青い花に込められた非情さよ
◇ ◇ ◇
「やぁだー、ルキノ君いたぁーい!」
と、目の前の彼女は全然痛くなさそうに笑っていた。
気が付けば、ルキノはメグの細い手首を思いっきり掴んでいたのだ。ルキノの顔の前に掲げられていた彼女の手には、金色のペンダントが握られていた。そのペンダントトップは、可愛げの欠片もない金色の銃弾。
「あ……なんだ、メグか」
「もぉ! 可愛い彼女に対して『なんだ』とは何ですかぁ‼ さすがのメグちゃんもグレちゃうぞ!」
「あーそれは本気で面倒臭そうだから、勘弁してもらいたいな」
本気で顔をしかめて嫌がるルキノに対して、さすがのメグも眉根を寄せた。
「うん。あたしとしても、本気で嫌がられるのはさすがに堪えるから……とりあえず、手を離して貰えるかなぁ?」
「それはすまない。こちらもその舌っ足らずな喋り方を改善してもらえたら、もう少し穏便な対応が出来ると思うんだけどね」
ルキノはそんな減らず口を叩きながらも、改めて現実を確認する。
病院の個室だった。サイドテーブルにはたくさんの果物が置かれ、大きな花瓶には真紅の花が活けられている。プロポーズの時によく使われる花だが、一番最近見たのは噴水広場でアンドレが持ってきていたアレだ。
「あ、その花? もちろんあのアンドレ=オスカーが毎日持参しているよぉ。今日も授業終わりに来るんじゃないかなぁ?」
「授業って……あれから何日経ったの? まだもう一日休日があったと思うんだけど」
「五日。また次の週末が来る方がもう近いねぇ」
「君は嫌味を混ぜないと話せないのかな?」
そう嘆息しながらも、ルキノは枕から頭を持ち上げ、起き上がろうとする。
壁にかかる時計を見上げると、時刻はもうすぐお昼になろうとしているところだ。ということは、今彼女は授業を欠席しているということにもなる。
そのことを、ルキノは特に言及したりはしなかった。
感謝したところで笑って流されるだろうし、下手をすればさらに仮を作ることになる。
――せめて恩を返すなら、さっさと元気になることだな。ありきたりだけど。
だからこそ、いつまでも寝ているわけにはいかない。
昔の夢を見て、懐かしんでいる暇はない。
たとえ、現実がどんなに厳しくても。どんなに痛くても。
時間も、彼女も、あの男も、いつまで待ってくれるかわからないのだから。
――それにしても、どうしてもあの男の顔が思い出せないんだよな。
ユイの父親。その類を見ない傍若無人さや破天荒さのインパクトはこれでもかとあるものの、肝心なその顔がまるで思い出せない。
――言動はまるでナナシ先生みたいなんだけど。
ポッといつの間にか湧いて出て、当たり前のようにクラスに馴染み、彼女の危ない時には必ずと言っていいほど即座に出てくる偏屈教師。それはまるで例の男に該当する項目も多いのだが、
――さすがに年齢が合わなすぎる。
自分たちの父親が、さすがに二十代半ばというのは生物学的に不可能に近い。それに、たとえその辺りの常識を覆すようなことがあるとしても、ユイ自身が父親の顔を覚えていないということはないだろう。何年も会っていないようではあるが、それを加味した所で色々と無理がある。
――ユイと二人で隠している……なんてこともないだろうしな。
二人で共謀しているとしても、あのユイがボロを出さずに隠し通せるとは思えない――と、そんなことを考えていたルキノだったが、突如襲った頭を押される感覚に、その思考は遮断される。
再び枕にボフッと頭を埋めながら見えたメグの顔は、怒ったように唇が尖っていた。
「ダメでしょ、ルキノ君。まだ寝てないと!」
「……僕の身体を心配するなら、突き飛ばすのは勘弁してよね。君の馬鹿力に耐えられるほど、回復してない自覚はあるんだから」
「か弱い女のコに対して馬鹿力なんて言うのこそ、やめてもらえますかぁ?」
「君ほどか弱いって言葉が似合わない女性を、僕は知らないよ」
