この教師がまともな提案をするわけがない
虐められない。友達や彼氏がいる幸せな青春。
その幻想を叩き割るかのように、教室の扉が騒々しく開かれた。
「チャイムの鳴る五分前には着席しておけと何度言えば理解するのだ愚民ども!」
横暴なことを叫びながら入って来る白髪の教師を見て、ユイも慌てて机を直す。
ヒイロやメグも急いで前の方の席へと戻り、タカバはユイの隣でドカッと座った。
廊下からもどんどん生徒が雪崩れ込んできては、己が席へとたどり着く。
本来ならば、この場で凛々しい掛け声がかかるはずだった。
だけど、彼はいない。誰よりも輝かしい彼は、絶賛入院中である。
代わりに担任からその役目を任命されたのは、
「エクアージュよ! いつになれば即座に号令をかけられるようになるのだ⁉」
「……すみません」
ユイは髪を掻き上げながら口だけで謝罪し、やる気のない声で一通りの号令をした。 ユイの号令に従い、とりあえず指定の動きをするクラスメイトたち。
自分の一声に従い他人が動くのは、少しは高揚感が生まれることなのかもしれないが、ユイは気分の良いものではなかった。舌打ちすら聴こえそうな嫌悪感を、彼らの背中から感じるのである。
この時だけは、自分の背が高いことが有難いとユイは思った。彼らの視線を浴びずに済むからである。
そんなユイの心境を考えるわけもない教師は、一通りの挨拶を終えると満足そうに「うむ」と頷いた。
「では、今日は授業を取りやめてホームルームとする」
「ナナシ先生。試験前なのに講義はしなくて良いのでしょうか?」
手を挙げて質問するのは、真ん中あたりに座る男子生徒だ。
本来ならばルキノが真っ先にこのような質問をしそうなものだが、彼が入院してから、この生徒が代わりであるかのようにクラス委員のような発言をしている。
灰色の髪をぴっちりとセットした、メガネを掛けた細身の生徒。無論、ユイは彼の名前を憶えていないが、それなりに学問の成績は優秀らしい。
――まぁ、ルキノのいない間に少しでも教師に媚びを売りたいってとこかしらね。
その心意気は理解できないわけではないが、ユイとしては鼻で笑ってしまいそうになる。
そんなことが、この男に通用するわけないからだ。
「そんなこと貴様なんぞに心配される所以はない。貴様は講義を受けないと試験に落ちるという愚か者なのか?」
「いや……指定の講義内容の範囲が終わってないかと思いまして……」
「そんなもの、各自独学で学べばよかろう。そもそも、私はそんなものに従い試験を作るつもりはないがな!」
独裁者的発言をするナナシに対して、その生徒は驚愕の声を上げた。
「なっ……ならば、僕らは何を勉強すれば良いのですかっ⁉」
「日ごろから己の鍛錬を行っておけば、わざわざ試験前に勉強する必要もなかろう。試験前に根を詰めるのは、日々の修練を怠る愚か者だけだ」
「ですが、試験の結果により今後の進路が――」
「私に逆らうということが、貴様の今後に関わるとは考えんのか」
ナナシに鋭い視線を向けられた生徒が、あからさまに委縮する。
何も言えなくなった彼に、ナナシは深く嘆息を返した。
「貴様らは軍事クラスの生徒だ。分かっているとは思うが、将来はどこかしらの軍部に配属されることになるだろう。まぁ、企業だろうが商店だろうが、社会人として最低限の常識は覚えとけ」
そう前置きして、ナナシは黒板にチョークを走らせる。
珍しく現代語で書いた言葉をナナシが読み上げた。
「上司には逆らうな!」
教室中に響いて鼓膜を揺るがすほどの声量に、ユイは慌てて耳を押さえる。同じような行動する生徒が過半数いるにも気にせず、ナナシはその勢いのまま語った。
「良いか。今、この場での上司は私だ。教師が貴様らの上官なのだ。故に、私の命令は絶対! 私の指示に従えば給料が貰え、私に認められれば昇級する。それが理解出来ん奴は、ただちに家に帰るが良い! ママのおっぱいしゃぶって一生ねんねしていろ!」
――いつになく機嫌が悪いわね……。
しかめっ面のナナシを見ていると、ナナシと目が合う。
――やば。また何か言われるかしら。
ユイが更なる怒声を覚悟するものの、ナナシは逆に口を閉ざし、こめかみに手を乗せた。
「そんなに試験の点数が心配なら、寛大にも試験内容を教えてやろう」
静かな声でそう言うと、ナナシは再び背を向け、黒板に書いた文字を消す。
そして、次はピンクのチョークで書いた。今度は古語である。
――しん……で……れら?
それは、ユイでも明確に認識出来なかった。
音はわかるものの、その意味がわからない――というか、わかりたくない。このろくでもない雰囲気を理解したくない。聞き覚えのある単語だが、そこから連想する自分に起こるかもしれない最悪な悲劇を想像したくない。
「演劇を行う。準備も含め、その貢献度を成績の判断としよう!」
「それいいっ!」
嬉々として声を上げたのは、隣に座るタカバだった。
「何が格闘とか戦術とかと関係あるのかわかんねェーけど、面白れェーじゃん! さすが師匠だぜ!」
――いや、どこが面白いのか全然わからないんだけど⁉
ユイの心境をよそに、ナナシも自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「さすがは愛弟子。この趣味がわかるか」
――てか、あんたたちはいつの間に師弟関係結んでんのよっ⁉
頭を抱える生徒は、ユイだけではない。先程ナナシに文句を言っていた生徒は、すでに白くなっている。
そんな生徒たちをよそに、盛り上がったナナシはバンっと黒板を叩いた。
「では、演目は『灰かぶり姫』という古代の童話を行う! 台本を配るぞ! 今から持ってくるから、貴様らは……」
そう言いかけると、ナナシは黒板の空いたスペースに、現代語をいくつか並べていった。
登場人物のようだが、特別な固有名詞はないらしい。
エラ。王子。義母。長女。次女。王子友人。魔法使い。
並び的に『エラ』というのが主役なのだろうという検討が付くものの、どういう話なのかという説明もないまま、
「これらの主要人物の配役を決めておくように! そうだな……入院している小僧は義母にキャスティングしておけ。残る六人決めておかなければ、私が勝手に決めるぞ。愛弟子よ、仕切れ」
勝手に指示だけ残し、ナナシはどこか浮足立った様子で教室を出ていった。
静まり返る教室の中、ユイは黒板を見て思う。
――病院へは、普通にボランティアで行く予定じゃなかったっけ?
元より、ナナシとの計画では実習後の御礼と称して、団体ボランティアとして有志を募って病院へ学生が派遣される予定だったのだ。成績を餌にすれば、釣られる生徒も多いはず。ユイもそこに混じり、これから起こるであろう事件に巻き込まれる……という筋書きだったのだが。
――なんでまたあんたは勝手なことをしてくれるかな。
ユイが教室の後ろから睨みつけても、なびく白衣の裾には躊躇いも悪ぶる素振りもない。
「また面倒なことになりそうだわ」
誰にも聴こえないほどの小声でぼやいた言葉は、すぐに現実のものとなる。




