117.麻中之蓬 (1)
前回の話
イスラはたちはメッツの休暇に付き合った。
夏は過ぎ、段々と涼しさを感じる時間が増え、私は再びレティシアからのお茶会に呼ばれることになった。
この前の温泉旅行を通じて各令嬢たちとの関係も深まったように感じるので、そろそろ次のことを考えてもいい頃合いだろう。
それは皆の抱えている問題を解決していくことだ。
例えば、ミレイヌは家族との関係があまり良くないことが原因で、前世の私のような悪い人間に付け込まれる隙となっている。
同じようにノインは人間関係の狭さ、アンリは自分への自信のなさ、ユフィーは勉強が嫌いなことが目立った課題だと感じられる。
ラスカルは既に周囲との不和の原因であった傲慢さを捨てた結果、皆からの信頼も回復しつつあり、名実ともにレティシアの取り巻きのナンバー2としてやり直せているのだから、他の面々も少しのきっかけでもっと素晴らしい日々を過ごせるに違いない。
もしかしたらこれは私の自己満足でしかない。
いや、罪滅ぼしと言い換えた方が近いかもしれない。
前世で私は彼女たちの抱えている問題を利用して心を惑わし、自分の都合のいいように利用してきたのだ。
この世界での私はそんなことしないが、他の誰が同じことをするとも限らない。
悪い人間に対抗するには、強い心と確かな信念が必要であり、皆にはぜひともそういったものを持っていてほしいというのが私の願いだ。
とはいえ、全員同時並行で対応するのは難しいので、一人ずつ対応していこう。
(最初は……ノインかな)
ノインの問題は交友関係の狭さによる情報の少なさや、特定の人物からの影響の受けやすさであるが、これは比較的簡単にクリアできそうな問題に思える。
そうと決まれば即行動。
私はレティシアにお茶会の返事を出すついでに一つのお願いを手紙に乗せた。
お茶会当日。
いつものようにレティシアの屋敷に招かれた私達は客間に通されたが、いつもと違っていくつかのテーブルが運び込まれており、その上には沢山の本が並んでいた。
私がレティシアにお願いしたのは、ただのお茶会ではなく、読書会にしようという提案だった。
レティシアもその提案を快く受け入れてくれて、今日は皆で本を読む会となった。
「みんな、お待たせ。手紙でも伝えていたと思うけど、今日は読書会にします。というわけで、みんな好きな本を選んで読みましょう!」
主催であるレティシアがやって来たことで会は始まり、皆どの本を読もうか物色を始めた。
ラスカル、アンリ、ミレイヌは自分の好みやレベルに合わせた本を選び取って早々に読書を開始したが、ユフィーは一人でオロオロしている。
ユフィーも読み書き自体は問題ないのだが、読書が苦手なことは前世からよく知っている。
どの本が自分に合っているかを判断するのに難儀しているようだ。
「ノインさん、少しいいかしら?」
「……なんでしょう、イスラ様?」
そんなユフィーを尻目に私は小声でノインに話しかけた。
ノインもまた自分が読むための本を選定してこれから読書を開始しようというところだったためか、少し怪訝な顔をされてしまった。
「ユフィーさんが本を選ぶのに苦労しているみたいだから、少し助けてあげてくれないかしら?」
「……そういうことは私よりイスラ様の方が向いているのではないでしょうか? ユフィー様も私から話しかけられるのは本望ではないかと思います」
ノインはいつもと変わらない無表情で淡々と答えた。
その裏で自分の読書を邪魔されたくない気持ちや、性格が全然違うユフィーのことを快く思わない気持ちもあったかもしれない。
ノインの言う通り、私がユフィーに声をかけるのは簡単だ。
その会話の中でノインを巻き込んで三人で会話をすることも考えた。
だけど、それよりも二人で分かり合う時間が必要だと判断した。
最初に私が間に入ってしまうと、それは友達の友達になってしまう可能性がある。
二人の関係を深めるため、あえてこのような手段を選んだ。
だからこそ、ノインの提案は却下させてもらう。
「ノインさんは私よりもたくさん本を読んでいるはずよ。だから今回は私よりもノインさんが適任だと思うの」
「……ですが……」
「お願い、ノインさん!」
「…………分かりました」
最後にノインは渋々といった顔で私のお願いを聞き入れてくれた。
そしてノインはテーブルの上に置かれた本をざっと見渡し、その中の一冊を手に取った。
「……ユフィー様、これなんかはいかがでしょうか?」
「これは簡単なのか?」
「……私が10歳の頃に読んだ本と同じくらいの難易度のものと思います」
ノインが選んだのは初学者向けの歴史入門書だった。
私にも見覚えがあり、前世で6歳くらいの頃にお世話になった本だ。
「サンキュー、ノイン! 助かったよ!」
「……いえ、大したことではないので」
ユフィーは自分が読むべき本が見つかり安堵してページを捲り始めた。