ルキノが嘆息すると、メグは急にクスクス笑い出した。
「か弱い女のコって――例えばユイだったら当てはまるってことぉ?」
「どうしてそこで彼女の名前が出てくるのかな?」
「ルキノ君が喜ぶかと思って!」
そう即答する彼女に、ルキノは再びため息を吐く。
敵う気がしなかった。あの時のあの男とはまた違った次元で、彼女にはまるで敵う気がしない。
窓から差し込む光は穏やかだった。レースのカーテンを揺らして吹き込む風が暖かい。
もうすぐ、季節も変わろうとしているようだ。
一息吐いたルキノは、ふと当たり前の疑問を口にした。
「……あれから、どうなったんだ?」
「ん? 色々なことがあったよ」
メグがそう言いながら、引き出しからナイフを取り出し、バスケットの中の果物を取った。どうやら赤い果実を食べさしてくれるのか――と少し期待したルキノの視線に気が付いたメグは、あっさりと言いのけた
「あ、重体のルキノ君が食べられるわけないからね? これは勿体ないから、あたしが食べるの」
「あっそう。しかし、君の口から『勿体ない』という単語が出るとは意外だね」
「それだけ皮肉が言えるなら、二ヶ月もベッドの上にいなくていいかもね」
「……なんか長くなってない?」
「自業自得でしょ」
半眼のルキノに対して、メグは愛らしい満面の笑みで答える。
しばらくの食事は点滴と液状化された何かなのだろう。
シャリシャリという歯ごたえと甘酸っぱい香りを惜しみなく味わう彼女を妬ましく見ながら、ルキノは減らず口を止めなかった。
「じゃあ、食べながらでいいけどさ。あれから何があったか、教えてくれないかな?」
「えー、どうしようかなぁ?」
「君はさ、これ以上僕に何を求めているわけ? 泣かせたいの?」
それはあくまで、冗談のつもりだった。
だけど、メグはシャリシャリと小動物のように果物を食しながら、首を傾げる。
「あたしにそのつもりがなくても、ルキノ君泣いちゃうかもしれないよ?」
「……君はいったい、何をやらかしてくれたんだい?」
すると、彼女はフルフルと首を振った。
「あたしはルキノ君をお姫様抱っこしてあげたくらいで」
「本当、何してくれてるの君は」
「あとはユイにお願いされたから仕方なく、ルキノ君の病院代を立て替えることになったくらいかなぁ」
「……え?」
ヒューッと変に息を吸ったルキノが咳き込むと、メグは「はいはい」と立ち上がり、室内に常設された浄水器から水を持ってくる。差し出されたコップの水をルキノがゆっくりと喉に流し込むと、喉に清涼感が染み渡ると同時に、思考をクリアになっていった。
――まぁ、メグが入院費を立て替えてくれることは想定内だったけどさ。
避けられるなら避けたい事案だった。彼女にこれ以上弱みを握られるわけにはいかない。だからこそ、身体に鞭を打って、バイトに勤しんだのだ。
彼女からしてみれば、始めからその心づもりはあったのだろう。勝手に個室に移動させたくらいなのだ。そのくらいの出費は痛くも痒くもないのだろう。
「あ、もちろん弟君の分も払うから心配しないでねぇ。まぁ、そもそもこの病院自体ブライアン社が出資している施設だから、その辺はどうとでもなるんだけど」
ケラケラと笑いながら話す内容も想定内。
だからこそ「それはいいんだけど」と前置きしたルキノは、飲み終えたコップをガンッと机に置いてメグを睨んだ。
「その前に、君なんて言った?」
「え? だから、お金の心配はしなくていいよって」
「違う、その前だ」
短く指摘するルキノに対して、メグは顎に人差し指を乗せながら、間延びした声を出す。
「あー……もしかして、ユイにお願いされてって所で、怒ってる?」
「彼女といったい、どんな取引したんだ?」
「えぇー、まだしてないよぉ!」
――まだって、これからするつもりじゃないか。
ルキノがそれを口にするよりも早く、メグは黄色い果実に手を伸ばす。
