これぞ青春の一ページ
「ほら、あーん」
ユイの前に差し出されたのは、唐揚げだった。しっとりとした鶏肉をカラッと揚げた丸い代物からは、思わず唾が出てくるような香りがしている。だけど本能に赴くまま口を開くのには、躊躇いがあった。
ユイは周りをキョロキョロと見渡す。
いつもの教室では、みんな気の向くまま、仲間たちと机を向き合わせて、お昼休みを満喫していた。
売店のパンをかじる者もいれば、可愛らしいお弁当を並べる者もいる。クラスの過半数は学食へ食べに行くようで、教室の密度は薄い。それでも、みんな思うがままに声を発しているものだから、それなりに賑やかである。
窓から見える空は快晴。今日もエクアはマナを贅沢に消費して、気分の良い日中を演出していた。少し暑くなってきた気温にピッタリな天候設定だ。
そんな心地の良い休み時間。
ユイの向かいにいる少年は、肉を差し出し続けながら、不満げに首を傾げた。
「ちょっとユイさーん、そろそろ慣れてくれてもいいんじゃないっすかねぇ?」
「いや、無理。てか、むしろそろそろ諦めてほしいんだけど」
「んー、それこそ無理っすねぇ」
そう言うと、ヒイロの白い歯がニカっと覗いた。
――よくも飽きずに、楽しそうだこと。
こんなやり取りを、ユイはこの一カ月毎日続けていた。
毎日といっても授業がある平日のみであるが、お昼休みはヒイロと二人で食事を摂るようになっていた。たまに学食に食べに行く時もあるが、ほとんどが教室でお弁当を食べている。
今日も机には、二人で一つの大きなお弁当箱が置かれていた。
「だって、俺ユイさんのために朝一時間早く起きて弁当作ってるんすよぉ。そんな健気な彼氏に、もうちっとサービスしてくれてもいいんじゃないっすか?」
「だから、ちゃんとその分の代金払うって言ってるじゃない」
「女に金を払わすなんて、そんな男気ないことできないっすよ!」
「じゃあ、別にお弁当なくてもいいけど?」
フイッとユイが顔を背けると、つられて黒髪がサラリとなびく。顔にかかったそれを、ユイは慣れた手つきで払った。
対するヒイロは、逆立てたオレンジの髪の毛と同じような情熱を向けてくる。
「それはダメっす! そしたら、ユイさんお菓子しか食べないじゃないっすか! そんなの身体によくないっすよ!」
「ちゃんと栄養剤は飲むもの」
「そういう問題じゃありません!」
その叱責する顔があまりに真剣で、ユイは思わず苦笑した。
その時だ。教室に飛び込んできた少女が二つに結わいた赤髪を弾ませながら、駆け寄って来る。
「あ、まだご飯食べてるー?」
「おぅ、メグ。日直の仕事ごくろうさん」
「本当ナナシ先生、人遣いが荒いよぉ」
日直はナナシが決めた仕事だった。平たく言えば、その日一日の先生の小間使い。名簿順に毎日生徒が交代制で担当している。その当番が今日はメグだった。授業後の様子からに、倉庫の整理を押し付けられていたらしい。
――来週辺り、私の番かしらね。
ユイはその杞憂で、今から嘆息吐く。どんな厄介なことを言われるか、今から気が重い。
そうこう言いながらも、メグは自分の机からお弁当を持ってくる。やけにカラフルで可愛らしいお弁当だった。ウインナーの端が四つ切にクルンと丸まっており、ご丁寧に目までついていた。
メグが両手を打つ。
「いただきまーす……って、あれ? ユイは今日もヒイロ君と一緒のお弁当なの?」
「そうなんよー! 今日も腕によりをかけた彼氏の愛情弁当を、なかなか食べてくれないんよー」
メグは首を傾げながらも、可愛らしいウインナーにフォークを突き立て、躊躇いもなく口へと運ぶ。パリッと皮が破け、その身が真っ二つに引き裂かれていた。
「ヒイロ君のお弁当も、なかなか美味しそうだけどねぇ」
「でしょでしょー! この唐揚げなんかさー、ちゃんと昨日の晩から下味つけて、朝一で揚げてきたんだからね」
胸を張るヒイロに、メグが感嘆の声を上げる。
「すごーい! 部屋の台所小さいのに、そこまでするんだぁ!」
「まぁ、油臭いって文句の言うルキノっちのいない間だけなんだけどさ」
「あぁ……言いそう。『朝から胃がもたれる』とか言いそう……」
「いんや。『制服に油の臭いがつくから、やめてもらえる?』かな」
「うわぁ……面倒な男だねぇ」
「自分の彼氏にそんなこと言っていいの?」
ヒイロがニヤリと口角を上げて尋ねると、メグはあっけらかんと、
「いいのいいの。えーと……なんかこういう時に言ういい感じの古語、なかったっけ?」
ユイに向かって、首を傾げてくる。
――何、会話に入れっての?
