つまみ食いされるお弁当のために
◆ ◆ ◆
メグには、仲が良いと言える友達が二人いる。
それが、ユイとアンドレだった。
ユイと初めて話したのは、去年飛び級して同じクラスになった年の始業式の後。見慣れない、自分よりも大きなクラスメイトが楽しそうにランチを始める中で、一人でお弁当箱を広げようとしていた時だった。
自分の場違いな雰囲気と、周囲からコソコソ聴こえる自分に対する悪口に囲まれ、重い肩を上げて大きく息を吐いていると、
『料理、好きなの?』
黒い影が、お弁当の上で揺れる。
自分を見下ろしていたのは、長い黒髪の女生徒だった。彼女の存在は、以前から知っていた。異端児と見なされながらも、それなりの成績を修めているという、不思議な生徒だ。生活態度も優良とは言えないものの、親から学園へ多額の支援もあるがため順調に進級できている、という噂まである。
――まぁ、実際そんなコネが通るのなんて、寮の部屋くらいなものだけど。
だから、ただでさえ飛び級していて浮いているメグにとって、あまり仲良くしたい相手ではなかった。これ以上、周りから奇怪な目で見られる必要はない。
だけど、話しかけられて無視をするのも、場にそぐわない行為だろう。
そう考えて、メグは愛想笑いを浮かべた。
『そうだよぉ。自分で作ったのー』
『へぇー。小さいのにしっかりしてるのねー』
――小さくて、悪かったな。
『えへへー』と誤魔化しながら、一人でお弁当を食べようとした時だ。なぜか彼女は、近くの椅子を引き寄せて、メグの机に自分の菓子パンを置いて座った。
――何なの、この図々しい人。
そう唖然としていると、彼女はにっこりと微笑んできた。
それが、作り笑いであることは一目瞭然だった。だけど、よく見れば、髪は黒いものの、その髪の手入れも行き届いており、顔も美人と呼んでいいだろう、綺麗な女性であった。
『私なんかと一緒にお昼食べてくれて、ありがとねー』
そんな彼女が、少し声を張って、突拍子もないことを言ってくる。そして、さも当然とばかりに菓子パンの袋を開けて、それを一口頬張っていた。
『あ、あの……』
迷惑だと否定しようにも、とっさに耳あたりが良い言葉が出ずにいると、彼女は一際小さな声で言う。
『あなた、悪いことの標的にされそうになっていたわよ』
『悪いこと?』
メグが首を傾げると、彼女は言いにくいのか薄紅色の艶やかな唇を尖らせる。
――勿体ない人。
彼女の全身を覆うように伸びる漆喰の髪。それさえなければ、きっと彼女はこんな陰口を言われない人生を送れたのだろう。
『おいおい、黒い劣等種が飛び級少女に絡んでるぞ』
『えー、小さい子なら相手してくれるかもってことぉ? ターゲットにされちゃって可哀想ぉ』
『助けてあげた方がいいのかなぁ? あんな黒髪と関わってロクなことないよねぇー』
その陰口は、きっと彼女にも聴こえているのだろう。いつの間にか、物珍しい飛び級の自分は、まるで化け物に目を付けられた哀れな被害者となったのだ。
そんな無害な加害者になったにも関わらず、彼女は小さく笑う。
『良かったわね』
『え?』
彼女はニコリと微笑んで、メグのお弁当箱の中から赤いウインナーをつまみ食いした。
『そういうわけで、ちゃんとした友達が出来るまで、毎日私にお弁当をつまみ食いされてるといいわ』
そして、メグがロクなお友達を作らないでいたら、毎日彼女はメグのお弁当を食べて「美味しい」と微笑んだのだ。
廊下で警報装置が鳴り出した。
――ルキノ君、かな?
ユイが押したのなら良かった。だけど、それにしては鳴るのが遅すぎる。
白い無機質な教室の天井を見上げながら、メグは唇を噛む。等間隔で埋め込まれたライトの明かりが眩しい。その当たり前のことが、なぜだか遠く感じる。
――なんで、ユイが……?
