性格の悪さが引き立つ衣装
◆ ◆ ◆
そして、運命の日。
「おーい、その椅子こっちー!」
「ちょっと! そっち曲がってるって‼」
準備がいくら楽しくても、本番はあっという間にやってくる。
大道具を作るのも生徒自身であれば、それを設置するのも生徒自身。それを他人に委託するなんて、ナナシ先生が許すわけがない。
――なんでタカバは、いつになく張り切っているのかしら?
病院の『ふれあい広場』という名のホールに集まったのは正午の少し前。入院患者の昼食時間が終われば開幕時間だ。
つまり、生徒たちにお昼ご飯を食べる時間はない。
「お腹空いたなぁ……」
ホールの片隅の壁に背中を預けながら、ユイは舞台の準備に勤しんでいるタカバたちを眺める。
彼は舞台に出演するはずなのに、なぜか舞台準備にも全力で取り組んでいた。前日までの大道具作りも率先して手伝っていたようである。
ジャージを腰に巻いて、額にタオルバンドを巻く姿が異様に似合っている。
――汗が輝くとは、まさにあれのことね。
「こんな堂々とヒロインがサボっていて大丈夫?」
その時、目の前には三角形のサンドイッチが現れた。それを差し出した人物は、甘い笑みを浮かべている。
三日月のような赤い弧を描いた唇が鮮やかだった。金髪の長いカールヘアが彼の気高さと気品を象徴して、宝石のような碧眼が見返すには眩しすぎる。
その完璧な造形をさらに引き立てるのが、深い赤を基調としたボリュームのあるワンピース――それを彼は悠然と着こなしていた。元の背の高さと相まって、迫力がある貴婦人スタイル。さらに無駄に装飾品がついた松葉杖が、淑女の贅沢な趣向を語るまでもなく主張している。
――こんな美しすぎる義母とか、軽く性格も捻くれそうになるんですけど。
ユイはそれを一瞥しつつも、無言でサンドイッチを受け取り、食す。
安心する美味しさに、ユイの頬は自然と綻んだ。優しい甘みとほのかな酸味と塩加減が、身体に栄養を運んでくれる。
「美味しそうで何よりだ」
彼が嬉しそうに笑みを強めた。それを見て、ユイは咀嚼を止める。
――なんてツッコめばいいのかしら?
彼と会うのは久しぶりだった。映像では毎日見かけていたものの、直接会うのとでは全然違う。
どんな姿をしていても隠しきれない色気や香り。直接鼓膜を撫でてくれる甘美な声音。
そういえば前にあった時はまともに会話していないことを思い出して、ユイは唇を噛みしめた。
――いつも、どんな風に話してたっけ?
「僕のこの恰好について、何か言いたいことがあるんじゃないの?」
そう言う彼の声は優しい。その優しさに甘えて、ユイが口を開こうとした時だ。
「おーい、美しすぎるルキノさんよぉ! 台詞はバッチリかよ?」
「あぁ……ヒイロか。誰に向かって無駄な心配してるの? 女装だってここまで完璧にこなしてるんだから、台詞くらい全役者分暗記しているよ」
「まともに病み上がってもないのに、何そのやる気は?」
「成績に関わるんだろ? やらざるを得ないじゃないか」
ルキノが振り向いた先から駆け寄って来るのは、小柄な王子様。
やたら煌びやかな王冠を被り、赤いストライプの膨らんだ半ズボンが、彼の幼稚さを引き立ててしまっていた。絵本の中の女子が憧れる王子様スタイルではなく、漫画の中の残念な王子様スタイルのヒイロはユイの視線に気が付くと、唇を尖らせる。
結局ヒイロは王子様役ではなく、王子友人その二の役になったのだ。
理由は、彼の身長が低くて、ユイと並ぶととても王子様には見えなかったから。
ちなみに王子役は内申点狙いのメガネ男子がやることになっている。ユイはそのメガネ男子の名前を未だに覚えていないけれど。
「あ……ユイさん。俺、どーっすか? やっぱりガキ臭いですよね?」
そう訊かれて、ユイはサンドイッチを持つ手を下す。
「わかりやすくていいんじゃない? 子供向けの劇なんだし」
