0ー1ー2 メルクディシオ
ある日を境にフィスタシアは二人の前に姿を見せなくなった。
予言を行う者として王宮に上がることが決まったと聞かされ、メルクディシオとの婚約を一方的に破棄してきたという。
王宮を訪ねても、誰も知らない、知っていても会わせるわけにはいかない、と無碍に追い返されるだけだった。
フィス家を訪れ、説明を求めるメルクに、彼女の両親が重い口調で明かした内容は恐ろしいものだった。
常に精霊達に囲まれて暮らす彼女は、何の気なしに「どうしたら長引く魔王との戦いに片をつけられるだろうか」と口にする。
ある精霊がその言葉を拾い、自分が知るもっと上位の存在に助力をお願いしてみてはどうかと助言した。
彼女はそのような存在を相手にするのは恐ろしいことと考え、その提案はお断りした。
だが、精霊はそれを遠慮と捉え、彼女は力を貸して欲しいようだと伝えてしまう。
その相手とは時間を司る女神であり、神々の中で最も現実世界に近く、もっとも融通の利かない相手であった。
神は精霊達のように契約を結ばない。
突然彼女に「未来を見る力」が与えられてしまった。
その力は、目の前にいる者の、近い将来を知るような生易しいものなどではなかった。
目の前の相手がどのように死を迎え、目の前の風景が何によって滅びていくのかを見る。
今現在の姿は彼女の目には映らない。
彼女は共に住まう家族の死を見続け、出会う者達全ての息絶える姿を見続ける。
目の前に運ばれた食事の腐敗を見て、美しい都の中で彼女だけが滅びゆく世界に取り残されているのだ。
当然普通の日常生活などおくれはしない。正気でいられることの方が凄いとさえ言える。
死は消滅でしかない精霊達だけが彼女の世話をし、永遠に腐敗しないエリクサーという聖なる薬を、生命を維持する程度に摂取する。
彼女は我々に見えない所でたった一人、人に会わずに暮らし、世界を見張り、魔王による襲撃を王宮に知らせるだけの生活になった。
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メルクは伝説の大賢者の元を訪れようとしていた。
エルフの伝承では、伝説の大賢者は試練の見返りにどんな願いでも叶えるという。
彼はその者ならばフィスタシアを助けることができるのではないかと考えたのだろう。
しかし、大人達からしたら大賢者とは、太古の世界で子供達に無償で贈り物を配り続けた偉人のような者と考えられていた。
つまり、子供のためのおとぎ話だと。
だから多くの者が信じなかった。突然姿を消した彼は、辛い現実に背を向けて逃げ出しただけだと。
わずか一月でメルクは戻ってきた。
彼は手ぶらに見えたし、フィスタシアは相変わらず行方不明だし、魔王は脅威のままで。
がくがくと疲労に震える足のまま、焦燥しきった顔でメルクはべルフィマールのもとを訪れた。
「メルク、何があったの?」
焦燥しきった彼を椅子に休ませ、姿が見えなかった間の経緯を尋ねた。
「大賢者に会って、フィスタシアを普通の生活に戻して欲しいと願った。」
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「それはダメだ。」
森を彷徨い、ようやく探り当てた大賢者の住まいで、メルクの願いは一蹴された。
大賢者の姿は、メルクが知る限りでも、最も高齢なエルフの老人だった。
メルクはヘトヘトだった。
小さな伝承を繋ぎ合わせて、僅かな手がかりを撚り合わせて、殆ど休まず探し回り、ようやくそれとみられる小さな一軒家に辿り着いた。
何度も見たはずの空き地に、何度も通ったはずの森の片隅に、突然それは姿を現し、扉は触れるもの無く開かれた。
「どうしてですか!」
彼はヘトヘトだったが食い下がった。そうですかとここで引くわけにはいかない。
「それは彼女の望みと受け取った神がもたらした変化だ。軽々しく戻すことはできない。少なくとも魔王が健在なうちはまだ。」
「魔王が居なくなれば元に戻せるんですか?」
老人の真っ白な髪と髭に覆い隠された片目がぎらりと開いた。
「これ以上の質問に答えるには代価が必要だ。」
食い下がるメルクに賢者は冷たく言い放った。
「代価とは?」
「人間の魔王討伐に参加してもらう。十年もあれば討伐も出来るか。エルフにとっては十年などほんの一瞬だろう?」
メルクが考える中で最も最悪な労働だ。
多くのエルフ達と同じく、彼自身も人間など大嫌いだ。
この世に魔王をもたらした汚らわしい人間達に仕えて働くなど、死んだほうがマシに思える。
それでも彼女のためならば頑張ることは出来る。しかし。
「…フィスタシアは十年も耐えられるのでしょうか。」
「死んだほうがマシかもしれん。」
意味が無かった。彼は今すぐ彼女を救う道が欲しかったのだ。
付随する情報だけで十年も労働している場合じゃない。本末転倒にも程がある。
メルクは最後の頼みの綱が断ち切られ、運命が自分の手からこぼれ落ちていく絶望の中で、ダメ元で異議を申し立てた。
