本音で話せる間柄
◆ ◆ ◆
「そういうわけで、ユイが主役の座を射止めたの。やったねルキノ君! 存分にユイを苛められるよ!」
「災難としか言いようがないね」
ルキノはエレベータの中で、隣のメグに半眼を返す。
狭い密室の中に二人きり。
数分の間とはいえ、麗しい想像をまったく出来ないのは、自分が松葉杖を付いているからか、はたまた相手が彼女だからか。
ルキノはパジャマ姿にニット帽。両方メグが見立てたものだ。メグの方は水色のシャツ型ワンピース。生地の滑らかさが高価そうであり、これでもかと上品な令嬢さをアピールしていた。
――まぁ、これが彼女本来の姿なのかもしれないが。
そんな彼女はルキノを見上げて、感心したような声を出す。
「けど、一カ月でよくここまで回復したねぇ! 先月なんてトイレも一人で行けなかったのに」
「忘れてくれ。そっちこそ、よく毎晩飽きずに見舞いに来るもんだね。本当は僕に惚れてるんじゃないのかい?」
「そりゃあ、あたしの彼氏ですから」
――よくもそんな笑顔で言えるよな。
疑いようがないほどの完璧な笑みで返すメグに、ルキノは嘆息する。
「僕とタカバだったら、どっちが魅力的?」
「タカバ君! タカバ君は王子の友人役だって。王子様っぽい恰好するらしいよ! タカバ君の衣装も、もちろんルキノ君の女装衣装も、衣装は全部あたしが手配するからね。任せておいてね!」
昇降機は下降を止め、横移動を始める。
地下のある区画へ行くための、特殊な昇降機。使用するにも、一部の関係者の虹彩認証が必要となる。その認証を持つのが、この病院の資金援助会社の令嬢なのだから、たとえ今どのように侮辱されたとしても、ルキノは文句の一つも言えない。
たとえ、この先に待つのが自分の弟だとしても、実の兄弟というだけでは面会の資格はないのだから。
「本当、君には頭が上がらないよ」
「そんなつまらないこと言わないでよぉ。ルキノ君と毎日お喋りするのは、わりと楽しいんだよぉ?」
「その上、充実した学園生活も送っているなんて、なかなか贅沢じゃないか」
「そうだねぇ、確かに贅沢だねぇ……」
メグは呟くようにそう漏らして、小さく笑った。
「本当に、ずっとこのままでいられたらいいのにね」
「僕にずっと入院してろって?」
鼻で笑うルキノに、メグは肩をすくめて再び笑った。
「退院しない方が幸せかもよ? ユイとヒイロ君、今日『あーん』してたんだから」
「……ちなみにどっちから?」
「ユイから」
ルキノはその光景を想像しようとして、止める。帽子の下が痛くなってくるからだ。
「入院してようがしてまいが、どうせ現実を知るなら、直接知りたいものだね」
「なんかカッコいいこと言ってるけどさぁ、どうして帽子いつまで被ってるの? 包帯はもう取れてるんでしょ?」
「あぁ。もう頭部は問題ないんだけどね。色々とあるんだよ」
「なぁに? 色々って」
上目遣いで見上げてくるメグは可愛い。丸い赤い目が小動物のように愛らしく、少し尖らせた唇がぷっくりと淡く赤らんでいる。
だけど、ルキノの碧眼には全く魅力的に映らなかった。
――常に何かを企んでそうで、怖いんだよ。
「君には絶対教えない」
「えー、ひどーいっ! あたしとルキノ君の仲なのにぃー」
「その仲になったことをつくづく後悔しているよ! もっと従順で年相応に幼いコかと思ってたのにさ」
「じゃあ、別れる?」
彼女が上目遣いのまま、そう首を傾げてくる。口角をつぼめたその表情は、少し悲しそうにも見えた。
――もう騙されないけどな。
「そうしたいのは山々だけどね。君と別れたら、こうして弟に会うことが出来なくなるだろ」
「そんな薄情なことするつもりもないけどさぁ……もうちょっとだけ、こんな関係でいたいんだよねぇ」
そう言った彼女はピョンと距離を縮めて、ルキノの腕に頬を寄せてくる。
「今がとっても楽しいからさ」
目を伏せれば、長いまつ毛が嫌でも際立つ。ルキノは彼女の頬にかかる赤い髪の毛を指先で退けた。
