王冠の位置に悩む男
◆ ◆ ◆
その時、ルキノは鏡の前で悩んでいた。
――クソッ、まさかカツラがないとは……。
女装用のカツラをタカバに渡し、ルキノは新しい衣装に着替えて、舞台袖で最終チェックを重ねていた。
舞台からは、ナナシ教諭のおびただしい笑い声が不気味に響いている。
――少女に夢を与える魔法使いが、あんなに不気味でいいのかよ。
だけど、ユイの素のツッコミのおかげか、観客からは笑いが生まれているので幸いか。
ルキノはその様子に耳を傾けながらも、懸命に王冠の位置を調節していた。
入院生活のおかげで行き届いていない美貌の手入れ。普段の生活は帽子を被っておけば良かったものの、王子様役となればそういうわけにもいかない。
――こんな頭頂部、見られてたまるか。
それを隠すために、ルキノはこれでもかと王冠の位置決めに余念がなかった。
「オイ、ルキノ。準備は大丈夫かよ?」
「誰に向かって訊いてるんだい?」
舞台から下がって来た女装姿のタカバは、やはり気持ちが悪い。同じ衣装でかなり美しく仕上がっていた自分との違いに、ルキノは笑う余裕はなかった。そして自分よりも背が高い彼から、さり気なく一歩離れる。 今、上から見下されるわけにはいかないのだ。
しかし舌打ちを隠し切れなかったルキノを見て、タカバは顔をしかめた。
「そんな苛立ちやがって……別にオレが王子様役でも良かったのによォ……」
「仕方ないじゃないか。僕以上に王子が似合う人物がいないんだから。そもそも、始めから僕の配役が間違っていたんじゃないのか?」
「そりゃあ、師匠に言ってくれや」
「あぁ。本当に入院していた自分が嫌になるね」
そう口を動かしながら、ルキノはクラスメイトの持つ小さな鏡の前で、懸命に頭にかぶった王冠の位置を調節し続ける。その眼鏡のクラスメイトは足に包帯を巻き、用具入れの箱の上に座っていた。
「……すまないルキノ。僕が怪我なんかしたばかりに」
落ち込む彼に、ルキノは少しだけ冷たく当たる。
「射撃をとっさに避けられないのは、軍事クラスとして恥だと思うけど」
「返す言葉もない……」
彼はますます視線を下げる。そんなクラスメイトの隣に置かれた紙を、ルキノは持ち上げた。
「だいたい、生徒の被害と予告状が届いているにも関わらず、こんな劇を続けろなんて、あの教師はどういう神経しているんだ? 生徒と病院の患者を囮にするなんて、常識の範疇を超えているじゃないか」
本来王子役をやるはずだったこの生徒と、魔法使い役だった生徒は、ユイが衣裳部屋に向かった直後、何者かに撃たれていた。
犯人は不明。侵入、退却経路不明。凶器も発見されていない状況から、犯人はまだ病院内にいると思われる。王子役の生徒はこの通り軽傷だったからいいものの、魔法使い役の生徒は今も治療中。意識もあり命に別状はないものの当分は動けないだろうと、彼女に付き添った生徒から連絡が来たのは、つい先ほど。
「それでタカバ。ちゃんと現状をユイには伝えられたのか?」
ルキノは鋭い視線でタカバを見やるも、タカバは首を横に振る。
「いや、悪りィ。そんな余裕全然なかった。あいつらがビビっちまってよォ……」
タカバが後ろを指した先には、すっかり怯えきった女装のクラスメイトが二人。
「まだ舞台に上がるのかよ……」
「勘弁してくれよぉ……」
――こんな情けない奴らが、よくあのランティスでの実習を乗り越えられたよな。
ルキノは嘆息しながら、手に持つ紙を改めて見る。
その時代錯誤な予告状には、こう書かれていた。
『舞台を中止せよ。でなければ、舞台に上がる者に神の天罰が下るであろう――反政府組織の使徒より』
「だけど、オレはやるぜィ! この機会に反政府組織のヤツらをとっちめるなんて大胆な作戦、さすがは師匠だしな!」
「その前向きさ、クラスの全員にも分けてやってほしいよ」
熱い拳を握りしめるタカバに、ルキノは再び嘆息を返す。
そして、はたまた鏡に向かい合った。
自分たちが囮になり、テロを起こそうとする反政府組織を捕らえる。
それだけなら勇気のある作戦で許されるかもしれないが、ここは病院である。普通よりも弱い人々を危険に晒す作戦を、果たして勇敢で終わらせて良いものか。
――そもそも、反政府組織の目的は何だ?
