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36 令嬢、幼女に分析を依頼する

 「リーゼ、貴方は解析魔法を使えるかしら?」


 ひとしきり笑い終えた私は、胸元を叩くリーゼの拳を受け止めて訊ねる。質問を聞きとれなかったのか、リーゼは顔をあげると目をパチクリさせた。


 私はリーゼの手を一度離し、床に置いたままの香水瓶を掴んで立ちあがる。私は「リーゼ」と声をかけて右手を差し出した。

 リーゼは私の顔と差し出された右手の間で視線を何往復かさせた後、小さく頬を膨らませたまま、私の右手を掴んで立ちあがった。


 私とリーゼは手を繋いだまま、机に向かって歩く。机の上には、香水瓶が一本置かれていた。


 「リーゼに、もう一度だけ香水瓶を確認して欲しいの」


 私はどこか誇らしげにリーゼへ微笑む。

 香水瓶の謎を解くきっかけ――香水が二層にわかれていることに気づいたのだ。魔法が得意なリーゼならば、香水瓶を開けることなく解析魔法で香水を調べられるかもしれない。

 期待に満ちた私の視線から、リーゼは逃げるように顔を背けた。


 「ルティお姉ちゃん、あのね、リーゼには……」


 俯くリーゼは言葉を濁し、小さな体をさらに縮こまらせる。何も力になれないことが悔しいのだろうか、リーゼの空いた右手はスカートを握りしめていた。

 私はリーゼと繋がれた右手を強く握りこんだ。


 「私にはリーゼの力が必要なの。私ではダメ、リーゼでないといけないのよ」


 立ち止まった私を、リーゼは振り返って見上げた。表情を曇らせたリーゼの瞳はひどく揺れている。

 私の視線と絡まることを恐れているのか、私とリーゼの視線は結びつくたびに離れていく。リーゼは何度も逃げ続けた。


 「リーゼ、私はね、香水瓶の秘密を見つけたかもしれないの」


 私はリーゼの瞳を真っすぐに見つめて微笑みかける。大きく開かれていくリーゼの目は、私を捉えて離さなかった。

 香水瓶を握りしめたまま、立てた左手の人差し指をそっと私自身の口元に押し当てる。小さく笑みを浮かべると、リーゼに向かってウィンクを一つ送った。


 目を見開いたまま固まっていたリーゼの肩が跳ねる。呼吸の仕方を思い出したのか、リーゼの体が急に揺れ始めた。

 口をパクパクと動かすリーゼに、また一つ私から笑みがこぼれていった。


 「宝箱は見つけたのだけれども、私にはその宝箱を開けられそうにないの。リーゼ、私の代わりに宝箱を開けてくれないかしら?」


 私は香水瓶を小さく左右に揺らし、弾んだ声でリーゼに訊ねる。リーゼの視線は、香水瓶を追って左右に行き来した。


 「リーゼ、貴方の魔法で、宝箱を開けてくれるかしら?」


 揺れる香水瓶を、私の目の真ん前でピタリと停める。香水瓶をさっと横に避けると、私とリーゼの視線が交わった。

 数秒間、私とリーゼは見つめ合っていただろうか。どちらからともなく笑いが噴き出していた。


 「リーゼ、宝探しは好き?それとも嫌い?」

 「大好き!」


 リーゼは右手を大きく掲げ、満面の笑みで答えた。


 「ルティお姉ちゃん、宝箱はどこにあるの?早く早く」


 繋いだ手がリーゼの両手で包まれる。リーゼは待ちきれないと言わんばかりに体を私に向けると、私の手を強く引き、後ろへと進んでいった。

 前を向いて歩かないと危ないわ。私は大きく一歩を踏み出していく。リーゼと横並びになって歩き始めた。


 私とリーゼは机の前へと移動する。私は机の上から香水瓶を手に取ると、リーゼに二本の香水瓶を差し出した。

 右から左へとリーゼは視線を動かした後、困り顔で私を見上げた。


 「ルティお姉ちゃん、宝箱はどこにあるの?」

 「宝箱は香水の液面にあるわよ。目を凝らしてよく見てみて」


 リーゼの質問に、私は表情を緩めて答える。両手に持った香水瓶をリーゼの目の前へと近づけていく。リーゼは恐るおそるに香水瓶を受け取った。


 リーゼの右手が掴んだ香水の表面部分を指さして「ここをよく見て欲しいの」と私は声をかける。リーゼは小さくうなずくと、香水瓶を顔の真ん前へと近づけていった。

 右手で香水瓶をクルクルと回転させながら、リーゼは香水の液面をのぞき込んでいく。徐々に眉間にしわを寄せ始めたリーゼは、不満そうに唇を尖らせ、うなり声をあげる。

 数秒後、リーゼの口からこれ見よがしなため息が漏れ出した。


 「……わかんない」リーゼは不貞腐れてつぶやいた。

 「リーゼ、香水自体は紫がかった青色でしょう?でも、表面をよく見て欲しいの。明るい空色が少し重なっているように見えない?」


