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43 令嬢、自分を見つめ直す

 「ルティ、お前を王太子妃から降ろそうと動いている奴がいるぞ」


 ゲーベルは紅茶で喉を潤すと、ティーカップを置きながら言う。あまりにも自然体で話すゲーベルの姿に、正体を知られたと驚く気も起きなかった。

 私は「そんな人もいますわ」と答え、ティーカップを手にとる。数秒間、香りを楽しんでから紅茶を口に含む。ゆっくりと視線をゲーベルに向けた。


 「遠慮など必要ありません。本当のことを教えていただけませんか?」


 ティーカップを下ろす手を止め、私は訊ねる。ゲーベルは口の端で小さく笑うと、顔を私に向け、大きくうなずいた。


 「お前は罪人に仕立てあげられるかもしれない」


 ゲーベルは一息で言い切る。私はティーカップを置き、両手をテーブルの下に隠す。膝の上で握りこぶしを作った。


 「フローラさんの事件、その主犯が私だと?」

 「察しがいいな」


 ゲーベルは感心してつぶやく。私はまぶたを閉じ、心の中でため息をついた。


 「嫉妬に狂った王太子妃が、王太子の心を掴むために罪を犯した。それが、あちらさんの描く筋書きだろうよ」

 「……香水の効果を確認するために、事件を起こしたとでもするのかしら?」

 「だろうな。問題の香水が使われたと予想できる事件が、何件も起きている」


 呆れた声で訊ねる私に、ゲーベルは断定するように答える。私はまぶたを開け、大きく息を吐いた。


 「私を降ろすだけにしては、随分と手の込んだことをするのね。フローラさんの冤罪を晴らしたと、恩を売るつもりかしら」

 「押し売りもいいところだがな」


 ゲーベルは即座に答えると、大仰に肩をすくめる。気遣わしげな表情を浮かべるゲーベルに、私は小さく頭をさげた。


 「……公爵家に戻るべきなのでしょうね」


 私はポツリとつぶやく。泣き出しそうな顔を俯かせた。

 エドモンド様への想いを捨て、王太子妃を辞退する――後悔するだろうが、私にとって一番安全な道だ。

 お父様に許しを請い、公爵家の庇護を取り戻せば、私に冤罪を被せることは難しくなるだろう。公爵家との敵対を望むほど、愚かではないはずだ。

 何よりも『王太子の心を自分のものにするために罪を犯した』という大前提が崩れるのだ。動機のない私を、盲目的に罪人と断じることはできない。ただの令嬢ではなく公爵令嬢に対しての尋問であれば、私にも耐えきる余地があるはずだ。犯してもいない罪を認めることは、決してないだろう。


 私の心の天秤はグラグラと揺れていく。脳内の小悪魔な私は背を向けて何も言ってはくれなかった。


 「ルティ、後悔しない方を選択したらいい」


 ゲーベルが優しく声をかけた。


 「どんなに覚悟を決めていたとしても、予想外の事態は起きるものさ。……その度に思うわけよ、本当にこれでいいのか?止めた方がいいんじゃないか?ってな」


 昔を思い出すかのように、ゲーベルは穏やかな口調で話す。私は唇を固く結ぶと、恐るおそるゲーベルをのぞき見た。

 ゲーベルは目を細め、私を見つめ返した。


 「そんな時は思い出すんだよ。どうして俺が頑張るのか、その理由って奴をさ」


 ゲーベルは私に向かって右腕を突き出すと、握りこぶしを作り、自身の胸に叩きつける。思わず私は顔をあげ、目を大きく開いた。


 「俺は笑顔が好きなんだよ。だから、騎士になって笑顔を守ることを選んだ。まあ、今は笑顔を作ることを選んでいるがな」


 得意げな表情でゲーベルは笑う。自信に満ちあふれたゲーベルの瞳が、震える私を射貫いていた。


 「ルティ、お前はどうして頑張るんだ?」


 エドモンド様が好きだから――喉から出かけた言葉を私は飲み込む。ジクジクと傷口から血が溢れ出したのか、寒気が体中を走っていく。震えを抑えるように、両手でスカートを握り締めた。


 嫌な想像を追い出すために、私は目を閉じる。まぶたの裏にエドモンド様との思い出を映し出していった。

 八歳の私が無邪気に笑ってエドモンド様の手を引いて歩いていた。

 十三歳の私が頬を染めて隣のエドモンド様を見上げていた。

 十七歳の私が表情を歪めてエドモンド様の周囲をにらみつけていた

 私の周りからは人が減っていく一方、エドモンド様の周りには人が増えていく。暗く淀む私と、光り輝くエドモンド様。思い返していくにつれ、表情が青褪めていくのがはっきりとわかった。


