眠くならない歴史の授業
◆ ◆ ◆
「てか、まさかあんたが薬にまで精通しているとは思わなかったわ」
「私に出来ぬことはない」
ユイは病院の廊下を足早に歩きながら、ガスマスクを外す。白無垢の袖に入れ直すのだが、これがなかなかに重たかった。
「でも、何かしら出来ないこともあるでしょう?」
首を傾げるユイの背中側から、盛大な銃声音が響いていた。
――ルキノは大丈夫かしら?
心配する気持ちがないわけではないにしろ、ユイは敢えて思考を逸らそうとする。
隣を悠然と歩くナナシは言った。
「そうだな……運命を変えることと、死んだ人間を生き返らせることくらいだな」
「えらく壮大ね」
苦笑するユイに対して、ナナシは間を入れずに告げる。
「ちなみに、小僧なら無事だぞ。華麗にとは言い難いが、弟を救って感動の再会をしているところだ」
「な……別にルキノのことなんかどーでもいいでしょ!」
「それならば、なぜ顔を赤らめる。ほら、ヒッソリと安堵の息を吐いただろう? そもそも、この作戦を発案したのはエクアージュではないか。そんなに心配なら、もっと穏便な手立てもあったと思うのだが」
「あーもう、うるさいうるさいっ!」
ユイはナナシの腕をパシンと叩くと、ナナシの口角が上がった。
「エクアージュよ、もう少し淑やかにしたらどうだ? せっかくの衣装が台無しだぞ」
「衣装って……むしろ重たいからさっさと着替えたいんだけど」
「その時間と着替える服とそれを隠しておく場所はどうするというんだ?」
「えーと……とりあえずこの着物は燃やすでもして――」
視線を逸らしながら思案するユイを、ナナシが一喝する。
「ならん‼ 花嫁衣裳を焼却処分する娘がどこにいるというのだ。私は絶対に許さんぞ! いらぬなら、私が貰う!」
「あんたが貰ってどーするのよ?」
眉をしかめるユイに、ナナシは堂々と言い放った。
「それは秘密だ!」
「あー、そーですか」
ため息を吐きながらも、ユイたちは目的の部屋に到達する。
情報管理室。患者情報を統括、管理する部屋である。
ユイはまた袖口から、今度は小型通信機を取り出した。画面を見れば、中には人がいることを知らせる赤い点が一つ点滅している。
「いたいた」
ユイはニヤリと笑うと、袖をたくし上げた。隣を見上げれば、ナナシが「うむ」と頷く。
「じゃあ、中ボスと対面しますかね」
そして、ユイは指を弾く。
厳重に閉ざされた扉が、爆砕した。その熱風がユイの綿帽子を吹き飛ばし、まとめた髪をほどかせる。
中にいた人物が、驚愕して目を見開いていた。
「あ……あなたは……」
「どーも。モナ先生、お仕事ご苦労様です」
ユイは髪を束ねていたピンを取りながら、片目を瞑る。片手でキャッチした綿帽子の汚れを手で払っているナナシに対しては、
――どこまで白無垢に思い入れがあるのよ。
と、内心ツッコみながらも、極力気にしないことにするしかない。
ユイは向き直り、奥にあるものを一瞥するものの、すぐさまモナに向かって笑みを浮かべる。
二か月前の実習の際、反政府組織の一員として暗躍していた教師である。
ランティスのマナ施設制圧に失敗した後も、ちゃっかりと教員として普通に授業を続けていた彼女だが、実習の時には同行教師として堂々と引率に参加していたものの、今回の演劇の引率はナナシ教師のみ。しかも、彼女の今の姿は青いたおやかな髪をきっちりと結わき、ボディースーツのような戦闘服に身を包んでいる。
そんな彼女に、ユイは言う。
「先生も大変ですねぇ。こんな所でも授業の準備に勤しんでるなんて」
「ふっ……さすがに白々しいですよ。ユイさん」
「わかってるわよ、そんなこと」
手を止め、向き直るモナ。
そして、ユイは早々に本題を切り出した。
「そういうわけなので、先生。ちょっと私と取引しませんか?」
「取引?」
彼女の顔が渋る。
――そりゃそうよね。
予想通りの反応が、可笑しかった。
彼女にしてみれば、念入りに準備したであろうテロ行為を、突如現れた不可思議な力を持つ一学生に滅茶苦茶にされたのだ。しかも、その学生は数ヶ月前にも邪魔をしてきた害悪。
その相手が、今度は取引をしようと言ってきたのだ。訝しむのが、通常の思考であろう。
「怪しむのも当然だと思うけど、そうそう悪い話でもないのよ? 利害はそれなりに一致しているはずだから」
「反政府組織に入信する気になったとでも?」
「まさか!」
ユイは絡まる髪を手で梳かしながら、鼻で笑う。
「救世主様とか神様なんて、いるかどうかもわからないもののために、どーこうする趣味は変わらず持ち合わせるつもりないもの」
「なら、あなたは一体何が目的なのですか?」
モナが、腰から拳銃を抜く。
――またそれか。
見慣れた銃口に、ユイは今更恐怖を覚えない。そんなもので、自分は死なない。その自信が、ユイにはあった。
なんせ、自分は――――
「この世界を破滅させようと思うから、ちょっと情報を共有しませんかー? て思って」
ユイは満面の笑みでそう言って、整え終えた髪を払う。それに、モナの年の割に可愛らしい目が丸々と開いた。
「世界を破滅って……あなた、本気で言っているの?」
「いやぁ、救世主だか神様だとかを本気で言ってる人たちに、そんなこと言われましてもねぇ」
「……救世主様方は、本当にこの世界に実在いたします」
――がた?
