機転を相手に求めた結果
真っ白な織物に身を包んだ彼女が、シトシトと歩く。
恥ずかしいのだろうか。視線を流すその瞳が、憂いと色気を隠しきれていなかった。陶器のような白い肌から少し見える、漆黒の髪が彼女を引き締める。いつもより赤い唇から漏れる吐息に、ルキノは溺れるような錯覚すら覚えた。
「…………綺麗だ」
零れた言葉に、呆然としていたヒイロとタカバが振り返る。
――しまった!
気付いた時はすでに遅し。
ルキノは彼女から目を背け、大きく酸素を肺に入れる。頭を回す。現実を思い出す。
今は舞台中。これは芝居なのだ。
「おぉ……この世とは思えぬ美しさ……そなた、名はなんと言う⁉」
ルキノは一歩踏み出し、腕を広げた。
顔を上げたユイは、やっぱり恥ずかしそうな顔をして。一瞬を唇を噛みしめてから、応える。
「お……王子様に名乗るほどの者ではございません!」
すぐさま歩を翻し、舞台にかかる階段を降りようとする。
「待っ――」
逃げる彼女を追うのは、台本通りの動き。
「あっ」
だけど、彼女が階段で躓くのは想定外の出来事だった。
ルキノは即座に邪魔な位置にいたヒイロを突き飛ばし、舞台から飛び降りる。
スポットライトが動くよりも早く、ルキノは頭から浮こうとする王冠を片手で押さえながら、もう一方の手でしっかりとユイの身体を抱き止めた。布の厚みで彼女の温もりは感じない。
代わりに着地と同時に走るのは、電気が走るような痛み。怪我はやっぱり治り切っていないらしい。
それを隠すように、ルキノは苦笑を浮かべた。
「けっこう重いんだから、転ばないでくれるかな?」
「し……失礼ね! この白無垢が重すぎるのよ‼」
耳元で叫ぶ彼女の声が、鼓膜を揺るがす。
すぐに自分の足で立つ彼女を残念に思いながら、ルキノは片目を閉じた。
「しろむくって……その衣装のこと?」
「そ……そうよ! 古代の花嫁衣裳なんだって」
「ふーん……なかなか豆知識が盛り込まれた観劇だね。で、なんで君が花嫁衣裳を着ているの? 僕のお嫁さんになりにきたとか?」
「ば……馬鹿言わないでよっ!」
振り上がろうとする袖を、ルキノは引っ張る。
それでまた少し体制を崩したユイの耳元に、ルキノは顔を近づけた。
「まだ怪我が治ってないんだよ。これ以上、僕を振り回すのは勘弁してもらえる?」
ルキノの頬が、ユイの頬に触れる。それが少しだけあたたかい。
彼女の唇がパクパクと動いている。
――可愛い奴め。
そう思っても、今抱きしめるわけにはいかない。スポットライトが二人を照らし、観客は次の台詞を待っているのだ。
「あぁ……僕の目と心を奪う君よ。もう一度尋ねよう――君の名はなんと言う?」
「私は……」
彼女がゆっくりと息を吸った時だった。ダンッと急激に照明が落ちる。
ルキノは周囲を見渡そうとしながら、即座にユイの肩を抱いた。
観客からざわめきが起こる。そして、壇上からは戸惑いの声。それもそのはず――こんな演出は予定外なのだから。
ルキノは敢えて声を潜めずに、ユイに訊く。
「大丈夫か?」
まわりは全く見えない。まばゆい場所から反転したのだ。目が慣れるにはどれだけの時間がかかるだろう。何かのトラブル。だったら、落ち着いて対処するのが舞台俳優というもの。
――まぁ、ただのトラブルならいいけどな。
もしそうでないとしたなら、いっそう観客にバレないようにしなければいけない。
騒ぎが大きくなればなるほど、敵の思うツボなのだから。
ユイにはその意図が伝わっているのかいないのか。彼女の反応はいつも通りだった。
「大丈夫だけど……ちょっと離してくれない?」
「え?」
「は……恥ずかしいのだけど!」
――こんな時に、本当何を言ってるんだ……。
そう呆れるものの、だからこそ無性に抱きしめたくなる衝動をルキノは懸命に抑えて、
「誰にも見えないんだから、安心して恥ずかしがってなよ」
そう言うだけに留める。
観客から上がる黄色い悲鳴と余計に委縮する彼女に苦笑しながら、ルキノはゆっくりと目を閉じた。
見えないのだから、目を開けていても仕方ない。
代わりに、聞く。
観客は静かになった。壇上のクラスメイトは原因追及をしているのか、バタバタと走り回っている。さらに耳を澄ませば、耳元の彼女の吐息が色っぽかった。さらに感じる仄かに甘い香りに、思わず身を埋めたくなる。
――何考えてるんだ、僕は。
雑念を振り払うように頭を振ると、クラクラと眩暈がし始めた。ボンヤリと惑う思考に、全てを委ねたくなる倦怠感。それはあまりに心地良く、あまりにおかしい。
――色ボケするにもほどがあるだろ!