「まったく……色仕掛けするような可愛いコは嫌いなんだよ、僕は」
「えへへー、知ってるー」
メグが笑いながら距離を取ると、再びルキノを見上げる。
「本音で話すって、大事だよね」
「……いきなり何を言い出すんだ、君は?」
「あたしね、ルキノ君がこうやって飾らず話してくれるの、すごく嬉しいんだよ。だからさ、ユイや弟君とも、こうやって話せばいいのになって思うんだぁ」
彼女は微笑を浮かべている。彼女には珍しい、少し泣きそうな笑みだった。
ルキノは手を伸ばそうとして、止めた。
彼女が求めているのは、こういうことではないと分かっているから。
何より彼女は、本音で話せるのが嬉しいと、そう言っているのだから。
だからきっと、余計な同情や形だけの優しさはいらない。
「それ、僕にではなく、自分に対しての言葉だよね?」
「はは、ルキノ君は厳しいなぁ」
メグの目が、いつも以上に赤い。
「ユイともちゃんと本音で話せてたら、こんな風にはならなかったのかなぁ」
――まぁ、確かにユイのメグに対する態度は、あからさまに冷たくなってたしな。
ルキノが入院している一カ月間、ヒイロを通じてユイとも話せるようになったという。毎日毎日、メグはその話を嬉しそうにしていた。
だけど、実際はどうなのだろうか。メグから話しかけやすくなったとはいえ、ユイの態度が柔和になったとは考えにくかった。
――男ができて、ユイも変わったのかもしれないけど。
あれから、ルキノはユイと会っていない。
その間の一カ月、彼女に何があったか、メグからの話でしかルキノは知らない。
――メグのこと、嫌っていてほしいな。
ルキノはそう願わずにはいられなかった。
ユイがメグを冷遇しだしたきっかけは、自分なのだから。
ユイがメグを怒っている理由は、メグが自分と付き合いだしたからなのだから。
つまりは、ユイのメグへの怒りとユイのルキノへの愛情は繋がるわけで。
ユイがメグを許してしまえば、自分への愛情がなくなったに等しいわけで。
――それが寂しいと言えば、僕は二人から怒られるのかな。
その時、ポンと到着の合図が鳴る。
開かれた扉の先には、赤いライトで照らされた無機質な通路。足を進めるたびに、カツンカツンとルキノの杖を付く音が響く。
「何度来ても、ここは緊張するな」
「そう? 静かでよくない?」
ルキノの半歩後ろを歩くメグが、ヒョコッと首を伸ばして来る。
「そう言うのは君くらいだよ」
その額をピシッと押し戻して、ルキノは目的の扉の前に立った。
――まぁ、確かに実の弟に会うのに緊張する兄貴っていうのも、僕くらいかもしれないけど。
一呼吸置いて、ルキノは呼出ボタンを押す。
「ルイス、入ってもいいか?」
インターフォンに声を掛けるものの、スピーカーから返ってくる答えはない。
いないわけはないのだ。ただ、ルキノに会いたくないという無言の意思表示。
口を噤むルキノを見て、メグが背伸びをしてインターフォンに口を近づけた。
「ルイスくーん。今日は面白い話を持ってきたから入るねー!」
言うだけ言って、メグはセンサーに目を近づける。ピピッと反応音がした直後に、扉が横開きに開いた。
部屋は暗い。電気一つ点いていない部屋の闇の中で、ルキノは目を凝らしてようやく弟の姿を捉える。
十歳前後に見える少年が、ベッドに腰かけていた。
「入っていいなんて、おれ言ってないんだけど?」
「そんなツンケンしてると、女のコにモテないぞぉ?」
「そんなこと考えたこともないよ!」
メグは軽口を言いながら、容赦なく照明のスイッチを入れる。
急に明るくなり、ルイスは腕で目を覆っていた。腕に隠された顔は文句の付けようのないくらい、バランスが取れている。そんな美少年が、怒りを顕にしていた。
「お前なぁ! いつも勝手にしやがって‼」
「いつものことなんだからさぁ、そろそろ慣れてくれてもいいんじゃない?」