「鬼の居ぬ間に洗濯」
ユイは視線を合わせないようにしながら答え、鞄の中からお菓子の袋を取り出した。細いステック上のビスケットのまわりに、黒いチョコレートがかかったものを口にくわえた時だ。
ヒイロがバンッと机を叩いて、フォークをユイの方に向ける。
「あぁ! だからユイさんご飯の前にお菓子はダメって言ってるでしょー!」
「え……だって、お腹空いたんだもの」
「だもの、じゃありません! 言い方が可愛いけど! もういいからっ、先食べたいだけ食べて!」
新しく出したフォークと、大きなお弁当箱を滑らせるヒイロ。
「そこまで言うなら」とユイは嘆息しながらフォークを受け取り、お弁当の中から唐揚げを選び、口へ運んだ。当たり前だが、冷めた肉の衣はシンナリとしている。だけど簡単に歯を通してく弾力と、適度なスパイシーさは、確かにすぐ二個目を口へ運びたくなる美味しさだった。
「ほら、野菜もちゃんと食べてくださいよ。おにぎりもユイさんの好きなふりかけで作ってますから、一個は絶対食べてくださいね」
モグモグと口を動かしながら頷くと、メグがニコニコと笑いながら水筒からお茶を注ぐ。
「良ければどうぞ」
「ん、ありがとう」
香ばしく暖かい湯気に誘われて、呑み込んでからお茶を一口。
一息吐いて、ユイはふと思った。
――てか私、何やってんの?
彼氏とお昼ごはんを食べる。
それは建前だけでも、ヒイロと恋人ごっこすると決めた以上仕方のないことだろう。美味しいお昼ご飯に簡単にありつけるという事実だけでもメリットはある。
そこに、友達のようなものが駆け寄って来る。
自分一人では完全遮断していた相手だが、ヒイロが快く招き入れてしまうから仕方ない。ユイが拒否る間もなく、あれよあれよという間にメグが着席して、お弁当を広げてしまうのだ。
「てかさ、ユイさん俺とご飯食べる前って、何食べてたの?」
「あたしがお弁当分けてたよ。代わりにお菓子を貰ってたけど」
「へぇ。じゃあ、今と変わんないじゃん」
「そうそう。あ、ユイ。卵焼き食べる? 今日はユイ好みに甘くしてみたけど」
そう言いながら、メグがお弁当の蓋に卵焼きと一切れ置いて、差し出して来る。幾層にも繊細に巻かれた黄色い卵の所々に、美味しそうな焦げ目がついている。
「ん」
その魅力につられて、ユイはフォークを伸ばす。口に入れると、優しい甘みの中に微かな香ばしさを感じた。
「あ、醤油入れた?」
ユイが隠し味を指摘すると、メグが嬉しそうに笑う。
「そうなの! よく気が付いたね!」
「え、何その『しょーゆ』ってやつ」
ヒイロが眉をしかめると、メグが丁寧に説明しだす。
「古代食材の一つでね、豆や小麦を発酵させて作る調味料なの。すごく黒い液体なんだよ」
「はっこう?」
ますます顔をしかめたヒイロに、ユイは説明を付け加えた。
「簡単にいえば、腐らせるってこと」
「えーっ! ユイさん腐ったの食べたの⁉ しかも黒いモンなんか食べて、お腹大丈夫?」
慌てるヒイロに、ユイは嘆息しながらメグを見やる。
「旨味成分となる特殊な微生物を繁殖させて……て説明の方がよかったかな?」
「説明次項が永遠に終わらなそうだから、別にいいかなって思う」
