伝説の涙
◆ ◆ ◆
「あのさ、あの笑い方はないと思うの。もしもバレたらどうするの?」
「ブームに乗ってみただけだ。問題なかろう。そもそも、たかだか子供の寸劇のために特徴的な笑い方を考える手間が惜しい」
「そもそも、魔法使いにおかしな笑い方が必要がないと思うのだけど」
「何事もイメージが大事なのだ。演劇しかり、魔法しかり……な」
「あーもう、勝手にしてください」
ユイはため息を吐きながら肌襦袢の紐を結び、簡易カーテンを開く。
白装束のような簡易的なこれは、死に衣装と大差ない。
だけど、そんな姿のユイを見て、ナナシは優しい微笑を浮かべていた。
「あぁ、勝手にするさ」
ユイは姿見の前で、ナナシが持つ白無垢という重そうな古代衣服に袖を通す。
ナナシが手を離すと、その重みが肩や腰にズッシリと伸し掛かった。腰に紐を巻いて固定し、太くて煌びやかな帯を巻けば、さらに腹部の圧迫感がユイを襲う。
「なかなか苦しいわね」
「オシャレは我慢、というのだろう? 一生に一度くらい我慢したらどうだ?」
ナナシはそう文句を言いながらも、胸元や腰の部分を少し動かす。すると、スッと呼吸がラクになった。
――ん、ありがと。
ユイはお礼を口にしない。ナナシの目が、いつになく真剣だったのだ。
ユイはナナシが次の準備に入っている間に、袖口に小型通信機を忍ばせる。
誰もいない衣裳部屋。それは、ナナシが他の生徒を追い出したせいだ。
特にメグが不満そうな顔をしたのだが、それを一蹴するのがこの男。理不尽で横暴なのはいつものことだが、今回はいつになく無理矢理で、ただのワガママのようにユイの目には映った。
「あんた、着物が好きなの?」
「和装は古代よりも古い文化のものでな、科学とは無縁の頃に人類が着ていた、由緒ある衣服なのだ」
「いや、今訊きたいのはそういうんじゃなくってさ」
ナナシがユイの髪に触れる。着物の着付けは終わり、ヘアセットに取り掛かるようだ。
「綿帽子があるから、シンプルの方がよいか? それとも、やはり今時の髪型がいいか?」
そんなナナシは、ユイの質問に答える気がないらしい。
「えーと……『わたぼうし』ってなんですかね?」
「この頭にかぶる丸い頭巾のようなものだ。大昔は女性が外出する際の埃除けや防寒具として使われていたのだがな、次第に婚礼の儀に用いられるものとなったようだ。花嫁は新郎以外の人には顔を見られないようにという意味もあり、奥ゆかしさや初々しさの象徴ともなっている」
「はぁ……」
生半可な返事をするユイに、ナナシは少しだけ表情をムッとさせた。
「エクアージュよ。時間は限られているのだぞ。早く選べ」
――正直、なんでもいいんだけど。
そうは思うものの、わざわざこんなことで喧嘩をする必要もないだろう。
ユイは再び息を吐き、
「じゃあ、顔が見えない方で」
そう答えると、ナナシが「うむ」と頷き、手早く櫛で髪を梳きながら器用に上げていく。唇にピンをくわえながら、形を決めていく姿に無駄はない。
――本当にこいつ、なんでもできるのね。
一緒にいる時間はそれなりに長いものの、未だこの男のことは掴めない。
自分のことは語らず、他人にも興味を示さない男。
世界を破滅させようとするからには、それなりの野心や願いがあるはずなのだが、その片鱗をユイは未だに知らない。
――というか、あんまりやる気にも見えないのよね。
魔法の訓練は、それなりに熱心に行ってくれている。
作戦を決行するにあたっては、やるべきことを正確に行い、ユイのサポート以上のことをしてくれる。
だけど、これだけの知識と能力があるにも関わらず、自ら作戦を立てたり、実行したりする素振りはまるで見られないのだ。
――何がしたいのかしら、こいつは。
それはただ、ユイの思考がポツリと漏れただけだった。
「あんたってさ、保護者みたいよね」
