友と恋の狭間に撃たれ
旧校舎の近くまで来て、ルキノは顔をしかめる。そして、自らの良しと思った行動をすぐに後悔することになった。
旧校舎の入り口を、すでに政府警察の警邏隊が封鎖していたのだ。とっさにルキノは中庭の物陰に隠れ、周囲を確認する。
ここまで来るのに、わずか数分。警報装置を鳴らした場所は向かいの校舎だというのに、異様に行動が早い。
――他の誰かが通報していたというのか? それとも……。
中庭から正面突破して、通過できるとは思えなかった。
正面玄関が何人もの武装した警邏隊が鋼鉄の巨大防護壁を並べ、封鎖していた。交互に配置されるのは光線機関銃を装備する兵士。装備や彼らの白く硬質な制服を見るからに、少人数編成とはいえ、対テロリスト用の戦士たちだ。
この超短時間で配置されたとしたら、あまりにも早すぎる。
その不自然さに困惑していると、その警邏隊にゆったりと歩みよる一人の男がいた。
長い白髪が目立つが、それ以外はよくいる格好の長身痩躯な男。教師か事務員のような男が、あまりに堂々と警邏隊の前に立ち、声高々に告げる。
「その程度の装備で我がエクアージュを守ろうとは、いささか舐められたものだな‼」
低い舞台俳優のような声量とともに、その男は巨大防護壁の一枚を片手でヒョイッと持ち上げ、ふんわりと放り投げた。しかし、それは重力に従って、ルキノのすぐそばで盛大な音を立てて、めり込む。当然、その残骸は無残にひしゃげていた。
「なっ……」
あまりのことに、ルキノは声を発することしか出来なかった。
巨大防護壁の重さは、軽量なものであっても百キロは雄に超えている。本格起動すれば、電磁波を用いた虹色の羽のようなものが広範囲に展開するシステムを内部に備えており、それゆえ、攻殻機兵鎧と呼ばれる筋力増強装置を用いて、使用するものなのだ。
そんな機械を易々と投げた男が、チラリと後ろを振り返り、笑う。
「いつまで経っても頼りないのだな、小僧」
――え?
確実にルキノを捉えたその金色の視線に驚く間もなく、その男は同じような要領でそれぞれの装備を、そして兵士をヒョイヒョイと四方に投げ飛ばした。ある兵士が光線機関銃を発砲するものの、男は目視することなくそれを避け、その兵士の鳩尾にこぶしを食らわせる。対テロリスト用に防弾機能のある装備を身に着けているはずの兵士は、数メートル吹き飛ばされ、そのままグッタリと倒れ込んだ。
その夢のような光景を目の当たりにして、ルキノはふと後輩の言葉を思い出す。
『会長殿ッ! 校内には化け物が――』
化け物。
アンドレの錯覚か何かのたとえだろうと、話半分にしか聞いていなかったが、目の当たりにしてみて思う。
――確かに、化け物のような強さだな。
警邏隊を薙ぎ払ったのだ。おそらくは、こいつもテロリストの一味。
武器もない学生風情の自分が、どう対処すればいいのか――ルキノが固唾を呑んだ時だった。
「それで、貴様は私の厚意を無碍に、いつまで隠れているのだ?」
その男はため息を吐いて、ハッキリとルキノに向かって告げる。
「助けたいのだろう――彼女を」
「……お前、何者だ?」
ルキノは物陰から姿を晒して、真っ直ぐにその男を見据えた。
態度も話し方も、二十代半ばであろうその見た目より、とても横柄な男だ。だけど、その自信に満ちた態度に、侮るつもりも、ましてや馬鹿にする気すらも起きなかった。それは、さきほどの光景を見たからだけではない。それ以外の、何か。迫力にも似た男から滲み出る何かが、ルキノにそう感じさせていた。
冷や汗を懸命に堪えるルキノに対して、男はふっと笑う。
「私はな、ナナシというらしいぞ」
「らしい……?」
「良い名だとは思わんか? この名を背負って死ねることが、私はとても誇らしい」
――何を言ってるんだ、こいつは?