 ……私はいつからエドモンド様を見なくなったのだろうか。エドモンド様が今の私にどんな表情を向けていたのか、全く思い出せなかった。

 呆然としたまま、私は目を開く。焦点の合わない瞳が、ギョロギョロと不気味に泳いでいた。


 「大丈夫か?」


 ゲーベルが心配そうに声をかける。私はのろのろと顔をあげた。


 「……頑張る理由がわからないのか?」


 ゲーベルは一瞬だけ表情を歪めると、短く私に訊ねる。私は一層唇を強く引き結び、首を左右に振った。


 「自分の思っていた理由とは違っていたか?」


 どこか確信めいたものがあったのか、ゲーベルは表情をやわらげて訊ねる。私の肩は小さく跳ねた。

 気恥ずかしさを覚え、私の視線は下がっていった。


 「ルティ、俺も同じことで悩んだことがあるぞ」


 ゲーベルはあっけらかんと言い放つ。

 ゲーベル様も私と同じ悩みを持っていた……?下へと傾きつつあった私の頭が、上に向かって行った。


 「解決策なんて単純なものさ。ルティ、お前の心を熱くさせた言葉や出来事を思い出すだけでいい。それが、お前が頑張る理由の全てだ」


 突き立てた右手の親指を、ゲーベルは何度も胸に突き立てる。私はぼんやりとゲーベルの胸元を見ていた。

 次第に焦点が合っていくにつれ、ゲーベルの言葉が私の頭に染み渡っていった。



 『エドは泣き虫さんだね。ルティが助けてあげるから、もう泣いちゃダメだよ』


 王宮の庭園の中、小さな私が仁王立ちで言い放つ。膝を抱えて泣きじゃくる小さなエドモンド様は、潤んだ瞳を私へ向けた。


 『僕を助けてくれるの?』

 『ルティの方がお誕生日は早いんだよ。エリアルも言ってたもん、早く生まれた方がお姉ちゃんなんだって。エドよりもルティの方がお姉ちゃんだもん』


 得意げな表情の小さな私は、どんどん腰を反らしていく。限界を超えたのか、勢いよく後ろに倒れ込んだ。


 『大丈夫?』

 『……平気だし。全然、痛くないもん』


 心配そうにのぞき込む小さなエドモンド様に、涙目の私が答える。表情をくしゃりと歪め、両手で後頭部を押さえつけていた。

 よつんばいで座り込む私に近づくと、小さなエドモンド様は頭を撫でた。


 『痛くないよ、痛くないよ』

 『ルティはお姉ちゃんだよ!子供扱いしないで!』

 『でも、泣いてる』

 『泣いてない!』


 心配そうな小さなエドモンド様に向かって、小さな私は怒鳴りつける。意地を張っているのか、小さなエドモンド様の手をはねのけて立ちあがった。


 『エドは、ルティが助けるから、もう泣かないの!』

 『泣いているのはルティだよ。それに、ルティは勉強ダメダメじゃんか。先生から助けるなんて、無理だよ』

 『うるさい!』


 体をプルプルと震わせた小さな私が声を張りあげる。小さなエドモンド様を見下ろしながら、真っすぐに右手を伸ばす。小さなエドモンド様の眼前に、右手の人差し指を突き出した。


 『ルティはお姉ちゃんだもん。勉強だって、すぐに追い抜いてやるわ。だから、泣き虫なエドは、お姉ちゃんについてくればいいの!』

 『……僕を、助けてくれるの?』

 『お姉ちゃんなんだから、当たり前だよ!』

 『当たり前……。ありがとう、ルティお姉ちゃん』


 小さなエドモンド様は、満開の笑顔を咲かせる。小さな私は、どうだと言わんばかりに両手を腰に当て大きくのけぞった。



 ……そうだったわね、私はエドモンド様が好きだったから頑張ったわけじゃない。ただ泣いているエドモンド様を助けたかった。

 エドモンド様に泣いて欲しくなかったから、私は頑張ったんだ。私はずっとエドモンド様の力になりたかったんだ。


 恋は盲目とはよく言ったものね。エドモンド様のことも、私自身のことも見えてはいなかった。

 エドモンド様に愛して欲しい――この恋心に嘘はつきたくない。間違いなく私の本心だ。でも、私のせいでエドモンド様に泣いて欲しくない。


 エドモンド様の前に、私自身を見直そう。それが、きっと私のスタートラインだ。例え、将来エドモンド様の隣に立てないとしても、私は進んできた道を否定したくない。

 王太子妃になるための点数稼ぎのためではない。私がエドモンド様を助けたいから、エドモンド様の代わりに私が解決する。


 頬を濡らす一筋の涙を拭い、私は顔をあげ、ゲーベルを見やる。焦点の合った瞳に、優しく笑うゲーベルの姿が映った。


 「決めたのか?」


 ゲーベルは短く訊ねる。私は強くうなずいた。


 「公爵家には帰りません。今回の事件、私たちで解決します」


 私は堂々と宣言した。

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