「頼みがあるんだけど?」
ルキノは声を潜めながらゆっくりと目を開くと、ボンヤリとだがユイの顔が見えたことに安堵する。
彼女はなぜか驚いたような顔していて、ポカンと開けた口が間抜けだった。
彼女は囁くような声で訊き返して来る。
「な……何?」
「ちょっと眩暈がするからさ、僕の顔、叩いてくれない?」
「はぁ⁉ こんな時に何言ってんのよ。じ、自分でやれば⁉」
「そんなに狼狽えないでもいいだろう? 君、ビンタするの好きじゃないか」
「ビンタが好きな女なんてどこに――」
彼女は声を荒立てかけたが、「いいわよ」と落ち着きを取り戻すやいなや、容赦なくその手を振ってきた。歯の奥まで痺れる痛みに、ルキノは苦笑を漏らした。
「はは……やっぱりビンタ好きだったんだね?」
「ん。そうみたいね」
ルキノはヒリヒリとする頬を押さえながら、もう一度目を閉じる。
――客席の奥から聴こえる足音はなんだ?
そう思った瞬間に、一斉に照明が付いた。まばゆい光に目をしかめながら、ルキノは舌打ちする。
――やられた!
客席を囲うように並ぶ機関銃を持った者たちがざっと二十人。迷彩柄の戦闘服にマスクをかぶるその姿では、各々の素性はまるでわからない。
ただわかることと言えば――ルキノにとって、こいつらは敵だ、ということだ。
状況に気付いた観客が、一斉に悲鳴をあげる。
何人かが逃げようとして腰を上げると、しっかりと機関銃の銃口がそちらへと向く。
ルキノはとっさに声を発した。
「とうとう姿を現したな、暗殺者めっ!」
ルキノはユイを庇うように後ろへ下げながら、一歩前に出る。
「この舞踏会で僕が狙われているのは分かっていた! 跡取りも世継ぎもいない僕が死ねば、ヒューデル侯爵の一人娘である貴様にも王座に付く可能性があるから――そうだろう、タカバ夫人⁉」
「ハァ⁉」
ルキノの堂々とした発言に、素で口をポカンと開けてくる壇上のタカバ。しかしハッと気を取り直した彼はルキノを睨み付けながら、鬱陶しそうにスカートをめくって壇上を進む。
ルキノはその顔の割に小さな目をジッと睨んだ。
――このくらいの機転、お前だって利かせられるよな⁉
もちろん、今起こっているのは明白なテロ行為だ。舞台を決行した結果、いよいよ反政府組織が動き出したのだろう。
しかし、テロ行為に巻き込まれたことが観客にも伝われば、即座に発砲が開始される可能性が高い。そうなれば、ここはあっという間に血の海だ。何の落ち度もない患者や医療者に被害が及ぶのはもちろん、ルキノたち生徒も皆、タダでは済まないだろう。
戦おうにも、この観客全員を守ることは不可能。武器もないのだから、自分たちも怪我だけで済む訳がない。
テロリストたちの要求は不明。ただ単にエクアの治安を乱したいだけという可能性もあるが、個人的な懸念を確認するために、ルキノは客席を確認する。
真ん中に座っているルイスは、顔をしかめながら静かに辺りを見渡していた。
そして、目が合う。
――俺に何をしてもらいたいんだ?
この一ヶ月、定期的にルイスと会っていたが、彼が何を求めているかわからなかった。怒鳴られるわけでもないし、泣きつかれるわけでもない。何かを要求されるわけでもなければ、特別避けられているわけでもない。
――もっと素直に言ってくれれば……。
言ってくれなければ、何をしてあげたらいいのかわからない。
話してくれなければ、何を考えているのかわからない。
『本音で話すって、大事だよね』
ふと思い出すのは、メグの言葉。その通りだな、と今なら素直に頷ける。
――お互い様なんだけどな。
小さく笑って、ルキノはタカバを見返した。タカバはニヤリと口角を上げると、カツラをバッと投げ捨てた。
「よくもオレサマが親玉だってわかったなァ、腐れナルシスト王子! 今日で年貢の納め時ィ! この国はオレサマが貰ったァッ‼」
――なんか、違くね?