「メグ……すまない。ボクが不甲斐ないばかりに……」
隣で、もう一人の友達であるアンドレが、メソメソと泣いていた。
彼は、彼の言う通りメグの幼馴染だ。だけど、この実力主義の学園で堂々と『アンドレ=オスカーであるッ!』なんて名乗ってしまう彼に、何も期待していることはない。
強いて今望むとならば、事実を教えてもらうことくらいだ。
「ユイがアンドレを庇って捕まったのはわかった。でも、なんでアンドレがそんな危ない目に遭っていたの?」
淡々と訊くメグに、アンドレは鼻を啜りながら答える。
「生徒会の仕事が溜まっていたから……朝から処理をして清々しく授業を迎えようとしていたのだ……ふと、暗がりに副生徒会長を見かけたから、これは挨拶せねばと声をかけようとしたら、どうやら彼が蹲り出したではないか。これは惨事だと駆け寄ったところ、怪しげなモノを仕掛けようとしていて……コレを……」
そう言ってアンドレがジャケットの下から取り出したのは、銀色の四角い箱上の物だった。よく見れば、その蓋の部分に太陽を模した刻印が刻まれている。
その見覚えのある刻印に、メグは顔をしかめた。
「……それで、あたしの所に来たわけと?」
「そうだ……これは承知のことだったか?」
メグはそれに答えることなく、まわりと見渡した。
特に、メグ達に注視しているクラスメイトはいなさそうだった。警報の音にオロオロとしながら、聴こえてくる声はルキノを心配する声ばかり。
「どうしてルキノくんが?」
「大丈夫かな?」
「生徒会長も大変だな」
――いや、あんた達だって、軍事クラスの一員でしょ?
将来、警察だろうが軍だろうが、基本的に市民を守る立場になるであろう候補生たちが、聞いて呆れる言動である。
だけど、そんなことメグには関係がなかった。
他人に期待する必要なんてないし、期待したいとも思わない。
「メグ?」
押し黙るメグに対して、目をこすったアンドレが首を傾げる。青い瞳のまわりが真っ赤に充血していた。
メグはアンドレにだけ聴こえる声量で告げる。
「爆破規模はおよそ数百メートル。殺生能力百オーバーってところかな」
「どういうことだ?」
「この爆弾一つで校舎が吹き飛び、百人以上の人が消し飛んじゃいますよってこと」
「そ、それはあまりに危険ではないかッ!」
大声で叫んだアンドレに、皆の注目が集まった。その瞬間、メグは彼が持っていた爆弾をスリ取り、制服の下に隠す。
――こんなの、学生が持つべきものじゃない。
アンドレの言う通りなら、その生徒会副会長がテロリストで、持ち込んだものだろう。しかし、世間一般で買える代物ではなく、正規軍の装備としても、なかなか支給される代物ではないのだ。
そんな代物に心当たりがあるメグは、ため息を吐く。
もう少し、一般学生でいたかった。
もう少し、友達と楽しく過ごしていたかった。
――お弁当、もっと気合入れて作っておけば良かったな。
毎日彼女につまみ食いされるから、その量を加味して多めに作るようになった。
毎日彼女はつまみ食いをして、美味しいと笑ってくれていた。
そんな日常を爆砕する代物が今、メグの手元までやって来てしまった。
「楽しかったなぁ……」
俯くメグの肩を、大きな手が叩く。
急いで涙を拭ってから顔を上げると、そこにはクラスで誰よりも大きな男子が、心配そうな顔をして見下ろしていた。
「メグちゃん、大丈夫か?」
「タカバ君? どうしたの、あたしは何ともないよ!」
それに、メグはすぐさま笑顔を作る。隙のない満面の笑みは、今まで何度も作ってきたものだった。
それなのに、タカバは膝に手をついて、メグの頭をポンポンと撫でてきた。
「劣等種のことが、心配か?」
「タカバ君……」
――ユイのことも、そりゃ心配しなきゃならないけどさ。
みんなが嫌う劣等種。
それでも、友達のことは心配だ。心配しなければならないはずだった。
だけど、自分が今、考えていたことは――。
メグは笑顔のまま、タカバの手を両手で掴む。
「タカバ君、それ性犯罪だからねぇ?」
「んなっ……ゴメン! オレ、そんなつもりじゃ……」
青い顔して後退ったタカバに、クラス中から笑い声が飛んでくる。彼と仲いいクラスメイトたちが、どんどんタカバを取り囲み、野次を飛ばしていた。
その中で、メグは静かに歩を翻す。
誰にも気付かれないまま、教室を出ようとする。
「メグ……行くのか?」
だけど、ただ一人メグから視線を逸らさなかった幼馴染が、いつもより低い声で確認してきた。
――いつもそうやって、落ち着いて喋ればいいのにね。
そして、メグは静かに笑う。
「うん。アンドレは、大人しくそこで待っててね」
「……わかった」
賑やかな教室から、メグは無表情に背を向けた。
そして、騒然とし始めた廊下の窓から見える、小さな黒い人影に対して別れを告げる。
「ごめんね……ユイ」
誰かの助けなんか、期待しない。
だけど、誰かを利用することに躊躇はないから。
「さて」
メグの脳裏に残るのは、さきほど甘い視線を向けてきた男だ。
――まぁ、生きていればだけど。
そうして、メグが外から視線を背けた瞬間だった。
外が、眩しいほどの白に塗りつぶされた。




