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24 令嬢、熊男に遭遇する

 「エリアル、身なりを整えなさい。そろそろ帰るわよ」


 私は思考を切り替え、公爵令嬢としてエリアルにきっぱりと言う。喉から出かけた「お姉様」と甘える言葉を飲み込んだ。

 エリアルは「承知いたしました」とつぶやくと、素早く身支度をする。いつもの調子を取り戻したエリアルに淀みはなかった。

 香水瓶への魔力供給を止めると、ほんのりと甘い青薔薇の香りは徐々に弱まっていく。私が香水瓶を木箱にしまう頃には、無表情の仮面をかぶったエリアルが静かに私を見つめていた。


 「お嬢様、木箱をお渡しください。私がお運びいたします」

 「お願いできるかしら」


 エリアルは私から木箱を受けると、不思議そうに軽く首をかしげながら、木箱をのぞきこむ。


 「お嬢様、どうして香水瓶を三本も買われたのですか?ライラック様へのプレゼントであるならば、一本でもよろしかったのでは……」

 「一本はエリアルの分よ。もう一本は私の分。リーゼとエリアルと一緒の、お揃いのものが欲しかったのよ」


 私は何の気なしに答えた。

 姉のように慕うエリアルと、妹のように愛しいリーゼ。付き合いの長さに違いこそあれ、どちらも私にとって大切な存在だ。だからこそ、リーゼだけでなくエリアルにもプレゼントを贈りたかった。

 ……もっとも、私自身への分は蛇足ではあるが。


 親しい友人同士でお揃いのものを身につける――恋愛小説のヒロインとその親友の仲睦まじい様子に憧れを覚えてもいたのだ。

 恋愛小説の騎士様に憧れを抱くリーゼとそれほど変わらない、と私の口元は自然とほころび始めた。


 「エリアルは青薔薇の香水が気に入ったのでしょう?いつも私を助けてくれるエリアルへのご褒美だから、遠慮なくもらっておきなさい」


 目を見開いて固まったエリアルを気にすることなく、私は言葉を紡ぐ。

 香水店でのエリアルのはしゃぎ様から、青薔薇の香水が気に入っていることを疑いはしなかった。

 会心のウィンクをエリアルに見せつけ、私はニヤリと笑う。薄っすらと涙の膜で覆われたエリアルの瞳に映る私は、なかなかに格好がついている。

 脳内の小悪魔な私も満面の笑みでサムズアップしていた。


 「……お嬢様、あいもかわらず下手ですね」


 エリアルは小さくため息をつくと、残念そうに眉を八の字にする。


 「何を言っているの?」


 私は小さな声で訊ねる。エリアルは「何でもありません」と軽く首を左右に振る。濡れていたエリアルの瞳はすっかりと乾いてしまった。

 表情を消したエリアルは目線を下げて私と合わせると、これ見よがしに木箱を持ち替えた。


 「お嬢様、そろそろ……」

 「ええ、わかっているわ。帰るわよ」


 エリアルはためらいがちに口を開き、私に行動を促す。私は肩をすくめて、大通りに向けて歩くべく踵を返した。

 すれ違いざまに横目で見たエリアルは、口元を緩めて微笑んでいる。私の心は満足感で満ちあふれていた。

 踏み出す一歩がいつになく軽やかだった。思わず目を閉じ、頬を撫でる風を楽しむ。一歩二歩と舞い歩いた。


 「――そこで、お前たちは何をしていた?」


 唐突に、鋭い男性の声が私の鼓膜を揺らす。自分の世界にトリップしていた私には、声の主が私を咎めているとはすぐには気づけなかった。たたらを踏みながら慌てて私は足を止めた。

 まぶたを上げた先には、熊のように大柄な男性が立っていた。以前に花屋で出会った私とリーゼを捕まえた熊男。あの時の恐怖を思い出し、私の体は小刻みに震え始める。あふれ出しそうな涙を必死に押しとどめるべく、スカートを強く握りしめていた。

 初対面の際に見せたいやらしい笑みを熊男は浮かべながら、私に近づいてくる。私の足は地面に縫い付けられたように固まった。熊男との距離が近づくごとに、私の息苦しさは増していく。