その様子を見たノインもまた、自分の本を読み始めようと本の表紙を捲りかけた。
「ノインさん、少しいいかしら?」
「……まだ何か?」
そして私は先ほどと同様、ノインに小さく声をかけた。
二回も読書を邪魔されたせいか、ノインは少しばかり不機嫌そうに眉をしかめた。
彼女にとっての楽しみを邪魔したことは申し訳ないが、ここは私も引けない場面だ。
「ユフィー様はあの本でも苦戦しているようだから、ノインさんが手助けしてくれないかしら?」
「……ですから、そういったことはイスラ様の方が向いているかと思います」
「でも、あの本を選んだのはノインさんよ。ユフィー様があの本の面白さを知ってくれたら、それは良いことだと思わない?」
「……それは、……そうかもしれないですが」
「そうでしょう!? お願い!!」
ノインはやはりユフィーへの声かけには難色を示すが、私は構わずノインに手を合わせて拝み倒した。
困ったような顔を浮かべたノインだったが、諦めたように小さくため息を吐いた。
「……分かりました。今日はイスラ様の仰る通りにします。……ちなみに、これにも何か意味があるのですか?」
「そんなに深い意味なんてないわ」
「……そういうことにしておきます。イスラ様のお考えは私には分かりません」
ノインは私の意図を気にしていたが、終始それは分からないままのようだった。
私のことを謀略家か何かだと疑っているようだが、まさか実際は友達を増やしてほしいなどという老婆心からのお節介だったなんて言っても信じてはもらえないだろう。
ノインはゆっくりとユフィーの側に近づき、何かを話しかけた。
「……何かお困りですか?」
「おお、ノインか。せっかく選んでもらった本だけど、ここのところがよく分からなくて……」
「……ここの記載ですか。これは……」
ノインとユフィーは本の内容に関して小声で会話を始めた。
他の面々もそのことには気づいたようだが、咎める者はいなかった。
ノインは普段から声の大きなタイプではないが、その分声量が小さめでもある程度声が通る声質をしている。
今も周囲に気を使いつつ小声でユフィーに何かを説明している声が、途切れ途切れではあるものの私の耳に入る。
それは決して不快なノイズではなく、心地よい音声のように感じられた。
むしろいつもよりも集中して本に向き合えているような気さえする。
それからどれだけの時間が経ったかは分からないが、その時間は突然終わりを迎えた。
「それじゃあ皆、そろそろ感想の発表でもしない?」
全員の様子を伺っていたレティシアが切りのよさそうなタイミングで感想会の提案をしてきた。
反対する者はおらず、言い出しっぺのレティシアから順番にラスカル、アンリ、私、ミレイヌの順に続き、そして最後にユフィーの番となった。
「私が読んだのは、この本だ!」
ユフィーは元気よくノインからお勧めされた本の内容を語り始めた。
前世でもユフィーが読書に苦戦していたところを見たことはあったが、今回はとてもいきいきと本の面白かったところを説明しようとしている。
拙さは残るものの、大きな進歩だと言わざるを得ない。
発表を終えた時には、他の令嬢たちも温かい拍手でユフィーの努力を称えた。
そんな中、ノインが気まずそうに口を開いた。
「……皆さん、申し訳ありませんが、私はこの時間で本を読めておりません。なので感想もありません」
ノインは終始ユフィーにつきっきりで読書サポートをやっていたため、結局自分の読書時間を確保はできなかった。
しかしそれは当然他の皆も見ていたので、誰もノインを責める者はいない。
「ノインさん、ユフィーの面倒を見てくれたありがとう。この子がこんなに楽しそうに本の話をするなんて信じられないわ」
それどころか、レティシアはユフィーに本を読ませるというノインの偉業を絶賛した。
その顔はいつもの張り付いたような笑顔ではなく、本当に嬉しそうにしている。
全員からの尊敬の眼差しを向けられたノインは落ち着かない様子で目線を泳がせているが、悪い気はしていなさそうだ。
「……大したことはしていません」
「そんなことないわ。そうだ、良かったら今度私にもいろいろと教えてくれないかしら? ユフィーに説明している内容が少し聞こえていたけれど、とても分かりやすそうだと思ったの。……ダメかしら?」
「……ダメ、ではないですが」
「じゃあ決まりね。日程は改めて相談するわ」
「……かしこまりました」
興奮気味のレティシアに押されてノインはレティシアとの約束も取り付けることもできた。
これをきっかけに、きっとノインの世界は広がっていく。
いろんな人との交流を持てば、詐欺師に騙される心配も減るだろう。
レティシアに話しかけられ、緊張しながらも受け答えをするノインの姿は、彼女の未来が明るいことを確信させてくれた。
次回投稿予定日:8月15日(木)
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