122.親の心、子知らず(1)
前回の話
イスラはアンリの魅力を再発見した。
真っ白い霧のかかったどこかに私は立っていた。
一歩先の視界すらない空間。一体ここはどこなのかさっぱり分からない。
途方に暮れていると、不意に目の前に人影が飛び出してきた。
「イスラ様!」
現れたのはミレイヌだった。
ミレイヌは勢いよく私に飛びついてきて正面から私のことを抱きしめてきた。
「ミレイヌさん? どうしてこんなところに? それにここはどこかしら?」
私が問いかけると、ミレイヌは顔を上げて私と目を合わせた。
その目は虚ろで、まともな精神状態でないのは明らかだ。
「イスラ様ぁ……頭を撫でていただけませんか……?」
ミレイヌは私の質問を無視して甘い声で乞うてきた。
まるで何かに操られているかのように。
「ミレイヌさん、今はそんな場合じゃないわ。ここがどこかを早く特定しないと」
「嫌です。それに、ここがどこかなんてどうでもいいです。イスラ様がここにいてくれれば他には何もいらないですから」
様子のおかしいミレイヌを何とか説得できないかと言葉をかけたが、その試みは無駄に終わった。
私を抱きしめるその腕の力は一向に弱まる気配を見せない。
「ミレイヌさん、正気に戻って!」
彼女を引きはがそうと何とか模索してる中でふと口に出た言葉だったが、その言葉を聞いたミレイヌはピタリと動きを止めた。
……いや、止まったのは彼女の動きだけではない。
空気自体が凍り付くような感覚。
「ひどいです、イスラ様。私がこんな風になったのはイスラ様のせいなのに……」
次の瞬間、ミレイヌの体は下半身から泥のように溶けていき、最後は頭の先まで全身が地面に消えていった。
私はミレイヌの恨みがましい視線を受けながら、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
気が付くと私はいつもの天井を見上げていた。
勝手知ったる自室のベッドの天井だ。
さきほどまでのことは夢だったらしい。
(ミレイヌ……彼女のことも何とかしなければ)
前世で最も人生を狂わせてしまった少女が抱える問題は家族との不和だ。
家庭の中の話を他人である私がどうにかできるのだろうか。
(いや、やるしかない……!)
例え困難だったとしても私にはミレイヌを放っておくという選択肢はない。
彼女の破滅的な結末を知る私だからこそ、それを避けるために何とかしたい。
寝起きの気分は最悪だけれど、気合を入れて動き出した。
ミレイヌと彼女の父親であるキケロ男爵との和解ができればベストではあるのだが、それにはいくつかの前提条件が必要になる。
まずは、ミレイヌ自身がそれを望むこと。
次に、キケロ男爵もまたそれを望むこと。
そして最後にキケロ男爵がミレイヌの家族として相応しい人間性を備えていること。
そのためにもまずは前世でのことを思い出してみる。
事業が破綻して借金を負うことになったキケロ男爵に、融資というエサをチラつかせて娘であるミレイヌの靴を舐めさせたあの日。
思い出すだけで気分が悪くなるほどの悪行だが、あの日に様々なヒントがあるはずだ。
分かりやすいのはミレイヌの気持ちだ。
あの時のミレイヌは既に私への依存を強めていた時期ではあったものの、最後に私か父親かを選ぶ際は迷っていた。
つまり、表面上は家族のことを嫌っているようなことを言ってはいたものの、本心では家族との仲を修復したいと思っていると見ても良さそうだ。
しかし、あの日のことを色々と思い出してみても、ミレイヌの父であるキケロ男爵のことはよく分からないままだ。
それも当然のことで、あの日のキケロ男爵は追い詰められていた状態であり、なおかつ私は彼よりも圧倒的に優位な立場から接していたので、平時の彼の動向は知らないのだ。
ミレイヌから伝え聞いた話ではミレイヌにつらく当たっていたようなことを言っていた気がするものの、実際会って感じた印象としてそこまで愚かしい人間には見えなかったような気もする。
そもそも真に愚かな人間であれば商売で成功することもないはずだ。
(確かめるしかないか)
分からないならば直接確かめるしかない。
準備を進めて会いに行くとしよう。
数日後。
ミレイヌの不在を狙ってリベール家の屋敷を訪れた。
今日はキケロ男爵に魔動具の購入や、事業への投資という名目でアポイントを取り付けた。
「はぁ……」
ここ数日は気分が上がらない日が多かった。
裏でコソコソと何かを画策するのは前世での私の行いを思い出すことが多かったからだ。