 唐突に、エリアルの華奢な背中が私の視線を奪った。


 「何だお前は?」

 「貴方様こそ、どちら様でしょうか?私たちにどのような御用件があるのでしょうか?」


 熊男は不躾に訊ねると、エリアルは慇懃に答えた。私の前に出たエリアルの表情をうかがうことはできないが、真っすぐに伸びた背筋に怯えは見られない。

 常と変わらない様子のエリアルにどこか安心感を覚えた。


 「お前に答える必要があるのか?」

 「でしたら、私たちが貴方様のご質問にお答えする必要もございません。道を空けていただけますか?」


 エリアルは冷たい声で言い切る。熊男は苛立たしげに舌打ちをした。


 「お前とは話す気も起きないな。用があるのは、そこのお嬢さんにだけだ」


 熊男は一歩だけ横に踏み出し、私をのぞき込む。熊男と視線が合うや、私の呼吸は落ち着きを失っていく。私の口からは小さく悲鳴が漏れた。熊男はニヤニヤと不快に笑いながら「久しぶりだな」と声をあげると、エリアルを押しのけながら私へと一歩近づく。

 私は半開きになった口を閉じることもできず、歯をカチカチと鳴らした。

 

 「おやめください!」エリアルは素早く体を動かして私を隠した。

 「お前には用はない、そう言っただろうが。二度も言わせるな」

 「御用件をうかがいます!ですから、お嬢様を怖がらせるようなことはなさらないでください!」


 エリアルが慌てて声を張りあげる。その声はたしかに震えていた。

 ごめんなさい、エリアル。熊男を近づけまいと押しとどめるエリアルの背中を見ながら私は自省する。

 エリアルが怖がっていることから目を逸らし、私は何をしているのだろう?熊のような大男に詰め寄られれば誰だって怖い。エリアルが何も感じないわけがないのに、私だけが悲劇のヒロインに酔って救いを待っている。そんなことは許されるわけがないのに……。

 私はぎこちなくも下唇を噛み締める。震える口がうまく動かず、力がなかなかはいらない。じわりと痛みが広がるまでの数秒間で、熊男はエリアルを押しのけて私の目の前まで接近していた。

 息を小さく吐くと、私は正面から熊男に対峙した。


 「私に何か御用でしょうか?」


 私は軽く腰を折って会釈すると、名前も知らない熊男に儀礼的な笑みを返す。熊男は不快な笑みを浮かべたまま、私の身体を舐めるように見下ろす。生理的な嫌悪感からか、背筋が冷たく凍った。


 「いやあ、久しぶりにお嬢さんに出会ったからよ、声をかけてみたんだ。こんな薄暗い裏通りに知り合いがいたら、心配の一つもするだろ?それが男ってものさ」

 「それは……ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」


 熊男は下卑た笑みを崩すことなくおちゃらける。私に同意を求めるように小さく肩をすくめた。

 私と貴方は知り合いと言える間柄ではないのでは?そう疑問に思いながらも深く礼をする。熊男への不信感は拭えないが、私とエリアルの安全を確保するためにも熊男の気分を害するわけにはいかなかった。


 「ああ、そんなに改まるなよ。お嬢さんを困らせるつもりはないんだ。……あの時は悪かったな」


 私が顔をあげると、熊男は照れ臭そうに頭をかいていた。私は目を見開き、不快な笑みを消した熊男を見る。まさか謝罪の言葉を聞くとは信じられなかった。


 「いえ、私はもう気にしておりませんから」

 「まっ、男のケジメってやつだ。悪いんだが、謝罪を受け入れてくれ」


 私が小さくうなずくと、熊男は鼻頭を揉みながら優しげな笑みを見せる。私もつられて微笑んだ。

 そっと視線を熊男の横に向けると、エリアルが警戒心をむき出しにした視線を熊男に送っている。目線で害がないことをエリアルに伝えるが、首を左右に振り否定される。

 まだ警戒を解くには早いということかしら?


 「……なかなか優秀なメイドだな」


 熊男はぼそりと感心の声を漏らす。思わぬ内容に私は必死で声を飲み込んだ。

 視線を動かした一瞬で、その意図を把握したの?

 服の上からでもわかる強靭な筋肉から戦闘に秀でていることはわかっていた。初対面の際も簡単に私の魔法を看破していたのだから。……ただ洞察力まで秀でているのは予想外だった。

 エリアルとのアイコンタクトは阿吽の呼吸でできる。微小の視線移動が勘づかれるとは信じられなかった。

 私の熊男を見る目はすっと細くなった。

読んでくださってありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。

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