「あー。まぁ、そうなんすけど……」
項垂れるヒイロを尻目に、ルキノが顔を近付けてくる。
揺れる髪が右耳に触れて、くすぐったい。
「ユイ、褒めてあげなよ」
そう囁かれて、ユイはルキノの顔を見やる。彼はいつも通りの微笑を浮かべていた。
「彼氏なんだろ?」
それに、ユイはなんて返したらいいのか、ますますわからない。だからユイは視線を逸らして、一歩距離を取るしかないのだ。
「えーと……私も着替えて来なくっちゃ」
俯きながらそう言うユイに対して、ルキノはクツクツと笑う。
「あぁ、行っておいで」
「ユイさん、更衣室の場所わかるっすか?」
チャンスを逃すまいとばかりに身を乗り出してくるヒイロに、ユイは苦笑を返した。
「大丈夫だから」
ユイは食べかけのサンドイッチを口に詰め込んで、即座に走り出す。
――あ、お礼言いそびれた。
そう気が付いても、ユイは振り返れなかった。
だから礼の代わりに、指を弾く。サンドイッチの美味しさを仇で返すために、ユイは一ヶ月以上かけて準備した作戦を開始する。
遠くで何かを弾いたような衝撃音が聴こえた時だ。
「ユイーっ! 早く着替えてぇ‼」
通路の向こうから駆け寄って来るのは、赤毛の少女。裏方に徹するメグは、いつも通りの制服姿だ。
ナースステーションの扉の横には、『危ないので走らないでください』という子供向けの注意書きが書かれているが、それは誰の目にも止まらない。
メグに掴まれた手は少し痛いが、その苦情を言う暇もなかった。
「ほらほら、開演まであとちょっとだよ! メイクも本気でやるんだからね。ユイのあまりの美しさに感嘆したルキノ君に恥をかかせてやるんだから!」
「なんでそこで、ルキノの名前が出てくるのよ?」
――ルキノはあんたの彼氏でしょ?
そんなユイの胸中お構いなしのメグは、満面の笑みで振り返る。
「楽しそうだから!」
それにユイは嘆息するしかない。
この女は、どこまでも自分を陥れることを楽しみとしているようだ。
だけど、ユイはその手を振り払う気もしなかった。何故かそれどころでないことが、胸のどこかにしこりを作っている。
メグの彼氏はルキノ。自分のとりあえずの彼氏は――――
――そうか。
ユイは走りながら、視線を落とす。
みんなで仲良く交流するべき『ふれあい広場』で恐怖の悲鳴が上がっているが、防音設備がしっかりした最新鋭の病院においては、その騒音もさほど響かない。
それが発覚したのは、髪型のセットが終わろうとしている時だった。
「え……衣装が違う」
メグが次の衣装を確認するからと、大きな姿見の前でユイが自分でホットカーラーを外していた時である。所々ほつれている灰色のジャージに、同じような色のエプロンを付けたユイは、次の衣装のための下準備で髪を巻いていたのだ。前半は頭に三角巾を巻く予定なので、カールが付いていようが関係ない。
空き病室を一つ借りた、女子専用の衣裳部屋。
ベッドの上でメグが広げた箱の中には、真っ白い重そうな布地が入っていた。
メグが持ち上げたそれは、白で繊細な刺繍がされた光沢感のあるもの。
「着物ね、それ」
「着物って……古代衣服のこと?」
「その中でもかなり特殊なものだけど……」
ユイも丸椅子から立ち、改めてその着物を観察する。
一枚の薄い生地の着物に帯を巻くような簡単な代物なら、以前見たことがあった。だけど、これはそれよりも生地が厚く、そして何枚もの同じような着物が同梱されているようである。
「この中から、私の好きなものを選べっていうの?」
「えぇーと……本当なら、細身のパーティドレスを用意してたんだけどぉ」
ユイの質問に、メグが爪を噛む。
そして、部屋で微かに木霊する笑い声。
メグが背後を睨むが、同じように準備を進めるクラスメイトは微笑を浮かべているだけだった。
「やられた」