まともな会話になっていないものの、満足した様子のナナシという男が、歩を翻す。
「貴様は行かんのか? 私がせっかく道を切り開いたのだ。こんな場所で私に構っている暇が、貴様にあるとは思えんのだが」
――見透かされてるよな。
この男が何者か、欠片もわからない。
だけど、顎で「行け」と促す男は、今はまだ敵ではない。
「……感謝する」
ルキノはナナシの横を通り過ぎた。校舎に入った正面にある昇降機のボタンを押してみるものの、案の定明かりは点かない。すぐさま諦め、階段へ向かおうとした時だった。
「馬鹿か。階段なんて使っている場合ではなかろう」
ルキノの背後で、パチンと弾いたような音が聴こえた。振り返ると、ナナシという男が指を鳴らしたことがわかる――次の瞬間。ポン、と軽い昇降機の到着音とともに、その扉が開いた。
「な……」
「呆けてる場合か。この程度のことで驚いていたら、この先いくつ心臓があっても持たんぞ?」
苦笑しながら、ナナシがルキノの背中を押す。
ルキノが押すまでもなく、屋上へ行くボタンが押されていた。
扉が閉まっていく。
「何に代えても、彼女を守るんだろう?」
その笑みは、決してルキノを馬鹿にするものではなかった。まるで、父が子に託すような不安とあたたかさが入り混じったような声音が告げる。
「せいぜい存分に足掻け、小僧」
昇降機の扉が開いた瞬間、ルキノは飛び出した。
「ユイ‼」
少し冷たい風を切るように叫んだルキノに、振り返ったのは黒髪の少女ではない。グッタリとした彼女を支える馴染みのある顔が、ゆっくりとこちらを向いた。ニタリとした笑みが、ルキノの名を呼ぶ。
「これはこれは、ルキノ生徒会長ではないですかー。さすがは生徒みんなの王子様、こんな黒髪の異端者すら助けに来るとは、見上げた博愛主義ですねー」
「冗談を言っている場合ではないだろう、シオン。早くユイを離せ。それに……その髪はどうしたんだ?」
ルキノの補佐、生徒会副会長であるシオンは、キャメル色の明るい髪色の青年だったはずだ。だけど、彼の髪は今、かなり深い。ユイほどではないしろ、焦げ茶一色の髪色は、黒髪と同様、差別されてもおかしくない色彩だった。
彼は細い目をさらに細めて、自らの髪を持ち上げる。
「あー、これ。ずっと俺、カツラ被ってたんだよ。気づかなかっただろ? 扱いには慣れてたんだ。なにより小さい頃からずっと……ずーっとだったからな!」
それなりに広い屋上には、他に誰もいなかった。
街の中心部から離れた学園のまわりには、鑑賞と空調管理の木々が生い茂っているのみ。並び立つものも、遮るものもない中で、シオンの自嘲が真っ青な空へと響き渡る。
「こんな髪持つやつが、どんな人生送るか知ってるか? まずなー、俺を産んだ瞬間に、母親が射殺されたらしいよ。逃げ出した父親もすぐに見つかって同様。普通だった姉や兄すら、人身売買かなんかでどこかへ連れ去られた。んで、肝心の俺ももちろんすぐ殺されると思うだろ――違うんだよ、俺はなー、実験台にされるんだよ! 何の実験なんだか、もちろんただの実験体なんかには一切説明されねー。ただ、毎日変な注射を打たれて、吐いて、野たれ苦しんで、数値を取られる……その繰り返しだ!」
それは、あまり聞かない――だけどどこかで耳にしたことはある、そんな話。
エクア政府管轄の病院で生まれた子供は異端児といえ、そんなことにはならない。国がそこまでのことをしてしまったら、人権だなんだ騒ぐ一定の団体に弾圧されてしまうからだ。
しかし、政府の手も届かないような小さな病院や、南の特に差別の強い地域では、それも異なる。地域によっては、すぐさまその要因ごと処分されるという噂はルキノも聞いたことがあった。ユイの場合は、親がそれなりの企業主であるためと、また故郷が首都のこのエクバタでもなく、雑種的に人の集まるといわれている北部のサイカスという街の出身のため、難を逃れたという話だ。