その複数形に顔をしかめると、モナが一瞬悩んだように俯いてから顔を上げる。
「このエクアの外の世界――外殻の世界の人々は、皆、神々の――そう、あなたのような力を持っているのです」
「どういうことなの?」
首を傾げるユイに、「これは極秘事項なのですが」と前置きして、モナは話し始めた。
「単刀直入に言えば、数百年前の世界大戦は、エクアの科学と外殻の奇跡の力の争いだったのです」
「奇跡の力って――」
「魔法、だな」
ユイの疑問に、ナナシが返答する。それにモナは眉間を寄せた。
「魔法だなんて……いかにも幼稚な言葉を使いますね」
「何か問題あるか? 端的な表現というものは、エクアで好まれるものだと把握しているが」
「……まぁ、いいでしょう。今は合わせてあげます」
咳払いをして、モナはユイを見やる。
「では、ユイさん。あなたはその魔法の力、どう思いますか?」
「どうって……便利だなぁ、と思うけど」
「そうですか……では、魔法が使えない人間から見たら、魔法を使える人間はどう見えると思いますか?」
「そりゃあ、羨ましいんじゃない?」
「そうですね」
そのやり取りは、まるで授業のようだった。答えがわからない生徒を、答えに導かせるかのような、誘導尋問。
あくまでおだやかな口調のまま、モナは言う。
「では時として、羨望が恐怖に変わることがあることも、想像付きますか?」
ユイは一瞬、顔をしかめる。
言っていることは理解できるし、なんとなく想像もできる。
たとえば、タカバはとても力が強い。真っ向から喧嘩をすれば、ユイはとても敵わない。
その力が、誰かと戦わなければならない時、いいなと思ったことがたくさんある。
そしてタカバと対峙する時に、怖いと思ったことも何度もある。
モナは語る。
「かつて、世界には魔法が使える人間と、使えない人間がいました。始めはそれを個性の一つとして、頼り、頼られ、共存していました。ですが、力というものは時として残酷です。その力関係で強者と弱者に分かれ、差別が起こるのもあっという間のことだったそうです」
彼女の授業科目は、歴史学。
だけど、今はあの眠くなる授業とは違っていた。彼女自身の気迫が、まるで別物なのだ。
「そうなれば、魔法の使えない人々もまた、力を付けようとします。魔法に対抗すべく、抗い発展していったのが、科学。始めのうちは魔法の足元にも及ばない力でしたが、研究に研究を重ねるにつれて、その力もまた甚大なものになっていきました。そうして、力を付けた弱者が起こすことが、戦争です」
授業では、戦争後のエクアの発展についてばかり学んでいた。
まるで、全世界の創生はその戦争後に起こった出来事のような扱いだったが、それに特別ユイは違和感を覚えたことはなかった。
元よりユイは歴史に興味がなかった、ということもあるが、一概にそれだけではないだろう。
授業は元より、他の情報報道でも戦前のことが取り扱われることはまずなかったのだ。
だけど当たり前だが、戦前に歴史がなかったわけがない。
――全然、意識したことがなかったけれど。
戦争が起こる前にも、人は生き、歴史を紡いできているのだ。
「だけど、魔法の力はそんなすぐに敵うものではありませんでした。現に、一人の女学生がその力で、どれだけのことが出来ましたか? テロリストの大規模作戦を失敗に追いやり、最新兵器をあっという間に破壊。今も他の生徒がテロに遭っているという最中、一人そんな重い衣装のまま無傷で抜け出して、警備が厳重なこの場にいるではないですか」
モナはユイに銃を向ける。
だけど、ユイは微動だにしない。そんなユイに、モナは苦笑した。
「敵うわけがありません。何の準備もなく、一声あげるだけで何人もの人を殺せるその力。臨機応変に火も、水も、風も、すべてを一瞬にして無にできるその力。そんな力を持っていれば、一瞬で殺せる武器を向けられても、恐れる必要はないですよね。そんな現実を知って、魔法を持たない人々は、絶望しました」
モナは銃を下し、笑みも落とす。
「あとは散々私が教えてきましたね。魔法を持たないエクアの祖先は、死に物狂いで避難場所を作りました。小さく小さく引きこもったエクアの住民たちは、まるで外の世界がないかのように、自らの作った狭い檻の中で、誰にも邪魔されず悠々自適に暮らしています。だけど……疑問には思いませんか?」
モナが視線を上げた。
「どうして私たちをここまで追い込めた強者は、閉じこもった私たちを放っておいてくれるんでしょうね?」
「……興味がなくなったからじゃない?」
弱い奴らなんか、自分たちの邪魔をしなければ関係ない。そういう思考があっても、おかしいことではないだろう。
ユイがそう考えても、モナは首を振る。
「たとえ小さな力であっても、珍しいものがあれば覗いてみたくなるではないですか。だけど、何かプレゼントを上げるから覗かないでくれと頼まれれば、言う事聞いてあげてもいいかなって思いませんか?」
――まぁ、確かに。
ユイが頷くと、モナが微笑を浮かべる。それは、とても悲しそうな顔だった。
「もちろん極秘事項ですが、エクアは外殻の世界に、定期的に奴隷を提供しています。貧しい者、成績を残せない者、忌み嫌われる者――『劣等種』。この響きに覚えはありませんか?」
その単語に、ユイは息を呑む。
それは、散々言われてきた言葉だったから。
『オイ、劣等種!』
あのイジメっ子に、ユイは何度そう呼ばれきたことだろう。