「正直あたし、ルキノ君に感謝していてねぇ。ルキノ君が無茶してくれたおかげで、久々にユイといっぱい喋れちゃったぁ。そうしたら、ユイからお願い事されちゃってさー。あのユイが頭を下げてきたんだよ。もう『喜んで!』て感じだよねっ」
「それで、彼女に何をさせるつもりなんだ?」
メグはゆっくりと細長く黄色い皮を剥いていく。その視線はどこも見ていなかった。
「んー……ルキノ君が心配するほど、大それたことじゃないよ。ただ長期休暇にでも、一緒におでかけしてもらおうと思って」
「どこへ連れてくつもりだよ?」
「まだ内緒っ!」
メグが「えいっ!」とその果物をルキノの口に突っ込んでくる。俊敏なその動きについていけず、ルキノの口の中はその芳醇な甘みでいっぱいになった。
「安心してよ。その時は、ルキノ君も一緒に行こうね」
――僕に拒否権はないってことか。
柔らかい果肉を噛みきり、顔を背けたルキノは咀嚼して呑み込む。
「あ、そういえば飲食制限されてたね」
口に手を当てて笑うメグに嘆息を返すと、彼女は思い出したと言わんばかりに手を打った。
「そうそう! あともう一つ、最近クラスですごく話題になっていることがあってね!」
「今度は何だい? 奇人の話だったら、もう忘れたいから話さなくていいけど」
「ヒューデルさんのこと? それだったら、タカバ君のパン屋さんの宣伝を皮切りに、もう噂は収束したみたいだよぉ。あのパン屋さん、本当に美味しかったね。売り切れが続出してて、取材の予約が次々に入っているんだって」
――しっかり、あいつもヒューデルさんの恩恵は受けられたということか。
あれの正体が何だったのかはわからない。だけど、ルキノは追及したいとも思えなかった。
――あれも誰かに似てるんだよなぁ。
あの不条理を絶対と言い切る物言いは、思い出したくない誰かを思い起こす。
その記憶を巡ろうとした時だ。
「というか、そんなことじゃなくってさぁ」
メグがケラケラと笑いながら言ったことに、ルキノは耳を疑った。
「ユイとヒイロ君、付き合うことになったんだって」
――は……?
ルキノは瞬きすることも忘れて、メグの顔をジッと見返した。
彼女は笑みを崩さない。
「なんか脱走したルキノ君を一緒に追っている間に、意気投合したらしいよ。照れてるユイが可愛くってさ、見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうの」
そう言いながら、メグは鞄から何かを取り出した。
それは、縦長の綺麗な紙に青い小花が押し付けられているような代物――それこそ、保育施設で子供たちと一緒に作ったことがある――押し花で作った栞である。今の時代、めったなことでは紙の本に触れることはないが、それでも骨董品好きや幼児用具の一環としては知られている。そんなもの。
だけど、ルキノはそれから目が離せなかった。
その青い花に、見覚えがあったのだ。
「そうそう、これルキノ君にプレゼント。幼稚かもしれないけど、あの時付けてたエプロンのポケットにしまってあったやつ。勝手に加工したのは申し訳なかったけど、大事だったんでしょう? この金色の銃弾……ぽいものと一緒に、お見舞いの品ってことで!」
すべてを見透かしたような赤い瞳は、嫌味以外のなんでもなかった。
だけど、ルキノはそれを払いのけることも出来ずに受け取るしかない。
あのまま、彼女から初めてもらった花を捨てられないで良かったと思わずにはいられないから。
――だけど、感謝する気にもなれないけどな!
「でもぉ……この銃弾何なの? 一応ペンダントにする前に中味調べてみたんだけど、空洞みたいなんだよねぇ」
「さぁ? 願いが叶う魔法の弾丸なんだってさ」
「なにそれ? こんなモノに縋ってまでルキノ君が叶えたい願い事ってなぁに?」
ケラケラ笑いながら尋ねてくるメグに、ルキノは辟易しながら答えた。
「……お金持ちになりたいかな」
「がんばれー」
気のない声援が、朗らかな風に流れていく。