ルイスの砂色の髪は少し伸びたものの、スラムにいた頃よりも輝いているようだった。ずっと地下に閉じ込められているとはいえ、この一カ月ちょっとで、顔色もだいぶ良くなっているように見える。簡易な病院着を身に付けているとはいえ、病人とは思えぬ声の張りだ。
「……元気そうだな」
そんな弟に、ルキノは入口に立ったまま、声を掛ける。
一瞬ルイスはルキノを見やるが、すぐにそっぽを向いてメグに野次を飛ばした。
「だからさ、そうやって我が家のように椅子出すの止めてくんない?」
「ん? ブライアンが経営しているんだから、あたしの家みたいなものでしょ?」
「そういう意味じゃなくってさ……何なの、おまえ? 遠慮って言葉知らないの?」
ひたすらメグに突っかかるルイスに、メグは唇を尖らせる。
「おまえってねぇ――あたしの名前はメグ。何回言えば覚えてくれるのぉ?」
「知らないよ、おまえの名前なんて!」
「これでもあたし、結構優しくしてるつもりなんだけどなぁ」
ブツブツと言いながら、メグは椅子を二つ出し終えると、その一つをポスポス叩く。
「ほら、ルキノ君も入った入ったぁー」
「あ、あぁ」
促されるまま、ルキノも部屋に足を踏み入れた。
狭い部屋には、ベッドと洗面台、隅にはトイレが設置されている。その広さは、ルキノの寮の部屋よりも狭い。清掃は行き届いているようだが、窓一つもない部屋は何度来ても息が詰まる。
――部屋というより、牢獄だな。
反政府組織に拉致されていた少年。
表向きはそういうことになっているが、ルキノに通信を送って来た記録からしても、団員の一人だとして間違いはないだろう。だけど、ルイスはひたすら口を割らないらしい。
メグがルキノに同行している理由はただ一つ。ルイスから少しでも情報を集めるためだ。
「それでさ、今日聞いてもらいたいことはねぇ!」
腰をかけたルキノの背中をメグが一発叩く。
骨の髄まで響く鈍痛に、ルキノは唇を噛み締めた。
「な……いきなり何をしてくれるのかな……?」
絞り出すようにルキノはメグに問うが、彼女は案の定笑顔で「何のこと?」を白を切る。
そんなルキノのことなんか知らないとばかりに、メグは手を打った。
「聞いてよ、ルイス君! こないだ話した劇の話なんだけどね、なんと! このルキノ君が義母役になったのです!」
「へぇ…………え?」
ルイスは顔を背けたまま、話を流そうとする。が、その間延びした声が中途半端に止まった。横から見えるまつ毛がパタパタと動く。
それに、メグがニヤリと口角を上げた。
「おぉ? どうやら興味を示したようだねぇ」
「そ……そんなわけないでしょっ!」
むくれたように頬を膨らますルイスに、メグは調子に乗って身を乗り出した。
「なになにぃ、質問してごらんよぉー。お姉ちゃんがなんでも答えてあげちゃうぞ」
「なんだよ、僕の見た目がこんなのだから、年上扱いしろっていうのか? 何回も言ってるとおり、僕は今年で十六歳でおまえと同い年なんだぞ!」
「まさか、そんな見た目なんかで言ってないよぉ」
不満気に視線だけで見やるルイスに対して、メグは鼻を鳴らした。
「ただ単に今、あたしが優越感を抱いているだけ」
「おまっ……性格悪っ!」
「ふふん。いくらでも言えばいいよ。さすがにもう慣れたし」
「はあー……よくこんな女と兄ちゃん付き合ってる……」
ため息交じりの言葉を、ルイスはハッと呑み込む。それにメグが間入れず、ルキノを肘で小突いてきた。
ルキノは息を吐いてから、小さく笑う。
「あぁ、女見る目なかったと心底後悔している」
「えぇー! そこまで言う⁉」
文句を言いながら、ポカポカ殴っていくメグの攻撃はかなり痛い。
――こいつ、僕が病人ということ忘れてるんじゃないだろうな。
そう恨みつらみを言ってやりたいが、ルキノは止める。
ルイスがルキノを見て、
「どうして義母なんかやるの?」
そう尋ねてきたからだ。
――いや、それは僕が訊きたいんだけど?