「賢者様は、どんな願いも叶えてくれるんじゃないんですか。」
「私はそのような宣伝を打ったことはない。」
彼を見下ろしていた目は閉じられ、再び白い髪の中に埋もれてしまった。
無駄足でしかなかった。伝説の大賢者とやらは取りつく島もない。やっとの事で辿り着いたというのに、願い事は却下されてしまった。
生気の失われた顔で俯き、帰るために身を翻した彼に、賢者が思い出したように声をかけた。
「そうそう、私が魔王ならいい加減被害を食い止めておる予言の存在に気がつくな。其奴は真っ先に葬らねばならんだろう。」
そのアドバイスが意味するところに、メルクはざっと血の気が引くのを感じた。
「帰り道はサービスだ。」
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「ベルフィマール、彼女を助けたい。力を貸してくれ。」
戻ってきたメルクが今欲しい助けとは、フィスタシアの居場所のことだ。
フィス家もメルク家もエルフの国では最も有力な一族だ。
歴史も古く、能力の高い者を多く輩出してきた。
それ以上に力を持っているのは王と女王だけである。
エルフの国の王と女王は決して配偶者ではない別々の二人である。
純血エルフの中で最も能力の高いものがそのどちらかの座につく。そしてもう片方が別の一族から選出される仕組みになっている。
そして、今女王の座についているのがベル家の長女ベルミスチア。ベルフィマールの姉にあたる者だ。
ベルフィマールの顔が曇った。姉とはいえ、優しくされた記憶などない。
一族の名折れとして虫を見る様な目で自分を見下し、趣味も行動も全て、気持ちが悪い、頭がおかしいと蔑んできた者だ。
あの女にだけは会いたくないと顔にはっきり書いてある。
しかしメルクは食い下がった。
「頼む。彼女に危険が迫っているんだ。」
「何しにきたの。」
本当に取りつく島もないというのはこういうことだ。
謁見室ではなく、小さな部屋でベルフィマールは姉と対面していた。
女王は赤みの強い金の髪に華奢で精密な作りの王冠を乗せ、眦を上げて目の前の人物を睨みながら言った。
「女王陛下にはご機嫌麗しく…」
「うるさい。用件を先に。」
女王は跪いて挨拶を述べるベルフィマールの言葉を、腕組みをして見下ろしながら一蹴する。
「…フィスタシアが今どこにいるのか教えてください。」
「あの子が何で姿を隠しているか、知っているでしょ。その頭では想像もつかないということ?」
「違います。魔王がその存在を嗅ぎつけました。彼女の命が危険です。」
「そんな事分かってるわ。あいつの進撃が抑えられているのはあの子のおかげよ。お前の様な無能力に何が出来ると言うの。」
「メルクが大賢者の元を訪れてかろうじて得た情報なのです。どうか…」
「えっ、大賢者って本当に実在したの?」
この情報だけは驚きを持って聞き入れられた。
「彼は本物だと確信して戻ってきました。」
しばらく考え込む様子の女王の顔には、なんの表情も浮かんではこない。
ベルフィマールは頭を垂れたまま、祈る様な気持ちで彼女の裁決を待った。
自分が一族の厄介者のみそっかすであることは認める。
だが、メルクは彼の一族できちんと仕事をし、名も立て、正しく生きてきた若者である。彼にはなんの罪もない。
しばらく押し黙ったままの時間が過ぎ、女王が口を開いた。
「本音のところ、私が彼女なら居場所は知られたくない。」
ベルフィマールは友の力になれなかったことに肩を落とした。
だが、言葉はまだ続いていた。
「でも、私が彼の立場なら居場所を知らないままではいられない。」
驚いて顔を上げたベルフィマールに、強い憐憫の情に顔をしかめる女王の姿が映った。
「よろしい。この風の精霊を貸します。でも、場所を教えるだけ、彼女に会おうとするのは許しません。」
小さな精霊が女王の指から降りてきた。
「彼女、手紙は読めるそうよ。ボロボロに見えても、文字は判読出来るのですって。書いてあげたらどう。」
忌々しそうに顔を背けた女王の目には、尋常ならざる生活を余儀無くされた者達に対する哀れみの気持ちが確かに見て取れた。
ベルフィマールは女王の、友に向けられた温情に心から感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます。姉上。」
「他の者が居るところで「姉上」とか抜かしたら首を刎ねるわ。お前のような「弟」がいるなんて汚点でしかないのだからね。」
女王との面会は終わり、裏口から出てきた彼をメルクが待ちかねた様に出迎えた。
話した事を全て彼に伝え、行き方を知った精霊を受け取った事を知らせる。
「ありがとう、でも君のご家族は相変わらずあたりがキツイね。」
「あれが普通よ。貴方が私に慣れすぎなのよ。」
オネエ言葉で話すエルフの男性など、名家でなくとも隠しておきたい存在だろう。
「とにかく道は開けたわ。急いで準備を整えていきましょう。」