ナナシの手が、一瞬止まる。
「私みたいなのが保護者だとしたら、不満か?」
「んー、もうちょっとまともなのがいいんだけど……実際の父親もだいぶおかしい人だからねぇ」
「ほぅ」
「昔は学者だったらしいけどさ。母親の家業を手伝うにあたって辞めたみたいなのよ。そして今は、商品の仕入れや拡大のために全国を奔走した挙句に行方不明中。母親と連絡は取り合っているみたいだから、生きてはいるみたいなんだけどね。学園に入学してから、私には全然顔を見せなくてさ」
「ちゃんと……愛されていた実感はあるのか?」
あっという間に髪をまとめあげたナナシは、綿帽子を手に取り、そっとユイの頭に被せる。
ユイはクスッと小さく笑った。
「自分で言うのもアレだけど……全身全霊で私のこと大好きだったわよ。目に入れても痛くないって、あんな感じの人が使う言葉なのかしらね」
「嬉しかったか?」
「鬱陶しかったわね」
「そうか」
ナナシが吹き出したように笑う。
「じゃあ……化粧も少し直すぞ」
「えぇ、どうぞお好きに」
ユイはそう応えて、目を閉じた。
白い大振りの丸い頭巾の下から、まっすぐに揃えられた黒い前髪が覗く。凛々しい黒いまつ毛が際立つように、同色のラインが引かれ、きめ細かな肌には白粉が叩かれた。
口紅からリップブラシで色を取り、真っ赤な色味をユイの薄紅の唇に乗せる。
「出来たぞ」
その声掛けに、ユイはゆっくりと目を開ける。鏡に映る神聖な雰囲気すら感じる自分の顔に、ユイは苦笑した。
「私じゃないみたいね」
「そんなことはない。ユイ、綺麗だ」
「ふふ、ありが――」
ユイは鏡越しにナナシと目を合わせて微笑もうとした。だけどあることに気が付き、目を見開く。
ナナシの目から一筋の涙が零れていたのだ。
「ちょっと、ナナシ! どうしたのよ⁉」
「気にするな……アレだな。たとえ劇のためとはいえ……感慨深いものがあるものだな」
「え? ちょっと……もう!」
ユイが慌てて振り返り、着物の袖でナナシの涙を拭こうとするものの、それは彼の手に止められる。
「馬鹿か。せっかくの衣装が汚れるではないか」
「いや……だってねぇ……」
戸惑うユイに、ナナシが自らの袖で目を拭う。涙が消えた顔は、とても慈愛に満ちた顔だった。
「大丈夫だ。ユイが心配することでない」
「んー……てか、あんたからちゃんと名前で呼ばれるのなんて、初めてね。本当どうしたの?」
「……気にするな」
一瞬視線を落とした後には、ナナシはいつもの無表情に戻っていた。
「エクアージュよ。時間だ」
「え……えぇ」
背中を押され、ユイは鏡の前から歩き出す。
「準備に抜かりはないか?」
その質問に、ユイは首だけ振り返った。
「それはバッチリ――しかしここまで上手く行くと、むしろ拍子抜けね」
そして、ユイは袖口から取り出した小型通信機を見せつける。
画面に映るには今演劇をしているホールの見取り図。細かい線の交わる数か所が、赤く点滅していた。
「舞台はいい感じでバタバタしているみたいだし、あとは反政府組織のネズミさんたちに頑張ってもらうだけ」
ユイはいつもより赤い唇で嗤う。
「じゃあ、行って来い」
「はーい」
肩を竦めながらヒラヒラと手を振り、ユイは衣装部屋を出た。
◆ ◆ ◆
衣装部屋に一人残った男は、彼女のしなやかな背中を見送り、落としたように笑う。
「本当なら、写真でも撮っておきたいところなのだがな」
一人愚痴て、ナナシは隅にコッソリと置いておいた黒く厚い調度本を開く。
その姿を、この気持ちを――忘れないうちに描いて、書いて。
ふと、ペンを止めると同時に表情を暗くさせた。
「本当にすまない――――ユイ……」
男はせめて嗚咽はしないようにと唇を噛み締めて、再び流れる涙を拭う。
一粒落ちた雫が、彼の描いた彼女の美しい花嫁姿の一部をジワジワと滲ませていった。




