61.狩人は宴に潜む(2)
前回の話
イスラはアバン王子の婚約者を決めるための選考会の一次選考である立食パーティに参加している。
「モーリスさん、私、あなたのことをもっと知りたくなったわ。もう少しお話ししましょう」
「それは構わないのですが……一体何をお話すればいいのでしょうか?」
俺が微笑みかけると、モーリスはこちらのことを警戒しながらも、会話には応じてくれた。
確かに服を汚してしまった相手が笑顔で接してきたら誰だって警戒するだろう。
まずは俺に敵意がないことを示すのが最優先か。
「まずはあなた自身のことを教えてほしいわ。モーリスさんは普段はどんなことをしているの?」
「王都の食堂で給仕の仕事をさせてもらってます」
「そうだったの。王都の生まれなのかしら?」
「いえ、元々地方の農民の家の生まれなんですけど、親戚に声をかけてもらって王都で出稼ぎをしています。実家には弟と妹もいてお金が必要なんです」
モーリスのプロフィールは、おおよそ俺の予想通りの内容だった。
特に珍しくもない、ごくありふれた身の上話だ。
しかし、そこに善良な性格が合わさることで、素朴ながらも温かみのある女という印象になる。
「今回はどうしてアバン王子の婚約者になろうと思ったのかしら?」
「私はそういうことにあまり興味はなかったのですが、同じ食堂で働く同僚が一緒に参加しようって言ってきまして。それで私だけこの選考まで残ってしまったんです」
この会場にいる理由についても尋ねてみたが、その理由もモーリスらしいものだった。
会って間もない人物であるが、モーリスからは醜い感情を読み取ることができない。
そんなモーリスが金や名誉のために王族との結婚を望むようには見えなかったので、彼女の答えは納得感がある。
モーリスも決して楽な暮らしをしているわけではないだろうに、他者を憎まず、むしろ思いやりの心を持って接することができるのは彼女の美徳だ。
しかし残念ながら、そんな善良な人物であっても平気で利用するような人種がこの世界には溢れている。
「そうだったのね。だけど、私は案外モーリスさんみたいな女性をアバン王子はお選びになるのではないかと思っているわ」
「えっ!? そんなことないですよ。私、平民ですし、全然可愛くないですし。それに引き換え、イスラ様は貴族ですし、とても美しいですし、私なんかよりずっと素敵な女性だと思います。今まで出会った全ての女性の中で、イスラ様が一番綺麗だと思います」
モーリスは首をふるふると振って俺の言葉を否定し、むしろ俺のことを褒めてきた。
お世辞かと思ったが、わざとらしさは感じない。
俺の顔を見るモーリスの真っすぐな視線は、彼女の言葉が上辺のものではないことを訴えかけてきた。
「それはきっとちょっとした工夫の問題だと思うわ。例えば姿勢ね。モーリスさんは今、緊張しているでしょう? 少し背中が曲がっているわ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。少し失礼するわね」
俺は持っていたグラスを一度近くのテーブルに置いてモーリスの肩に手を置いた。
そして彼女の肩を後ろに引いて、背中を少し押し出してやった。
「ひゃっ」
モーリスは情けない声を出したが、俺は構わず彼女の背中や腰を触りながら、正しい姿勢になるよう矯正してやった。
「これで大分良くなったわね」
「確かに、何となく背筋が伸びた感じがしますね」
モーリスの立ち姿は先ほどに比べるとピシっと決まっている印象になった。
どんな美女であっても自信なさそうに背中を丸めていてはその魅力は半減だ。
化粧や服装はこの場ではどうにもならない。
だとすると、他にできることは……。
「さっきもモーリスさんのお話を聞いたけれど、こういう場では初めて会った人とは何か話をするのが望ましいわね。話題はさっきみたいに自分のことでもいいし、相手のことでもいいし、ここに並んでいる料理のことでも構わないわ」
「それは一体どういうことでしょうか?」
「こういう立食パーティでの一般的なマナーの話よ。モーリスさんが既に知っていたのだったら、大きなお世話だったわね」
モーリスは王都で給仕をしているとはいえ、こういった貴族もいる場での振る舞いについてはあまり知らないだろう。
そういった振る舞いを教えてやればもう少しこの場に馴染めるのではないかと考え、教えてやることにした。
「知らなかったので、勉強になります。……じゃなくて、どうして私にそんな話を?」
しかし当のモーリスはいきなりマナーの話をされて困惑している。
確かに少し説明が足りていなかったな。
「モーリスさんならこの一次選考を抜けて、次の選考に進むと思ったから。貴族だけがそういうマナーに詳しいのはフェアじゃないと思って」
