59.悪役は笑顔で善人を騙す
前回の話
イスラはノインとの勉強会をした。
ある秋の昼下がり。
俺は裁判官の試験を終えたこともあり、珍しく自室でのんびりとしていた。
試験前は根を詰めて勉強に望んでいたこともあり、些か疲労が溜めっている。
試験の結果が発表されるのはしばらく先のため、他にできることをすべきだとも思うが、今はしばしの休養が必要だ。
しかし世界は俺を遊ばせてはくれない。
侍女のメッツが俺に一通の手紙を寄こした。
「イスラお嬢様、王城からのお手紙です」
「王城から? 珍しいわね」
俺のような下級貴族に王城から手紙が来るのは珍しい。
何事かと思い中身を読むと、それはアバン王子の新しい婚約者を選定することが正式に決定されたとの通達だった。
レティシアが失踪した後、一年以上も失意のまま表に現れなかった王子がついに動きを見せたのだから、俺ものんびりはしていられない。
俺は休養を取ることを諦め、情報収集に奔走することになった。
数日後。
俺はとある貴族に挨拶に行くことにした。
その人物はヨアヒム・オーヒル侯爵という人物であり、貴族の中でもかなりの有力者だ。
有力者とのコネ作りは下っ端の大事な仕事だ。
王都内の一等地にあるでかい屋敷の門番に名前を名乗ると、丁寧な対応で中に通してもらえた。
客間で少し待つと、この屋敷の主人であるヨアヒム・オーヒル侯爵が現れた。
オーヒル侯爵は下級貴族の俺にも気安く声をかけてくれた。
「やあ、君がイスラ・ヴィースラー君か。噂に違わぬ美人だ。私があと20歳ほど若ければ君のことを放っておかなかっただろうね」
「お初にお目にかかります、オーヒル侯爵。ヴィースラー子爵家の娘、イスラと申します」
「そんなに畏まらなくても構わないよ。楽にしてくれ」
「お気遣い、痛み入ります」
ヨアヒム侯爵は貴族たちの間でも人格者として知られている。
家柄も侯爵位の中では格の高いほうであり、地位と人望を兼ね備えた重要人物だ。
「君がここに来た理由は分かっている。アバン王子の婚約者探しの件だろう?」
「話が早くて助かります」
「君がここに来るまでもなく、君はアバン王子の婚約者候補のリストには入っているよ。私の目から見ても、君は美しく、聡明な女性だ」
「恐縮です」
俺がヨアヒム侯爵の元を訪れた理由について、どうやら彼はお見通しだったようだ。
俺が先日受け取った通達の手紙によると、アバン王子の婚約者の候補に入るには三つの方法があることが書いてあった。
一つ目はアバン王子本人からの推薦を貰うこと。
残念ながら俺はアバン王子には嫌われているようなので、この方法は取ることができない。
二つ目は平民特別採用枠に入ること。
これはアバン王子の指示で、平民の中からも婚約者候補を探すことになったことによってできた枠であり、主に王都内の若い平民の女が対象だが、俺は貴族なのでその枠には入れない。
必然的に俺が選ぶのは三つ目の方法であり、それが有力貴族の間で構成される『アバン王子婚約者選定委員会』の推薦を受けることだ。
その委員会は臨時で発足されたもので、アバン王子の眼鏡には適わないものの、客観的に見て候補に入れるべき優秀な貴族令嬢にアバン王子へのアピールの機会を与えるという役割を持つ。
ヨアヒム侯爵はその委員会のトップに任命された人物であり、彼の推薦があればアバン王子の婚約者候補として堂々と活動できる。
俺はその推薦を貰うために接触を図ったのだが、どうやら不要な根回しだったらしい。
何事もなく上手くいって良かった。
とはいえ、今後のことも見据えて必要な布石は打っておくべきだろう。
「本日はお時間をいただきありがとうございました。私はこちらで失礼いたします。……そういえば、手土産にチョコレートを持ってきていたのを失念していました。後で使用人の方に預けておきますので、是非奥様や娘様とお召し上がりください」
「妻も娘も甘いものが好きなようだから、きっと喜ぶ。気遣い、感謝する」
俺はヨアヒム侯爵に手土産のことを言い残して客間を退室した。
そしてすぐに廊下に待機させていたメッツに菓子に関する指示を出した。
「メッツ、用意していたチョコレートを持ってきて。山吹色ではない方ね」
「かしこまりました」
今回は手土産の菓子に賄賂を仕込んで渡すような真似をせずに済んだのは僥倖だ。
後は娘へのアプローチか。
ヨアヒム侯爵の元を訪れてから数日後、俺はメッツを連れて王都の高級服飾店に足を運んだ。
俺は服など最低限のものを持っていればいいという考えのため、あまり来ることはない店だが、今日の目当ても服を買うことではない。
「いらっしゃいませ。恐れ入りますが、当店は会員証か、他の会員様のご紹介がない方のご入店をお断りしております」
店に入るとすぐに身綺麗にしている女店員に声をかけられた。
無論、俺はこの店の会員などではないし、他の会員の知り合いもいない。
「私はナスル商会の関係者なの。会長の紹介状ならあるけれど、これではダメかしら?」
しかし俺にはナスルという伝手がある。
ナスルはこの店の会員ではないが、商品の一部を卸している取引先だ。