メグの了承を得て、ユイはオロオロとするヒイロの手を押さえた。
「とりあえず、今じゃなかなか手に入らない食材を隠し味に使っていて、この卵焼きは美味しいよってこと。健康被害はちゃんとないって検査したうえで販売しているから、大丈夫よ」
「そ……それならいいけど……。けど、そんなもん、メグはどこで手に入れたの?」
半信半疑な表情のまま、ヒイロはメグに視線を向けると、メグは簡潔に答えた。
「アバドン通信販売」
「ご贔屓にありがとうございます」
ユイが頭を下げると、メグが楽しそうにケラケラ笑う。
その時、ヒイロの後ろにぬうっとそいつは現れた。
「つまんねェ」
その男は一言そう呟いたのち、ヒイロの肩をガシッと掴んで、ガタガタと揺らし始める。
「つまんねェ! つまんねェーぜヒイロ! どうしてテメェらこいつと仲良くしてんだよォ!」
「ちょい……タカバっ。揺らすのやめぇ!」
ヒイロが振り払うと、タカバがムスッと仁王立ちしていた。そんなタカバに、ヒイロが腕を組みながら指を差す。
「もしかしてタカバ君。ユイさんを独り占めしたかったってやつっすか?」
「真面目な顔して吐き気がすること言うなや」
ヒイロの推理をばっさりと否定して、タカバがユイを睨みながら舌打ちした。
「アレか。ヒイロと仲良くすりァ、手を出されないとでも思ったのか?」
「いや、全然」
ユイは即答しながら、おにぎりに手を伸ばす。だけど、それはタカバに先に奪われてしまい、空を切った。
「相変わらずムカつく劣等種だなァ、クソ。友達の女になっちまったら、下手なことできねェーじゃねェーか」
「お? もしや、俺がユイさん守ってるってやつ?」
「あー! ヒイロの幸せそうなツラがまた腹立つーっ‼」
――私のおにぎり……。
三角型のおにぎりをやけ食いするタカバを恨めしく見ながら、ユイは仕方なしとカバンからお菓子を取り出した。すると、メグがやたらキラキラした目でその箱を見てくる。それに、ユイは再び嘆息しながら、中に入った小袋を一つ差し出した。彼女は溢れんばかりの笑顔で受け取る。
「あー、ユイさん! またお菓子食うんすか⁉」
「あんたも食べる? クオノールに最近できたお店のらしいけど」
ユイが袋からステック状の菓子を取り出すと、ヒイロがパクッと食いついてきた。
慌ててユイが手を離すと、ヒイロがムシャムシャと幸せそうな顔で食べていく。口から飛び出した棒がどんどん短くなっていった。
「ようやく、ユイさんに『あーん』してもらえた……」
「ほんと、幸せそうだなテメェはよォ」
タカバが呆れながらヒイロの頭を小突くものの、彼の顔が変わることはない。
――本当、何やってんだか私は。
我ながらそう呆れるものの、これは仕方ないのだ。
タカバはヒイロの友達なのだから、絡んでくるのは当然であろう。そして、ヒイロの彼女ということで、タカバもむやみやたらに酷いことはしてこなくなった。
彼氏がいて。女友達がいて。彼氏の友達がいて。
その輪の中でお菓子を食べながら過ごすお昼休み。だけど、その終わりを告げるベルは必ず鳴る。
まわりが慌てて席や机を片していく中、ユイはふと気が付いた。
――あれ、これってもしや、私が望んでいたものじゃないの?