とっさに返そうとして、ルキノは再び止めた。
これを言えば、きっと会話が止まってしまうから。せっかくルイスが興味を示してくれたのだ。どうせなら、会話が長続きするような返答をしたい。
だけど、考えれば考えるほど、ルキノの口は動かない。
それに、ルイスが視線を落とそうとした時、
「それはもちろん、ルキノ君が立候補したから――」
「そんなわけないよね? 入院している僕がどうやって立候補したのか一語一句丁寧に説明してごらんよ?」
指を立てて話そうとしたメグの顔をルキノは片手で潰すも、口を縦に伸ばされた彼女は、それでも全く堪えることなく言葉を紡ぐ。
「ルキノふん、目が笑ってふぁいよ?」
「そんな……最愛の彼女に冷酷な視線を向けるわけないじゃないか」
「ふぃやふぃや、もう本性出まくりふぁから、観念して本音で喋ったら?」
ルキノの手を振り払い、メグが見透かしたように言いのけた。
――簡単に言ってくれるよなぁ。
苦笑して、ルキノはルイスに向き直る。
「どうやら、先生が容赦なく任命してきたようだ。あ、話したことあったか? 二ヶ月前に急遽担任になった変人教師がナナシという男なんだが……」
「ナナシ?」
その単語が出た瞬間、ルイスが急に肩をすくめてベッドに潜る。
「ルイス?」
ルキノが腰を上げて、ルイスに手を伸ばそうとする。だけど、それは即座に振り払われてしまった。
「あいつの話はすんなっ!」
「どうした、ルイス。あの偏屈教師が、何かしたのか?」
「何かしたってどころじゃ……」
ルイスは再び毛布の下に潜る。震えているようだ。
メグが身を乗り出して、優しい声を発する。
「ルイス君、ナナシ先生について訊きたいことがあるんだけど――」
「話すことなんか何もないっ! 出てけ! 二度と組んなっ‼」
顔を出さず、丸くなりながらルイスの声が響く。
メグが再び口を開こうとするが、ルキノはそれを手で制止させた。そして、首を振る。
「悪かったな。また明日来るから」
ルキノは静かにそう言って、立ち上がった。松葉杖を手に、一歩一歩外へと向かう。
メグも眉をしかめた後、ルキノの後を追おうとして、振り返った。
「演劇はルイス君も観られるようにちゃんと手配するから、楽しみにしててね」
だけど、ルイスは何も応えない。
ルキノとメグが部屋から出ると、扉が即座に閉まった。完全防音された部屋の中からは何も聞こえない。
「なんか……怒らせちゃったね」
「そうだな」
静かな通路で、メグが微笑みかけてくる。
ルキノは視線を合わせなかった。
「ごめんね。せっかくルイス君が話しかけてくれたのに……」
「別に。メグが悪いんじゃないだろ。ルイスの気まぐれなんか、今日に始まったことじゃない」
「でも……」
メグは悩むように腕を組むと、顔を上げてくる。
「ナナシ先生と、何かあったようだね」
その彼女の顔は、とても狡猾な笑みだった。