俺がナスルに服屋への紹介状の用意を頼むとナスルはとても渋い顔をしたが、上位の貴族とのコネ作りだと言い張った結果、ため息交じりに一筆書いてくれた。
「失礼いたしました。ナスル商会の関係者様ですね。申し訳ありませんが、少々お待ちください」
店員の女は紹介状を確認すると、返事は保留して奥に引っ込んだ。
恐らく、彼女自身で判断が付かずに上位の者に確認を取っているのだろう。
その間、店内を観察したが、他の客は一組しかいない。
目当ての人物の姿も確認できた。
少し待つと、先ほどの女店員が小走りで戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません。確認したところ、こちらでご入店いただいて構いません。どうぞごゆっくりお買い物をお楽しみください」
「ありがとう。それでは失礼するわね」
少し待たされたものの、入店は問題なく完了した。
俺は商品を見るふりをしながら、既に店内にいたもう一組の客の方へと近づいた。
その一団の構成は身なりの良い10歳ほどの少女と、その使用人と思われる大人三名であり、その少女こそ、ヨアヒム侯爵の娘のアイリスだ。
「ねえ、この服、すごくいいと思わない?」
「はい、アイリスお嬢様に良く似合っております」
「そうよね。それならこれも買うことにするわ」
アイリスは使用人と共に景気良く買い物を楽しんでいるようだ。
情報屋であるリウラから買った情報の通り、アイリスはこの店の常連であり買い物好きなことは間違いなさそうだ。
俺は機を伺ってにこやかにアイリスに話かけた。
「失礼します。私は子爵令嬢のイスラ・ヴィースラーと申します。少しだけお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
突然話しかけられたアイリスは驚いた顔をしたが、身構えた使用人を制して話に応じてくれた。
「子爵の娘がこのお店に来るなんて珍しいわね。でも、イスラは可愛いから特別に話を聞いてあげる。感謝しなさい」
「ありがとうございます。実は私はこのお店に商品を卸しているナスル商会の会長と個人的に知り合いでして、最近流行っている女性用の服について調べてくれないかと頼まれていたのです。そんな時に服のことに詳しそうなお嬢様がいらっしゃったのでお声がけさせていただきました」
「そういうことなら、私、アイリス・オーヒルが特別に教えてあげるわ」
「もしやヨアヒム・オーヒル侯爵の娘様ですか。お父様にはお世話になっています」
「お父様のことを知っているの? まあいいわ。そんなことより、よく聞きなさい。服の流行には一定のサイクルがあるの。例えば今流行っているのは……」
俺は流行を調べている時に偶然居合わせたという体でアイリスに話しかけ、何とか会話を繋げることができた。
アイリスは気分良く自分のファッション観を語ってくれ、俺はタイミング良く相槌を入れてアイリスの講釈をサポートした。
アイリスは発言の中身に生意気さを多分に含んだが、それは他人を見下しているわけではなく、自己肯定感が高すぎるのが原因だと分かった。
ヨアヒム侯爵はよほどアイリスのことを甘やかしているのだろう。
しかし生意気な発言とは裏腹に根は純真さや優しさが垣間見え、育ちの良さを感じさせた。
「貴重なご意見、ありがとうございました。アイリス様のお話はとても参考になります」
「これだけ話をしてあげたのだから、ちゃんと新しいデザインの服を作る時の参考にしてね。約束よ」
「もちろんです」
アイリスは一通り話を終えると満足げな顔で俺の方を見た。
自分の考えが反映された服が店に並ぶのを純粋に楽しみにしているのを見ていると年相応のガキだと思わされる。
俺はほとんど共感できない内容の話を興味がある振りをして相槌を打つという苦行の終わりに胸をなでおろした。
新しい服のデザインは金を積んで誰かに委託するしかないので、その点だけ憂鬱だ。
俺の内心などまるで気にしていないアイリスは、俺の方に近寄って来た。
「イスラ、あなたは話の分かるやつね。また私の話を聞きたくなったら会ってあげてもいいわよ」
「ありがとうございます。それでは今度改めて会いに参ります。それでは今日はこれで失礼します」
アイリスは上目遣いでこちらを見ると、再開の許可を与えてくれた。
彼女は元の性格が原因か、家柄が原因かは分からないが、自分の気持ちを素直に言葉にするのを恥ずかしがっている節がある。
きっと今の言葉もまた会いたいという気持ちの表れなのではないだろうか。
少し話を聞いてやっただけで随分懐かれてしまったものだ。
俺は店を出て、今後のことを考えた。
ヨアヒム侯爵は今のところ俺のことを推薦してくれそうな感じだが、今後もそうとは限らない。
その時には金を積むのもいいが、金で解決できないなら、最後の手段としてアイリスを利用させてもらおう。
ヨアヒム侯爵は家族思いの人物として知られている。
アイリスを攫って人質にできれば大抵の要求は通るに違いない。
俺は他人事のようにアイリスが無事に成人を迎えることを祈るばかりだった。
次回投稿日:3月3日(日)
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