開幕の合図は野太い声
舞台に上がるまでは慌ただしかった。
衣装騒ぎで時間が押してしまい、メグの手に引かれるがままあっという間に舞台袖。ユイは台詞の最終確認をする暇もなければ、周りの生徒の異様な殺気を感じ取る暇もない。
「ユイ、頑張ってね!」
強く背中を押され、よろめきながら舞台を進めば、まばゆいライトに目を細める。
それなりに広いホールには、何十人もの観客がいた。老若男女。入院着やパジャマを着た人たちが、ひと時の娯楽を楽しみに、あたたかな視線を壇上に立つユイに送っている。
その中で一際目に付いたのは、一人だけ怯えたような顔をした少年。彼を一瞥して、ユイは小さく肩を竦めた。
――こんな人前で、大したことはしないわよ。
ユイがそう思っても、少年に伝わるわけではない。
小さなベッド一つだけ置かれた、寂しい部屋を模した舞台。
みすぼらしいエプロンを身に纏ったユイは視線を下げ、その舞台の真ん中で膝を折る。
そして、始めた。
「あぁ、私はなんて不幸なのかしら?」
それは、今までに何度も感じたことだった。
だけど、今まで一度も口にしたことがない言葉だった。
それを認めたら、もう自分の足で歩けなくなってしまうような台詞を、こんな劇中で口にする日が来るとは夢にも思わなかった。
「毎日毎日、掃除や洗濯を繰り返す日々……豪華な料理を作ったところで自分が食べれるはずもなく、口にできるのは硬いパンだけ。あぁ、神様……いつか私にも報われる日が来るのでしょうか?」
――そんな家、とっとと出ちゃえばいいじゃない。
メソメソとした素振りをしながら、ユイは胸中毒づく。
神様なんて、いない。
その現実が理解していない歳でもないんだから、自分の足でどこへだって行けばいいじゃないか。
――まぁ、そんな行動力のある主人公から、乙女が夢見る物語なんて生まれないんだけどね。
誰だって、ラクに幸せになりたい。その自然な欲求まで、ユイは否定するつもりはない。
ただ、その堕落の結果に起きた不幸を悲劇だと嘆く輩に、反吐が出るだけだ。
そんなことを思いながらも、ユイは縋る様な視線を天井のまばゆいライトに向けながら、コッソリと観客の反応を見る。今のところ、ユイの心の籠もっていない演技に罵声が上がることもなく、大人しく観てくれているようだ。
だけどやっぱり、あの少年は不機嫌そうな顔でユイを睨んでいた。
目鼻立ちが綺麗な少年の顔つきはどんなにしかめっ面をしていても、やはり今から登場するはずの義理母の彼にそっくりだ。
――女装した兄を見て、どんな反応するのかしらね。
ユイが俯き、笑みを堪ると、
「エラ! 灰かぶりのエラァ‼」
いよいよ、義理母率いる三人の女装男たちが登場する。
筆頭の義理母の美しさに目がやられるのを覚悟して、ユイは顔を上げた。一度、見ているのだ。そう肝を抜かれることもないだろう。
だけど、
「はぁ⁉」
ユイはポカーンと開いた口が塞がらなかった。予想以上に醜く、野太いスカート姿がそこにあったからだ。
「おんやァー。何を驚いているのかしら劣等種。アタクシの顔を見たら、ただちに頭を下げるようにいつも言っているじャあ、ございませんことォー?」
そう言いながらユイの頭を踏む足は筋肉質で太い。いやらしく上がる無駄に赤い口角は、喜々としてユイを苛めることを楽しんでいた。似合わない金髪ロングのカツラを被ったクラス一の大男が、大花柄のワンピースを着て、ユイを見下す。
頭を踏まれているものの、力が込められているわけではない。
ただただ混み上がる屈辱を堪えつつ、ユイは女装姿のタカバを睨み上げた。
「あらあら、オカアサマ。あんたこそ、こんな所にいるのでしょうか? スカートの裾が汚れるからって、いつも私の部屋には来てくださらないのに」
少しだけニュアンスを変えた台詞に、タカバのこめかみが動くものの、彼はますます下衆な笑みを強める。
「そりゃァ、テメェのメソメソとした泣き顔で悦に浸るために決まってるじゃねェーですのよ」
「あら嫌だ。オカアサマが『悦に浸る』なんて難しい言葉を知っているだなんて……急いでお赤飯を炊かなくっちゃだわ!」
ヒョイッとタカバの足をどけて舞台袖に逃げようとするユイの襟首を、タカバは容赦なく捕まえてくる。
観客から小さな笑いが上がっていた。
「待てェい。どこ行くつもりだ、テメェはよ」
「だからお赤飯の準備よ。今日はお祝いよ! この国一番の奇跡を祝うお祭りの準備をしなくっちゃ‼」
「テメェ……いつになくオレのこと馬鹿にしてねェーか?」
ユイは振り返りながら、タカバの睨み顔を鼻で笑う。
その時、花火が上がり、弾ける効果音が響く。照明もその音に合わせて明滅を繰り返す。
「いつも通りだから安心して、オカアサマ。ほら、窓の向こうで花火が上がっているわ。今晩は国を挙げてのお祝いの舞踏会が開催されるみたいよ」
「ちゃんと地味に芝居続ける気なのが、よけーに腹立つ!」
タカバが大きく舌打ちすると、おずおずと姉妹役の二人が口を挟む。
「お……お母さま、落ち着いてくださいまし。今夜は王子様の婚約者を決める舞踏会が開かれますわ」
「そうそう……わたしたちも早くいかないと、出遅れてしまいます……」
懸命に劇を進行させようとするクラスメイト。
そこで思い出したかのように、タカバがワザとらしい咳払いをした。
「お……おぅ。そうでございましたわね。では、れっとう――エラ! オレたちゃァ、舞踏会に行ってくるから、一人で留守番しとくんだぞ。だァーハハハハハ!」
タカバは姉妹の肩を組んで、高笑いを上げながら壇上から去っていく。
その無駄に広い背中を見つめながら、ユイは思った。
――この一家、山賊だったかしら?
そして、また舞台に一人残されるユイ。すると、物悲し気な音楽が流れてくる。
遠くに見える舞踏会。その華やかさを羨ましながら、主人公であるエラが一人で涙を浮かべるシーンだ。
そんなエラの背中を優しく撫でてくれるのが、突如現れた魔法使い。
その魔法使いは――――
「ひゅぅうでるでるでる! エクアージュよ、お困りのようだな‼」
厚顔無恥の白髪紳士だった。担任自ら舞台に上がるナナシは、私物の黒の外套をなびかせて、忽然と壇上に現れる。
ユイは色々な正体を隠す気が一切ない男に対して、半眼を向けるしかなかった。
「ねぇ、魔法使いさん。もう少しあなたの存在感を薄くすることは出来ませんか?」
「それだけは無理だな。なぜなら――」
「なぜなら?」
全く期待を持てないまま首を傾げると、魔法使いは狡猾に笑った。
「私だからだ‼」
ユイはやっぱり主役を演じていたとしても、嘆息せずには過ごせない。