 リーゼは左目を閉じると、顔に張り付けんばかりに香水瓶を近づけていく。香水瓶を注視したまま固まっていたのは数十秒間だろうか、突然にリーゼは動き始めた。

 右手の香水瓶を下ろすや否や、左手の香水瓶を持ち上げる。再び顔の真ん前で静止させると、リーゼは香水瓶を凝視し始めた。


 「リーゼ、どうかしら?」


 私はリーゼの様子を伺う。香水瓶の陰にリーゼの表情は隠され、私からはリーゼの表情が見えなかった。

 リーゼは大きく息を吐き出すと、左手の香水瓶を下ろす。顔をあげたリーゼが、真っすぐに私を見つめた。


 「ルティお姉ちゃん……すごいよ!大発見だよ!」


 リーゼは眩いほどに瞳の奥を輝かせる。満開の笑みを咲かせたまま、その場で大きく飛び跳ねた。


 「そ、そうかしら?……ありがとう」私は目をパチクリとさせる。

 「そうだよ!リーゼは、全然わかんなかったもん!」


 大きく身を乗り出したリーゼの声には、尊敬の念が色濃くにじみ出ていた。

 どこか気恥ずかしさを覚えた私は、リーゼの澄んだ瞳から目を逸らす。気持ちを切り替えるように、私は一つ咳ばらいをした。


 「空色の層に何か秘密がある、と私は思うの。リーゼが気にかけている加熱式にも、繋がるんじゃないかしら?」

 「宝箱だよね?」リーゼは得意げに右手の香水瓶を持ち上げた。

 「そうね、リーゼには宝箱を開けて欲しいの。解析魔法は使えるかしら?」


 私が訊ねると、リーゼは大きくうなずく。リーゼは左手の香水瓶を私に差し出した。私が受けとると、右手の香水瓶を両手で持ち直し、集中を高めるように目を閉じる。

 受け取った香水瓶を机の上に置く間に、リーゼの手元は白く輝き出していく。私は手のひらを握りしめたまま、リーゼを一心に見つめていた。


 鼓動が吐き気を感じるほどに早くなる頃、香水瓶を覆い隠す光が収束していく。リーゼはゆっくりとまぶたを上げていった。


 「ルティお姉ちゃん……」


 リーゼは私を呼ぶと、言葉を濁して目を伏せる。顔を青ざめさせたリーゼに、私は思わず息をのんだ。香水瓶を握るリーゼの両手はガタガタと震えていた。


 「リーゼ、落ち着きなさい」


 私は努めて落ち着いた声を出す。私の両手でリーゼの両手を包み込んだ。


 「大丈夫、大丈夫だから。私を見て」


 リーゼの両手を私に向かって引き寄せていく。あふれんばかりに涙を貯めたリーゼの瞳が、私を捉えた。

 私は両膝を床につき、リーゼと目線を合わせた。


 「ゆっくりと息を吸って……そう、次はゆっくりと吐いて」


 何かに怯えているリーゼの不安をあおらないように、私は笑みを浮かべた。穏やかな口調で、リーゼにはっきりと声をかけていく。リーゼの両手に重ねた私の両手にも力がこもっていった。


 リーゼの荒れた呼吸が落ち着くにつれ、体の震えも徐々に収まっていく。リーゼはぎこちない笑みを浮かべた。


 「……ありがとう、お姉ちゃん」リーゼは弱々しく礼を言った。

 「リーゼ、もう大丈夫なの?」


 私はリーゼの頭からつま先へと視線を移しながら訊ねる。白々しい質問に、私の胸はチクリと痛み出した。

 ……怖がらせる結果になるとも知らずに、無責任なお願いをしてしまったわ。リーゼ、ごめんなさい。

 喉から出掛けた謝罪の言葉を、私は必死に飲み込んだ。


 「大丈夫だよ、お姉ちゃん」リーゼは小さくうなずいた。

 「……リーゼ、何がわかったのか、聞いてもいいかしら?」


 私は一つ喉を鳴らすと、リーゼと真正面から向き合う。私の問いに、リーゼの肩が大きく跳ねあがった。

 不安げに瞳を揺らすリーゼに、私は優しく微笑みかける。香水瓶を強く握りしめていたリーゼの両手から、力が抜けていく。私とリーゼの二人で、香水瓶を支え持つ形になった。

 リーゼは一瞬だけ目を伏せると、意を決して顔をあげた。


 「リーゼもね、全部はわからないの。でも、でもね……毒が入っているの!」


 表情をクシャクシャに歪めたリーゼは、悲痛な叫び声をあげる。リーゼの頬に、幾筋も涙が伝っていく。涙を堪えようと唇をかみしめる姿が痛々しかった。

 リーゼの不安が伝播していくのか、触れ合う私の手のひらからは熱が奪われていった。


 「この香水に、毒が入っているの?」


 私は震え声でリーゼに訊ねる。平静を保とうした私の努力には、何の意味もなかった。リーゼはあふれ出す涙を拭うこともせずに、大きくうなずいた。


 「リーゼも、お姉ちゃんも……死んじゃうよ」


 リーゼの慟哭が私の耳朶を叩きつけていく。爆発するリーゼの感情に、私は何も言えず、ただ立ちつくしていた。

読んでくださってありがとうございます。

まだまだ頑張っていきます。

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