海外では、映画みたいな事件が実際に起きることもある」
「でもさ、もし成功したら人生変わるよな」
けんたが言った。
「また始まったよ」
テツが笑う。
「いや、もしもの話だって」
けんたはいつもの調子で続けた。
「例えばさ、銀行強盗で大金を手に入れたら、仕事なんかしなくていいんだぜ?」
「その前に捕まるだろ」
カイが冷静に答える。
「夢がないなあ」
「現実の話をしているんだ」
そうすけは少し困った顔で笑った。
「でも、みんなで海外に行くって話は昔してたよね」
その言葉に、けんたが反応した。
「そうそう!高校のとき、コウジと5人で行こうって約束したじゃん!」
「そんなことも言ってたな」
テツが懐かしそうに笑う。
「いつか行けたらいいな」
そうすけが言った。
カイはテレビを見つめたまま、静かに口を開いた。
「……人生を変える方法なんて、そう簡単には見つからないけどな」
けんたはグラスを置いた。
「でもさ、何かきっかけがあれば変わるかもしれないじゃん」
「きっかけねえ」
テツがつぶやく。
4人は、それ以上深く話さなかった。
その夜は、久しぶりに集まって酒を飲み、昔話をしただけだった。
店を出ると、夜風が少し冷たかった。
「また集まろうぜ」
けんたが言った。
「おう」
テツが答える。
そうすけも笑顔で手を振った。
カイは短くうなずいた。
4人は、それぞれの帰り道へ歩き出した。
そして、誰もいなくなった居酒屋のテレビでは、銀行強盗事件の特集がまだ続いていた。




