アメジストの導き
手持ちの中では一番動きやすいワンピースを着て、踵の低いブーツを履き。
その上から、外套のフードを深く深く被り、目立つピンクブロンドの髪を隠して。
メイベル様が訪れた日の夕食後。早々に自室に引き上げた私は、両親が寝静まる時間まで待つと、使用人たちの目を盗み、手提げ鞄ひとつ持ってこっそり屋敷を抜け出した。
そこから夜道をひたすらに歩き続け、日付を跨ごうかという頃。
私は王都内でも比較的小さな、猫モチーフの鉄看板が下がった酒場の扉を緊張しながら潜った。
そこは以前、お忍びで街遊びに赴いた際に、お付きをしてくれたメイドの子が教えてくれた場所だった。
曰く、ここは表向きは酒場だけれど、副業で人材斡旋も行っており、マスターを通して人を仲介してくれるところらしい。実際にメイドの子も一度それでお世話になったことがあると、街歩きの小話の一環で話してくれたのだが、今の私にとっては非常に重要な情報だった。
広いとは言えない酒場のテーブルには飲み食いの形跡はあれど、客の姿は見当たらなかった。
かなり夜も遅いので、既に店仕舞いが近いのだろう。
続いてカウンターの方に目を走らせると、小柄な人物が端で一人お酒を飲んでいるのが見えた。
どうやらお客さんはその一人だけのようで、あとはカウンターで調理器具を片付けている店主と思しき中年男性の姿だけがある。
私は静かにカウンターへ近づくと、店主と思しき男性に思い切って声を掛けた。
「すみません、ここで人をご紹介いただけると聞いたのですが……」
私の声に反応して、男性がこちらを向く。
彼はフードを被ったままの私を見て、あからさまに顔を顰めた。
「……アンタ、それどこで聞いてきたんだ?」
「あ、えっと……友人が、以前こちらで荷馬車の護衛を紹介していただいた、と」
「そんときも、こんな夜中に、わざわざ来たってか?」
「い、いえ。そこまでは聞いてませんが……」
恐る恐るそう答えれば、男性は私を上から下へと改めて見回し、面倒と言わんばかりの大きなため息を吐いた。彼はそのまま腕組みして、何かを考えるように黙ってしまう。
もしかしたら、店を間違えてしまったのだろうか?
それとも今は都合が悪かったのだろうか? 昼間に来るべきだったとか?
どうするべきか悩んでいると、ふいに後ろから別の声が掛かった。
「――やめときな、お嬢ちゃん。このオッサンは悪い奴じゃないが、それほど良い奴でもない。アンタみたいなのが近づいたら、魔が差しちまうかもしれないよ」
驚いて振り返ると、そこにいたのはお婆さんと呼べる年齢の、私よりも小柄な女性だった。
良く見ればカウンターの一番端に座って一人でお酒を飲んでいた人だと思い当たる。
その目つきは鋭く、顔は皺だらけ。羽織った黒いローブ姿は、童話の中に出てくる魔女を思わせる。
ただ真っ白な髪を綺麗に結い上げており、どこか上品な印象を受けた。
「おいおいエダの婆さん、そりゃひでぇ言い草じゃねぇか……まぁ、正直オレの手には余るんでどうしようかと思ってたところだけどよぉ」
「だから助け船を出してやったんじゃないか。ちったぁ感謝しな」
「まぁ、婆さんが引き取ってくれんなら、その方がありがてぇのは確かだわ」
戸惑っている私をよそに、男性とお婆さん――エダさんという名前のようだ――が会話を続ける。
流れを聞く限りでは、どうやら男性は私の対応をエダさんに任せようとしているらしい。
私は慌てて二人の会話に割り込んだ。
「あのっ……私は、この国を出るまでの護衛を頼める方をご紹介いただきたくて、こちらに伺ったのですが……」
「ほぅ、この国を出たいのかい。具体的にはいつまでに?」
「なるべく早く、です。出来れば、隣国の……エイセズ王国まで護衛をお願いできればと」
答えてから、こんなにも馬鹿正直に喋ってしまって良かったのか、少しだけ後悔した。
しかし、私には隣国への伝手もなければ、自分一人で行けるほどの能力もない。
ここまで来た以上、後には引けないのだから、今は突き進むしかないと気持ちを立て直す。
「……アンタ、犯罪者ってわけじゃないだろうね?」
「勿論です。……お婆様もおそらくお気づきかと思いますが、私は元貴族です。なので、ご依頼を引き受けてくださるのならば、相応のお礼をさせていただきます」
「ふぅん……なるほどねぇ」
そう言って、エダさんはフードの下に隠れた私の顔を覗き込んできた。
咄嗟に顔を背けそうになるが、失礼になると思い直し、逆に見つめ返す。
良く見ればエダさんの目の色は私と同じアメジストで、勝手ながらほんの少し親近感が湧いてくる。
一方、私をじっと見据えたエダさんは皺だらけの手を伸ばし、フードの隙間から零れた私の髪の一筋に触れた。びっくりして思わず後ずさり、慌てて髪をフードに入れ直せば、彼女は唐突にニヤリと口角を上げる。
「……お嬢ちゃん、アンタ運が良いよ。今日は客もいないし、店主も口は堅い。秘密の依頼にはうってつけってわけだ」
「おい、婆さん。厄介ごとはごめんだぜ? 何かあったらオレは正直に話すぞ」
「分かってるよ煩いねぇ。ともかく、この娘はアタシが引き受けよう。そうと決まれば、ほれ、急ぐよ」
「えっ……わわっ!?」
何故か二人の中で話がまとまったらしく、私はエダさんに腕を取られる。
そのまま引きずられて店外へと出されそうになったので、慌てて足を突っぱねた。
「待ってください! あの、お婆様が私の依頼を引き受けてくださるのですか?」
「ん? まぁ、正確にはアタシがアンタの護衛を用意してやろうってところかね。なんだい、不満かい?」
「不満と言いますか……」
むしろ都合が良すぎて不安になっているというのが正しい。
もしかしたら私は騙されていて、どこかに売り飛ばされたり、酷い目に遭わされたりするのではないか。そんな当たり前の可能性に、今更ながら足が竦む。
そんな私の煮え切らない態度にも、エダさんは怒ることもなく、
「アタシも無理強いするつもりはないよ。嫌なら手を引くが、どうする?」
あっさりと手を放し、改めて選択肢を投げて寄越した。
どこか面白がるようなアメジストの視線を受けながら、私は私に問いかける。
今ならまだ、屋敷に戻れる。
貴族令嬢として生きていくことも出来る。
それはたぶん正しい選択。
でも、この場にいる時点で、私はその選択肢を捨てたのではなかったのか。
さんざん悩んで、殿下の傍を、この国を離れると決意したのではなかったのか。
ならば、今ここで採るべき答えは――
「……お婆様、お願いします。私に護衛を紹介してください」
最後まで自分の選択を信じてあげることだけだろう。
「――いいだろう。付いてきな」
その言葉に背中を押されて、今度こそ自分の意思で歩き出した。