メグはその着物を投げ捨てて、部屋の端に積み上げられてる同じような箱を荒らす。その中の一つを広げては、その箱を投げ捨てた。
壁にぶつかり、思ったよりも大きな音を立てたそれからはみ出ているのは、ただの布の切れ端。ヒラッと舞う一片は、薄紅色の儚げな花びらのようだった。
メグの赤い瞳が、いつになく鋭い目つきで部屋のクラスメイトを睨みつける。
だけど、彼女が口を開くよりも早くユイは言った。
「別に制服でいいんじゃないの?」
「なんで⁉ ユイのせっかくの晴れ舞台だよ?」
――あんたは私の母親かっつーの。
メグのあまりに必死な形相を笑いそうになるのを堪えて、ユイは表情を変えずに告げる。
「所詮、子供だましのお芝居でしょ。この灰色の薄汚い恰好から、真っ白の制服に変わるだけで見栄えすると思うけど」
「でも、ユイだって一生懸命練習してたじゃん⁉」
――いや、別にそんなつもりはなかったんだけど。
ただ、異様にやる気があったタカバやヒイロに付き合わされて、嫌々練習に付き合っていただけだった。
さらに理由を挙げるならば、そこにナナシの監視があったからにすぎない。
授業を変更しての演劇練習。根本的に親に学費を払ってもらっている以上、どんな授業であれ、とりあえず出席はするユイである。サボりたくても、サボれない。ましてやナナシの目があれば、後でどんな目に遭わされるか想像するだけで身震いする。
それでも、メグは悔しそうに唇を噛みしめている。強く握る拳が、痛そうだった。
――なんで私が、こいつなんかに気を遣わなきゃいけないんだか。
そう思いつつも、ユイは仕方なく笑みを作った。
「じゃあさ、私が前半舞台に出てる間、メグがしっかりと私の制服見張っててよ。さすがに制服をボロボロにされるのは困るからさ」
「ユイぃ……」
メグは潤む目をこすって、小型通信機を取り出す。
「大丈夫。それまでにはもっといい衣装、手配してみせるから!」
「だからいいって――」
ユイがメグの手に触れようとした時だ。
容赦なく開かれた扉の前には、さらに加減なく声を響かせる男あり。
「その必要はないぞ! 性悪女よ‼」
長身痩躯に長い白衣を纏う自信に満ちた姿は、一見凄腕医者。だけど、こんなにも傍若無人な医者が執刀するとなれば、ユイは即座に拒絶するであろう。
着替え途中の女生徒の悲鳴にビクともしないナナシ教師は、当然とばかりにズンズンと女子更衣室に足を踏み入れる。
「せん……せい……?」
涙も乾いたメグがボンヤリ口を開くも、彼女を持つ小型通信機をナナシは取り上げた。
「その着付け、責任をもって私が行おうではないか」
「先生……出来るんですか?」
「誰に向かって言っているんだ。私はかつて伝説と呼ばれた男。白無垢の着付けくらい、目を閉じて容易に出来んでどうする⁉」
「しろむく?」
まばたきを繰り返すメグに、ナナシは嘆息する。そして身体の向きを変えたナナシは、ユイに向かって告げた。
「古代より伝わる花嫁衣裳だ。どうだ、嬉しいだろう? 乙女とやらの憧れを叶えられると同時に、ストーリー上も少し先足だってはいるが、許容範囲であろう」
「はな……」
ユイはその単語に思わず吹き出すも、ナナシは意ともせず嬉しそうに笑う。
「安心しておれ、エクアージュよ。私が誰よりも美しい花嫁姿に仕立ててやろう!」
クスクスと笑う声が、嫌でもユイの耳に届く。それはナナシでも同様だろうが、やっぱり全然気にする素振りはない。ただ、メグだけが頭を抱えていた。
――てか、あんたにそんな暇ないはずなんだけど?
すでにもう、現場では騒動が起こっているはずだった。もちろん、ナナシにもそれなりに多くの仕事をしてもらう手筈となっている。
だけど、ユイはそれをコッソリと追及ことが出来なかった。
近くにメグなどがいるからではない。見たことがないくらいに、ナナシが嬉しそうな顔をしていたからだ。