国家の主要人物が集まる場所ではなく、この病院が狙われる理由。
可能性は低いかもしれないが、ルキノには一つだけ思い当たる節があった。
――まさか、弟が関係してるんじゃあるまいな。
反政府組織の団員であり、大規模な研究の実験体とされていたルイス。
彼の奪還だと考えれば、この場所が狙われる理由も分かるというもの。ここにいるという情報は極秘のはずだったのだが、学園にも副生徒会長という内通者がいたのだ。メグ率いるブライアン社が対策していたとはいえ、病院にだってそれを掻い潜る者がいる可能性も決して低くはないだろう。
――ただの奪還で済めばまだマシな話だけど。
「……考えたって、埒が明かないよな」
「てかよォ、テメェいつまで鏡見てんだよ。もうすぐ出番だぜ?」
ルキノの呟きなんか一切聞いてないタカバは、横目で舞台を見ていた。
もうすぐ、ユイの出番が終わる。
魔法使いが言った。
「貴様は今までの脆弱な自分のままで良いのか? それとも、我が手を取り、今まで己を嘲笑ってきた者たちを見下さんとするか?」
その魔法使いの台詞に、ルキノは思わず言い返していた。
「いや、ただ一夜の夢を見に行くだけじゃないのかよ」
「さすがは師匠! 迫力が違うぜ!」
――魔王じゃあるまいし、救いの魔法使いに迫力が必要か?
場違いなタカバの肯定を胸中で否定していると、舞台のヒロインは呆れたように頭を抱えていた。
だけど彼女は鼻で笑った後、顔を上げて頷く。
「いいわ――あなたの誘い、乗ってあげる」
魔王に提案を受け入れた彼女は、魔王よりも狡猾な笑みを浮かべていた。それはまるで、すべてを壊そうとしているような、狂気じみた笑み。
すると、裏方の生徒が一斉に動く。舞台の幕をガラガラと下すのだ。
その後は、ルキノたちの出番。
煤けた部屋から煌びやかな舞踏会会場へと、舞台は様変わりし始める。
ルキノたち王子が談笑している演技で場を繋いでいる間、主人公エラ演じるユイは急いで衣裳部屋へと戻り、華やかな衣装で再び壇上に立つ手筈だ。そのため、彼女はそそくさと舞台袖へとやって来る。
「ユイさん、お疲れさんっす!」
舞台袖からずっと舞台を眺めていたヒイロが立ち上がり、帰ってきたユイに声を掛ける。
ユイは彼を横目で見やると、フッと口角を上げていた。
ユイとヒイロは付き合っている。
そのことは散々メグから聞いていたが、彼女の様子を見ると違和感しか覚えなかった。
口角を上げたその顔は、決して愛する者にではなく、まるで蛆虫を見下すような笑みにしか見えないのだ。
「……ユイ?」
思わず声をかけるルキノに気付いたユイが、顔を向けて来る。
「あぁ……ルキノか。頑張ってね」
あっさりとそう言う彼女にルキノは「あぁ」と答えるしか出来ない。
「エクアージュよ、時間がないぞ」
「えぇ、そうね」
ユイの腰に手を当てて、早く進むよう促すのは魔法使いの恰好をしたナナシ教諭。その教師はチラリとルキノを見るやいなや、鼻で笑ってユイと共に去っていく。
――あいつ……!
ルキノが下ろした拳を握りしめるものの、その背中を見届ける時間もなかった。
「ルキノん、行くっすよ!」
共に舞台に上がるヒイロに背中を叩かれ、ルキノは唇を噛みしめる。
まだ怪我が完治したわけではないのだ。痛みが電撃のように走るものの、それを顔に出すわけにはいかない。
目を閉じて動かないルキノの顔を、ヒイロが覗き込んだ。
「あれ、まだ痛むんだっけ?」
「あぁ……でも、ヒイロに心配されるほどではないよ」
「ルキノっち、怒ってる?」
「そんなわけはない」
ルキノは静かに言い放ち、目を開く。目に入るのは、鏡に映る美しき王子の姿。王冠の下からは舞台でより輝くだろう金髪が頭を覆う。
――大丈夫。今日も僕は美しい。
そして王冠の位置を確認して、ルキノはヒイロの背中を叩き返した。
「いてっ!」
「どうしたんだい、王子様?」
ルキノは涙目の彼を見下しながら、準備が終わった舞台へと歩みを進める。




