黒薔薇姫は罠を張る
「アマリエ様」
翌日、教室を出ようとしたところを呼び止められて、アマリエは飛び上がった。
相変わらず赤毛は乱雑にあちこちで絡まっていて、白い制服は昨日の泥汚れがうっすらと残っている。
振り返った先にいたのは昨日、パトリシアの部屋にいて、セシルと呼ばれていた護衛だった。
「パトリシア様がお呼びです。ご同行いただけますか」
「……はい」
気弱なアマリエが嫌だなんて言えるわけがなく、少女は連行されていく。
周りはその姿を遠巻きに笑っていたが、ふと、一人が気づいた。
「あの方、パトリシア様の護衛ですわよね」
パトリシアはグランディヴェルの黒薔薇と謳われるこの国一番の美女である。
彼女はまだデビュタント前の少女だったが、既に社交界は彼女の噂で持ちきりだった。
「皇族からの呼びだしなんて」
嘲笑が教室でいくつもあがった。
「見て頂戴アマリエ!」
黒薔薇と謳われる少女は、嬉々として手にした制服を見せびらかした。
白の布の面積が広く、眩しさのあるロングスカートの制服だった。この学院の制服はいくらでもアレンジ可能で、特に女性はデザインでセンスや家の裕福さをアピールする。
「どう? 素敵でしょう? 昨日の夜、急いで城の針子に作らせたの」
「はい、素敵です。皇女殿下によくお似合いだと思います」
長身のパトリシアが着るには少し丈が短い気がしたが、アマリエはあえて口にはしなかった。
制服をパトリシアのものだと思い込んでるアマリエにパトリシアは笑う。
「やだわ。これ、貴女のよ?」
アマリエは言葉の意味をすぐに理解することができなかった。
――あなたのよ。あなた、のよ。あなた……私の!? この豪華な制服が!?
ひっ、と、アマリエは悲鳴をあげた。
パトリシアが手にする制服はとても豪華だ。髪もぼさぼさなアマリエが着たらそれはドレスを着せられたかかしのようにちぐはぐになる未来しか見えない。
しかも、彼女は先程これを一晩で作らせたと言わなかっただろうか。
あまりの畏れ多さにアマリエは震えた。
「皇女殿下、あの」
「いつまでもその汚れた制服を着てはいられないでしょう? ほら、着替えて頂戴」
「あの、私には、その」
「そこの衝立の裏で、早く」
アマリエは、逆らえない。
「うん、サイズもちょうどいいわね。さすが私の専属針子」
着替えるとパトリシアは満足気に頷いた。
着て見せたらちぐはぐ感がわかって貰えるだろうというアマリエの期待はあっさり打ち砕かれる。
「じゃあ次よ。ここに座って頂戴」
もうアマリエには抵抗する気力がない。
はさみの音がする。座っている椅子の足元に、慣れ親しんだ赤毛が降り積もっていく。セシルという名の護衛に髪を切られるのを、足元を見たいのを我慢しながらアマリエは身を固くして受け入れていた。
「さすがは私の護衛ねセシル。なにをやらせてもお前は完璧」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
パトリシアは近くのソファーに座って、嬉しそうにその様を見学している。
絡まったアマリエの毛は次々と切り取られ、もさもさだった髪は次第にボリュームダウンしていく。
「髪って邪魔よねえ。なんで長いことが淑女の嗜みみたいになってるのかしら」
そう言ってパトリシアは嫌そうに自分の髪をつまむが、その黒髪はどこもかしこも光を受けて輝いている。
彼女が黒薔薇と謳われる由縁をアマリエが再確認していると、目の前にセシルが移動してきた。
「前髪を切ります。目をつむって動かないでください」
「は、はい!」
アマリエは硬かった体をさらに硬めてはさみを待つ。一際大きい音を立てて、アマリエの長い前髪にはさみが入った。
「ああ! うん、いいわ! いいわね!」
パトリシアが興奮を抑えきれない声を上げる。
前髪を切られて、アマリエの端正な顔立ちがあらわになっていた。
深い森を映した緑の瞳も、夕日のような赤毛も、どちらもグリーヴァンス家の特徴だ。少し荒れている部分もあったが、高位貴族らしい、愛らしい顔がそこにはあった。
背中の半ばまであった髪は肩を少し越すぐらいの長さで整えられ、前髪は眉の位置で切りそろえられて、ボリュームも抑えられている。
相変わらず身を縮めこませ、俯いておどおどした態度をとってはいたが、見事に変身を遂げたアマリエをパトリシアは抱きしめた。
「かわいい! かわいい! かわいいわ! 嗚呼、私、なんてかわいい子を拾ってしまったのかしら!」
一人興奮するパトリシアに、アマリエはついていけず、されるがままになっていた。
「明日からはこの格好でここにいらっしゃいね! 来なかったら、セシルを迎えによこしますからね!」
「こ、ここ、皇女殿下、勝手ながらお願いがございます」
「あら、何かしら?」
どもりながら勇気を振り絞ったアマリエにパトリシアは優しく問いかける。
「せっ、制服をご用意くださったこと、本当に、恐悦至極にございます! でで、ですが、私には、身に余る光栄すぎて。せめて、スカートは、規定のものを着ることをお許し頂けないでしょうか!」
パトリシアが用意してくれたスカートは、デザイン的にアマリエが着るには最新鋭すぎた。上着は生地と刺繍が少し高級なだけで、デザインはほぼ規定のものだから規定のプリーツスカートを組み合わせれば、そこまで注目を受けずに着ることができる。
それが、アマリエが髪を切られている間、必死に考えていた言い訳だった。
「あら、せっかく作ったのに、着てくれないの?」
「お許しくださいませ!」
頭を下げるアマリエに、パトリシアは首を傾げてみせた。やがて、紅い唇がゆっくりと三日月型になる。
「……じゃあ、ひとつ私のお願い事を聞いてくれる? そうしたら、規定デザインのスカートもプレゼントするわ」
「なんなりとお申しつけください!」
「ありがとう。助かるわ。じゃあお願いね。簡単なことよ」
パトリシアは、にっこりと微笑んだ。
「来週の新入生歓迎パーティーに、私の弟のパートナーとして出席してほしいの」
新入生歓迎パーティーとは、毎年春に行われている社交術の最終試験も兼ねた貴族学院の舞踏会だ。
――それに、私が出席する。弟さんの、パートナーとして……弟?
パトリシアの弟とは、つまり。
――私が、皇太子殿下のパートナー!?!?
皇太子、ローグヴァルト・グランディヴェル。今年入学した彼は、貴族学院でも既に人気者で、遠くから見ただけでもその威厳に心を奪われるような少年。
あまりの衝撃にアマリエが顔を上げると、パトリシアはルビーのような紅い目を細めて笑っていた
次話は明日、21時に投稿予定です。
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