しかし、不幸に苛まれても、必ずそれに抗おうとする者たちもいる。
シオンは片手で気を失っているユイを支えながら、もう一方の手を掲げた。
「そんな俺を、教主メシア様は見捨てはしなかった! 実験施設に反政府組織が雪崩込んできた時は、世界が初めて輝いて見えた。哀れで見苦しかった俺に、優しく手を差し伸べてくれた教主様の笑みを、今でも俺は忘れたことがない! この恩義に報いるため、そしてこの忌まわしき世界を滅するため、我々は今日、悪魔の子を生み出さんとするこの学園を破壊することにしたのだっ‼」
反政府組織メサイアという団体が、黒い因子の同志たちを集め、このエクアを内から滅ぼそうとしているのは有名な話。この首都エクバタはもちろん、各地域でもメサイアの暴動は大小問わず頻発しており、さきほど入り口にいた政府警察特殊部隊や政府軍は、それを鎮圧するのが主な任務だったりする。
ルキノは何も言葉を返さないものの、シオンは一人で語り続ける。その目には、何も映していなかった。
「我らメシア様は、その鉄槌として道具を与えてくださった! 我らはそれを設置して、スイッチを押すだけ! さすれば、神は我らを永久の安息の地に帰してくださるのだ‼」
「……馬鹿じゃないのか」
その一人演説に、ルキノは短い感想を吐き捨てる。
「じゃあ、何か? 今まで一緒に勉強に励んできたことも、その神様とやらの思し召しなだけだったのか? 生徒会で横暴な先輩の嫌がらせに耐えて、少しでも良い学園にしようと試行錯誤した日々も、そのメシア様とやらに言われてやっていただけなのかよ⁉」
ルキノの問いかけに、シオンはますます口角を上げた。
「そうさ。お前みたいな苦労知らずと、有意義な学園生活とやらを過ごすフリをしていただけさ! お前といるとなぁ、毎日反吐が出そうになったぜ? 何を綺麗事言ってるんだ、何を腑抜けたこと言っているんだ――頂点からの景色しか見たことないやつが、偉そうに絵空事を述べてるんだ。お前の美しい世界とやらを押し付けられて、腹の中が煮えくり返るかと思ってたが――」
ルキノは、ゆっくりと息を吐いた。
「もう、いい……」
友達だと思っていた存在が、そうではなかった。ただそれだけの事実に、今更縋り付く暇は、残念ながらない。
見せかけの自分を否定されたところで、あーそうか、という諦めでしかない。
少しの本当が伝わらなかっただけのこと。
だけど、ルキノは前へ踏み出さなければならない。
そこに、彼女がいるのだから。
「それなら、彼女は関係ないだろう? ましてや、君の言い分からすれば、黒髪の彼女なんかより、人質は僕のほうがいいんじゃないのか? 早く彼女を解放しろ。無関係な人を巻き込むな」
「人質? 笑わせないでくれるか。これはメシア様への捧げ物だ。メシア様が嫌うお前みたいなやつを捧げられたところで、恩恵が頂戴できるわけがないだろう」
シオンが、ユイの髪をゆっくりと撫でる。その艷やかな波に指を通し、手を滑らせた。
それに、ルキノは歯ぎしりする。
「触んなよ」
「はぁ? なにその顔。まさか、お前実は――」
「ユイに触るんじゃねえええええええ!」
駆け出したルキノの目の前には、赤い何かが迫っていた。
そして――――。
◆ ◆ ◆
大きく鼓膜が揺るがされ、ユイは呻きながら目を開いた。
嫌がらせのように澄んだ青い空を背景に、立ち昇る煙の中、懸命に手を伸ばして駆け寄ろうとした男が、膝を崩す。血を吐いた彼は、赤く濡れ、焼き焦げた自らの四肢に触れた。
「ユイ……」
切なそうに、愛おしそうに、緑の瞳を濡らした男が手を伸ばす。
だけど、すぐに倒れた彼の手に、羽交い締めにされたユイの手が届くことなく――
「ルキノ――――っ‼」
どんどん広がる血溜まりが、彼の金糸に侵食していく。
ユイの悲鳴が、嫌味な空に響いた。