今は以前とは違うと自分に言い聞かせて、ようやく根回しが完了した。
これだけやって成果なしは流石にしんどいので、何か糸口だけでも掴んで帰りたい。
屋敷に入ると例に漏れず客間に通された。
壁には絵画が飾られており、部屋の隅には観賞植物も置かれている。
その種類や傾向はバラバラであり、主人の好みというよりは会話のきっかけとなりそうなものをいくつか置いているといった感じであり商人らしさを感じる。
「イスラ様、お待たせして申し訳ない。今日はわざわざお越しいただきありがとうございます」
「こちらこそお時間をいただきありがとうございます、男爵」
客間で待たされること数分、キケロ男爵は遅れて入室してきた。
前世での印象とは異なり、活気のある顔をしており笑顔で私を出迎えてくれた。
彼の商会は今、成長を続けている最中であり勢いもある。
その成長に水を差した私発案の魔動車も今世には存在していないので、事業の障害は何もない状態だ。
「いつも娘がお世話になっているようでありがとうございます。出来の悪い娘ですが、色々とよくしてくださっているとのお話は伺っています」
開口一番に早速ミレイヌの話題が上がった。
キケロ男爵としてはアイスブレイクの一環だろうが、私としてはこの話が本題なのでいきなりクライマックスだ。
「出来が悪いなどとはとんでもない。ミレイヌさんは他のご令嬢方と比べても遜色ないほど優秀な方ですわ」
「そう仰っていただけるのはありがたいことですが、あまり甘やかさないでやってください。新しいビジネスモデルと称してたまに面白いアイデアを持ってくることもあるのですが、大半は絵空事です」
「そういえばミレイヌさんが愚痴っていたことがありました。お父様やご兄弟が全然自分のアイデアを認めてくれない、と」
「当たり前です。商人は一歩間違えればすぐに借金生活になる厳しい身分です。適当な思い付きを簡単に認めるわけにはいきません。私や息子、長女は既にそのことを良く理解しているからこそ厳しい目線で判断しているだけのことです」
キケロ男爵はいつの間にか難しい顔をしてミレイヌの現状を語った。
その顔からは娘を案じる父親の苦悩が感じられた。
「そういえば、ミレイヌをお褒めいただいたイスラ様こそ素晴らしい方だとお噂はかねがね伺っています。どうかミレイヌにいろいろ教えてやってください」
「どんな噂かは分からないですが、……承りました」
キケロ男爵はすぐに暗い話はやめてニコニコとしながらお世辞を口にした。
どこまで本音で話しているかは不明だが、ここまでの会話で私は一つの仮説にたどり着いた。
(もしかして……ミレイヌはただ不貞腐れているだけなのでは……?)
私から見てキケロ男爵は非常にまともな発言をしている。
特に間違ったことは言っていないと思うし、ミレイヌのことを思ってこそ彼女のアイデアに本気で向き合った結果、ダメ出しが多くなることもあったのだろう。
改めて前世でのミレイヌの発言を思い出す。
『私の家族は愚か者ばかりです。新しい商売を提案する私を蔑ろにして古いやり方に固執する父、そんな父に何の意見もせず言いなりの母、父からの覚えがいいというだけで私を馬鹿にする兄と姉。挙句の果てに父は貴族の爵位を金で買い始めました。あんな奴らがこの先も成功し続けるとは到底思えません』
私はその発言の真偽は気にせずに、ミレイヌから見た世界をより良く見せることに終始したが、現実はどうだろう。
本当にキケロ男爵は古いやり方に固執していたのだろうか。
新しいやり方を導入するまでもなく、常に最善の方法を取っていたのではないか。
本当にミレイヌの母はキケロ男爵の言いなりだったのだろうか。
キケロ男爵の優しさを理解して口を挟まなかっただけなのではないだろうか。
本当にミレイヌの兄や姉はミレイヌのことを馬鹿にしていたのか。
拙いアイデアを出してくる末っ子の妹をからかっていただけではないだろうか。
視点が変われば世界も変わる。
ミレイヌの抱えている問題も、視点一つで大きく変わるのではないだろうか。
「それでは本題ですが、イスラ様。この度はビジネスのご提案をいただきありがとうございます。早速ご説明させていただきます」
そこまで考えていると目の前のキケロ男爵からビジネスの話を持ち掛けられた。
そういえば今日はそういう建前で来ていたのだった。
仕方ないのでミレイヌのことは後で考えるとしよう。
次回投稿予定日:8月30日(金)か31日(土)
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