カツラは暑かったのだろう。タカバがブルブルと頭を振ると、光る汗が弾け飛ぶ。
長いスカートを破り、袖も破る。野生児帯びたその姿に、その無理矢理な展開が芝居だと信じた幾人かの感嘆がルキノの耳に届いた。
――だから、たまにやたらとカッコいいよな。
呆れ半分と尊敬半分に胸に、ルキノは狂った辻褄を合わせようと、ニヒルな笑みを浮かべた。
「クックック……とうとう正体を現したな。この僕を蹴落とそうとする野蛮で卑劣な下郎め! あわよくばお前の娘を嫁がせ、そのまま僕が傀儡になるなら良し。そうでなければ毒殺でもなんなりする魂胆だったのだろうが――そうはさせるものか! さぁ衛兵よ、この者たちを捕らえよ‼」
威勢よく言いきり、ルキノはテロリストたちを指差す。
だけど当たり前だが、その命令に動く者はいない。背景音楽も優雅でロマンチックなダンス音楽のまま。それもそうだとルキノが把握するのは、すでに台詞のように言い切った後のこと。
この劇の配役で兵士役もいなければ、戦いの音楽の準備もないのだ。
壇上の役者たちも、カーテンの奥にチラリと見える裏方の生徒たちの中には、ルキノの意図をわかっている者もいるであろう。だけど、出ていくべきなのかそうでないのか、決断できずに皆でキョロキョロ見渡しているだけである。
――あ、もしかして、タカバはマシな方だったのかも。
その当人は『オレ、飛び出していいのか⁉』と言わんばかりの顔でギッとルキノを睨んでくる。
横に立つ白無垢のユイが、呆れたような半眼を向けていた。
ルキノは小さく愚痴を漏らす。
「なんだよ、もっとマシな手段があったというのか?」
「誰もそんなこと言ってないわよ」
そして、彼女が小さく笑う。
「よく足掻くなぁ……て思ってさ」
――どういうことだ?
意味深く感じた彼女の言葉に浮かんだ疑問符を問いかけようとした時だった。
「じゃ、じゃーんっ!」
ホールの扉が威勢よく開く。そこに現れた姿に、ルキノは固唾を呑んだ。
それは、祭りでよく売っている漫画のキャラクターの仮面をつけた少女。
小型な彼女が着ているものはいつもの白い制服だが、要所要所に見慣れない赤い模様が付いていた。それと同じ色の髪を無理矢理高い位置でくくっているからか、ピョコンと小動物の耳のようにも見える。
「ぷりてぃサミィ、ただいま見参!」
そして、彼女は何時ぞやの授業の時以上にクルリと回って、華麗なポーズを決めた。
「悪い子にはぷりてぃでキュートな鉄槌をお見舞いしちゃうゾ!」
子供たちから上がる大きな歓声。
「さ……サミィちゃん!」
さらに、タカバのなぜか嬉しそうな悲鳴。
改めて、サミィちゃんとは巷で人気の魔法少女漫画の主人公だ。以前よくわからない授業の題材にもなったシニカルな漫画である。
サミィちゃんは言う。
「王子のピンチを聞いて、助けに来ました! ここはあたしにお任せあれ――とぅ!」
彼女は高く飛び上がり、宙返り。着地してすぐさまバク転を二回。直後に唖然としていたテロリストに回し蹴りで、二人をまとめて吹き飛ばす。
「力とお金が、友達よ!」
そして、再び決めポーズ。
アクロバティックな動きに、大人からも湧き上がる歓声。さらにますます盛り上がるタカバの雄たけび。
ルキノは横を向いて、ユイに尋ねた。
「……あれってメグだよね?」
「自分の彼女くらい見極めてあげなさいな」
「あれが彼女って、複雑だなぁ」
苦笑しながら漏らしたことに、特に意図はなかった。ルキノとしては、雑談のような、ちょっとした愚痴のような軽い気持ちの言葉。だけど、それにユイの表情が曇る。
――しまった。
そうルキノが思った瞬間、彼女はルキノの背中を押していた。
「ほら、彼女を助けに行ってあげれば? 王子様」
「でも――」
ルキノは踏み止まって振り返ると、彼女の笑みは歪んでいた。




