94.これから毎日(3)
前回の話
イスラはモーリスにアバン王子の婚約者になることを諦めさせることに成功した。
王都の喧騒はモーリスの故郷の寂れ具合に慣れると異常なほどの騒がしさに感じたが、ものの数分でこれが日常であったことを思い出した。
これが俺にとっての日常であり、何もない田舎での出来事は退屈であることを思い出した。
そんな賑やかな通りから少し外れると、平民が暮らす家が立ち並ぶ住宅地のエリアに入ることができる。
「この辺りで停めてください」
魔動車を運転する俺に、後ろの席のモーリスが指示を出した。
俺はモーリスの言う通りに車を停めて車の外に出た。
同じく車を降りたモーリスは慣れた様子で同じような外観の建物の中から、自宅の扉を見つけ出して中に入った。
一つの建物にいくつかの扉が付いている集合住宅であり、金のない平民が好んで住む類の部屋だ。
「お邪魔するわ」
俺も中に入らせてもらったが、予想通りモーリスの部屋はとても狭く、人一人が寝泊まりするので精一杯というような広さしかない。
そんな狭いスペースの中には大した物はなく、着替えが数着と、数えるほどの小物が置いてあるだけだった。
「ここにあるものを全部持って帰れば引っ越しはお終いです」
「これだけならすぐに運べそうね。手伝うわ」
「そんな、イスラ様にお手伝いいただかなくても私が全部やりますよ」
「水臭いことは言わないの」
俺とモーリスは故郷での暮らしを選択した彼女の意志を尊重して、王都での生活を終わらせるための作業のために一時的に王都に戻って来た。
まず最初にやって来たのがモーリスの部屋だ。
彼女が王都で一人暮らしをするために借りていた部屋だが、今日付けで退去することになった。
元々飾り気のない部屋だったが、数少ない荷物を車に運ぶと、ものの数十分で完全な空室へと戻った。
「これで、本当に王都ともお別れですね」
そんな何もなくなった部屋を見てモーリスはしみじみと呟いた。
その後、俺たちはモーリスの職場である食堂や、彼女の知り合いへの挨拶を順番にしていった。
どこに行ってもモーリスが王都を去ることを誰もが残念がった。
それだけ彼女は愛されていたのだろう。
時には引き留められながらも、モーリスは曖昧な笑顔で人々に別れを告げていった。
何人目か分からない相手に手を振ったモーリスはようやく次に会うべき人の名を挙げるのをやめた。
それはもう彼女に心残りがないことを示していた。
「これで全員かしら? 他に思い残すことはない?」
「はい。お世話になった人には一通り挨拶できました」
「そう。よかったわね。だけど、最後に行かなければならないところがあるわ」
これでモーリスが王都でやるべきことは最後の一つを残して全て終わった。
後はその残りの一つを見届ければ、俺の目的も達成される。
俺はモーリスを車に乗せて王城に向かった。
王城の中に入り、俺は迷わず玉座の間を目指した。
アバン王子には無理を言って事前に時間を作ってもらうようお願いしたのだ。
「失礼します」
部屋に入るとアバン王子が玉座に座って俺達を待っていた。
俺とモーリスはその元まで近づいて頭を下げた。
「アバン王子、本日はお時間をいただきありがとうございます」
「モーリスと言ったか。今日はお前が余に用事があると聞いた。申してみろ」
アバン王子は俺の挨拶は無視してモーリスに本題を切り出した。
モーリスは俺の方をチラリと見てきたので、俺は小さく頷いて見せた。
その仕草を見たモーリスもまた頷き返してくれ、一度大きく深呼吸をすると自分の思いを口にした。
「アバン王子、私は次の選考を辞退しようと思います。私には王妃は務まりません」
「何?」
モーリスの選考辞退の意志を聞いたアバン王子は意外そうな顔で驚いた。
そして先ほどまで無関心を貫いていた俺の方に不快そうな視線を向けてきた。
「イスラ・ヴィースラー。これはどういうことだ? お前の差し金か?」
相変わらずとても嫌われているようで端からこの件を俺の仕業だと断定するような言い草だが、残念ながら大正解だ。
「アバン王子、これは彼女自身が決めたことです。私はただ友人として立ち会っているだけです」
「こいつの発言は本当か、モーリス?」
「はい。すべては私のわがままです。誠に申し訳ありません」
アバン王子の問いかけにもモーリスは毅然とした態度で答えた。
モーリスの決断に何か不自然さを感じている様子のアバン王子もそれ以上は追及をしてこなかった。
「要件は分かった。そういうことならば早く帰れ」
つまらなそうな顔で俺とモーリスの顔を見ると、そう言い捨てた。
「お時間をいただきありがとうございました」
最後に一礼をして俺達は玉座の間を後にした。
これで正真正銘モーリスはただの村娘に戻ることになった。