「でも、イスラ様もアバン王子との婚約者になりたいんですよね!? 私はイスラ様にとっては敵なのではないでしょうか? どうして親切にして下さるのですか?」
しかしモーリスが気にしていたのは俺が親切にする理由だった。
それは俺がこの婚約者選定のための選考を勝ち上がるのに、彼女を利用するのが効率的だと思ったからだ。
だが、それを馬鹿正直に言ってやる必要もない。
「モーリスさんは優しくて頑張り屋さんなのが話していて伝わってきたわ。そんなモーリスさんだから、私は正々堂々戦って、その上でアバン王子に選ばれたい。つまらないマナーのことであなたが失格になっても私は嬉しくないもの」
俺は息をするようにそれっぽい言い訳を口にしたが、そうとは知らないモーリスは心底感動したと言わんばかりの尊敬の眼差しを向けてきた。
「イスラ様は外見が美しいだけでなく、精神も高潔な方だったのですね」
モーリスはあっさりと俺の言うことを信じたようだ。
お人よしなことこの上ないが、ここまで来たらあとは簡単だ。
「さっきの話の続きだけど、モーリスさんはきっとこのまま選考を進むことになると思うわ。その時のために私の知っていることを教えるわね」
「ありがとうございます! 勉強させてもらいます!」
そうして俺はモーリスに貴族社会特有の面倒なルールや慣習を教えてやった。
すると、周囲で俺達のことを見ていた他の平民の女もこちらを気にしだした。
俺はそいつらの方にも声をかけた。
「あなたたちも分からないことはないかしら? 私の分かることだったら何でも答えるわ」
平民の女達は最初は互いに顔を見合わせて戸惑っていたが、最初の一人がおずおずと手を挙げたのを皮切りに次々と質問が飛んできた。
「貴族の方にはどういう風にお声がけすればいいのでしょうか?」
「出されているお料理は好きに食べていいのでしょうか?」
「この恰好、変じゃないですか?」
俺はそういった疑問に順番に回答してやった。
そんな中、俺は横目で採点係の人間が俺達の方を見て手元の紙に何かを記入しているのが見えた。
(とりあえず、できることはやったか)
今回の一次選考は立食パーティという形式だ。
つまり参加者同士の柔軟なコミュニケーションが重視されると見ていい。
それに加え、事前情報の王妃に相応しい人間かどうかを見るという噂。
そのことを踏まえて、俺が考えたこの選考を通過するための策は平民に優しく声をかける、というものだった。
初めて会う人間にも気さくなコミュニケーションが取れ、自分よりも身分が低い相手にも優しく振る舞う慈愛の精神もアピールできる一石二鳥の策だ。
もちろん、これが正しいかどうかは結果が出るまで分からないが、他の三流以下のやつらに劣ることはないと思うので、勝算は高いと踏んでいる。
『それでは、そろそろ選考を終了します。貴族の方から順番に退室をお願いします』
平民の女たちの相手をするうちに選考終了のアナウンスが告げられた。
こういう時は高位の貴族から退室するのが慣習なので、子爵令嬢の俺はもう少し待たねばならない。
「イスラ様、今日は本当にありがとうございました!」
「気にしないで。私は私のやりたいようにやるだけだから」
その間、モーリスは俺に改めて礼を言ってきた。
やりたいようにやるだけ、というのは本心なのだが、モーリスはそれすら都合よく解釈したのか、
「さすがイスラ様、かっこいいです!」
と言って目を輝かせた。
そしてモーリスは右手の拳を自分の胸に当てて宣言した。
「私、決めました。私はイスラ様みたいに身も心も美しい女性になります!」
俺のことを心が美しいと思っている時点で、美しさよりも人を見る目を養った方がいいのでは、という指摘を喉の奥に押し込めて俺は答えた。
「あなたは私よりもずっと素敵な女性になれるわ。それじゃあ、また会うのを楽しみにしているわね」
「はい! 私もまたお会いできる日を楽しみにしています!」
俺は他の子爵令嬢が退室し始めたのを確認して出口に向かった。
モーリスは誰が見ても不快にならないタイプの人間だ。
明るく、謙虚で、優しい。
きっとこの先の選考も勝ち上がってくれるだろう。
そんなモーリスが俺のことを素晴らしいと持ち上げ続けてくれたら、その光景は採点係の人間にとっても俺の評価をプラスにする材料になるだろう。
(俺は“嘘”という武器でカンペキに勝つ)
王子の婚約者というたった一つの席を最後に勝ちとるのは真に素晴らしい女とは限らない。
自分の価値を巧みに演出し、他の女を出し抜く卑怯な手段で俺はこの戦いを勝ち抜いてみせる。
次回投稿日:3月9日(土)
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