俺は彼女を村に帰すためにナスル商会の倉庫まで案内した。
「こんな車しか用意できなくてごめんなさい。本当は私が送ってあげたかったのだけど、用事ができてしまって」
「全然大丈夫です。むしろ私がいつも利用していた乗り合い馬車よりも快適そうです」
俺はもうモーリスの故郷に用事はないので、往復一日かけて送ってやる義理はない。
ナスルに頼んで彼女の故郷の方向に荷物を運ぶ荷車式の魔動車の荷台に人一人を乗せる許可を取った。
俺の車に積んでいた彼女の荷物を積みなおして、モーリスが王都を去る全ての準備が整った。
これが恐らく根性の別れになるが、特に感傷は湧いてこない。
「イスラ様、今までありがとうございました。イスラ様のおかげで私、いろんな経験ができました。私みたいな平民にも……優しく、してくれて……本当に、ありがとうございましたっ!」
「モーリス、泣いているの?」
「だって、お別れは、悲しいから……」
しかしモーリスは大悪人との別れすら惜しんで涙まで流してくれた。
俺はモーリスの涙をそっと指で拭ってやった。
「大丈夫。きっとまた会えるから」
「はい。……はいっ!!」
モーリスは最後には笑顔を見せてくれた。
それは泣き顔を無理やり笑顔にしたような酷い顔だったが、不思議と魅力的に映った。
その後、荷車は出発してモーリスは荷台から、こちらが見えなくなるまで手を振ってくれた。
俺はその様子を何となく眺めながら見送った。
モーリスはもはや俺にとっても利用価値のない女だが、家を燃やした埋め合わせ以外にも何か彼女の善良さに報いることはできないかを考えてみた。
彼女の善良さは好ましいものだったので、せめて村で金銭的に困窮することなく過ごしてほしいと思う。
しかし、直接金をやるのは筋が通らない。
(そうだ、ちょうどいい方法があるじゃないか)
悩んだ末に俺は一つの名案を思い付いた。
後日。
俺は自室にミレイヌを招いてその案の説明をした。
「ミレイヌさん、この葉っぱを私のお友達の故郷で育ててもらうのはどうかしら?」
そう言ってミレイヌに見せたのはリウラから押収した違法薬物の葉っぱだ。
ミレイヌはそれを見ると、引きつった顔で恐る恐る進言してきた。
「イスラ様……それは育てるのも所持するのも禁止されているものではないですか?」
「違うわよ。そういった植物もあるけれど、これはそれととても良く似ている別物よ。もし仮に本物だったとしても、それは私の知るところではないわ」
ミレイヌの疑問をあからさまな嘘のごり押しでねじ伏せた。
ミレイヌもここまで開き直った人間にかける言葉を持ち合わせてはいなかった。
すっかり黙ってしまったミレイヌに俺は言葉を続けた。
「そこでミレイヌさんにお願いなのだけれど、この葉っぱを私のお友達の故郷に届けて育てることを促してほしいの。育った葉っぱを高く買い取れば、その村は潤うし、王都でもっと高値で買い取ってくれる人もいるから、そういう人に転売すればミレイヌさんも今まで以上に利益が出せるわよ」
「でも、それは……だめですよ……」
「どうして?」
「だって、やっぱりそれは……」
ミレイヌは歯切れ悪く違法薬物のルート拡大に抵抗した。
だが、お前はもう引き下がることなどできはしないのだ。
俺は露骨に失望した目でミレイヌを一瞥した。
「やらないなら別にいいわ。時間を取らせて悪かったわね。もう帰っていいわよ?」
「……っ!!! いえ、やります! やらせてください!!」
今や天涯孤独となったミレイヌの最期の心の拠り所は俺なのだ。
その俺から見捨てられる恐怖は違法薬物の流通を手助けする罪悪感よりも遥かに効果的にミレイヌを突き動かした。
俺は一転して優しい笑顔を従順なしもべに向けた。
「ありがとう。ミレイヌさんならそう言ってくれると思っていたわ。お礼にたくさん可愛がってあげるから」
「ありがとうございます! いっぱい撫でてください! あとギュってしてください!!」
「ミレイヌさんは甘えん坊ね。いいわ、おいで」
モーリスの故郷の村は領主の貴族がほとんど滞在せず、外部の人間の出入りもほとんどない。
隠し事をするにはもってこいの環境だ。
これで栽培元の村の住人であるモーリスも、流通を担当することになるミレイヌも、その上納金を受け取る俺も全員の利益が増えていいことばかりだ。
そしてもしもこのことが誰かにバレても全ての責任をミレイヌに押し付ければ俺は無実を貫くことができる。
これ以上にない完璧な布陣だ。
この葉っぱがモーリスの故郷で育つ頃、俺はきっと彼女のことを思い出す。
善良で、優しくて、愛想がよくて、そして簡単に悪いやつに騙される平民の女のことを。
次回投稿日:6月16日(日)頃
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