そして壊れた優等生は哄笑をあげた
ヒューデルさんピンチの現場は、思ったよりも近かった。
その小さな公園は噴水広場のような広いものではなく、本当に家一軒分くらいの敷地に子供が遊ぶための遊具が設置されている程度の代物だ。真ん中にある砂場には滑り台があり、他に小さなブランコとシーソーがあるだけの、よくある微笑ましい公園。
だけど、夜に見る遊具はどこか怪しく、それこそ化け物の影にも見えるから不思議である。砂場の真ん中で、化け物に誘われた悪魔が集会を開いているようだった。
「おいおい、こんなのがヒューデルさんってマジかよ!」
「ヒューデルさんならよぉ、ちとオレらにもハッピーな出来事起こしてくれよぉ、なぁ⁉」
そして悪魔は、横たわる痩せっぽっちの化け物の腹を思いっきり蹴り飛ばし、哀れな化け物は口から血を吐き出しながら、体を丸めて震えていた。
ジリジリとかろうじて光る電灯には、黒い虫がポツポツと集まっている。
それを少し離れた花壇の影から見たルキノは、
「なぁ……あのチンピラに絡まれてるのが、やっぱりヒューデルさんなのかな?」
必死の思いで走って来た故の切れる息を隠しながら、思わず尋ねてしまう。
ただのチンピラにカツアゲされるおじさん、という光景にしか見えないからだ。
「何言ってるのよ、ルキノ。あれは古来より伝わる『オヤジ狩り』という伝統的な儀式よ」
もっともらしく言うユイも、鼻で笑っている。
――世間を騒がすヒューデルさんが、こんなだとはなぁ……。
別に、強靭な大男や、オーラのある美丈夫を期待していたわけではない。
だが、蹴られて苦しんでいるその男は、運動着のようなジャージを着た冴えない男だった。年齢まではよくわからないが、おそらく三十代後半という微妙な年齢だろう。よほどさっきのニセモノヒューデルさんの方が無駄に風格があるというものである。
チンピラ達も特別強そうだとか、武器を持っているわけでもなく、普通によくいるチンピラが三人。
――あんなヤツのために、俺はこんなに走らされたのか。
そう思わずにはいられないルキノを、タカバが一喝した。
「なにボケっと構えてんだテメェら! 目の前で苦しんでいる人がいるんだぞ、助けねェーのかよ⁉」
「それ、いじめっ子が言う台詞?」
ユイが肩をすくめて苦笑すると、タカバは半眼で言い返す。
「テメェは例外に決まってんだろ。劣等種だからな」
「そんな特別扱い、全然嬉しくないわね」
「おう、存分に嫌がれクソッたれが」
そう吐き捨てて公園に突入しようとするタカバを肩を、ルキノは押さえる。
「まぁ、待てよ。あれが本当にヒューデルさんだという証拠はあるのか?」
「あぁ⁉ だってヒューデルさんがピンチなんだろ? 他に危険な状況の奴、ここら辺でいたか?」
「その心当たりはないけど……もし噂通りの奇跡を起こすヒューデルさんなら、こんな状況になるとは考えにくいんじゃないかな? むしろ、もう少ししたら本物のヒューデルさんが現れて、あの人を助けようとするだろう。そこを捕らえるのが本来の僕らの目的には即していると――」
ルキノが話している途中で、大きく舌打ちしたタカバがルキノのシャツを掴み上げた。
「ゴチャゴチャうるせェーな、テメェーはよォ。あれがヒューデルさんかどうか、助けてから訊けばいいだけじゃねェーか!」
「君の短絡的思考には毎回ウンザリさせられるね。まぁ、僕としては本物のヒューデルさんなんてどうでもいいんだけど」
そう言いながら、ルキノはタカバの手を振りほどく。その際に足元がおぼついて二、三歩よろけてしまうルキノを見下ろし、タカバが「ケッ」と唾を吐き捨てる。
そして、再び口を開きかけたタカバの頭を、ユイがずっと持ちっぱなしだったハリセンで小気味よく叩いた。怒ったタカバがユイに詰め寄る。
「おい、テメェもいきなり何してくれんだ!」
「喧しいわよ。とりあえず訊いてくればいいんでしょ?」
ユイは冷たい目でそう言い放つと、クルリと方向転換した。スタスタと歩いて行く先は、公園の中央。
「どいて」
チンピラたちを押しのけて、砂場の真ん中でユイはしゃがむ。
「ねぇ、あなたは本物のヒューデルさん?」
「た……助けて……」
ボロボロになった男は頷いて、助けを求めてくる。
思わず道を開けたチンピラたちと、ルキノとタカバが現状に気が付いたのは、ほぼ同時だった。
『お前いきなり何してんだああああああああ⁉』
タカバのみならず、チンピラたちとも声が揃うが、どんなに急いで走っても、距離的にチンピラの一人がユイの髪を掴む方が早い。
「痛いんだけど」
ユイはハリセンでそのチンピラの頬を思いっきり叩く。先端が顔面に当たったのだろう。チンピラは一瞬「ひえっ」と声をあげて仰け反るも、即座に拳を構えた。
「何してくれんだあああ⁉」
「僕の連れがすまないねっ!」
その背中を、ルキノは思いっきり蹴り飛ばした。そして、もう色々と耐え切れずに舌打ちする。
「今日はいったい何なんだ……」
散々な一日だった。
懐かしくも悲しい夢から目覚めたと思えば、嫌味満天な『彼女』の姿。
重症人だというのに、多額の金が必要ということが判明。
健気に稼ごうと思いきや、謎の奇人が現れ、仕事を妨害される。
好きな女の下着は色んな男に見られるし、自分も彼女に怒られるし。
あげくに、その本人はやっぱり人の気も知らないで、スゲスゲと危険に足を踏み入れる。
しまいには、彼女を気に入ったと笑った男の顔が、脳裏から離れない。
――馬鹿じゃないのか。
今になって、ルキノは少しだけ後悔する。
彼女からの告白を受け入れていれば。あるいは、もっと前に自分から告白していれば、こんなことにはならなかった。
きっと、今日目覚めた時に目に入ったのは、彼女の黒髪だっただろう。あまり可愛げのない青い花を、花瓶に活けている後ろ姿だったかもしれない。彼女が他の男に目を付けられることもなかっただろうし、もっと堂々と彼女のことを守れただろう。
――だけど、それでどうなる? それだけでどうする?
思わず、ルキノはクツクツ笑った。
――二人で、この世界の隅で仲睦まじく暮らすか?
それはそれで、幸せな未来かもしれない。
スラム育ちの自分と、異端な彼女。二人で、田舎で細々と暮らすのも、悪くないかもしれない。
だけど、どうせなら幸せになりたいじゃないか。
裕福な暮らしをさせてあげたい。
誰の目も気にせず、堂々と生活してもらいたい。
いつも、どこでも、笑っていてもらいたい。
大好きな女を相手にそう願うことは、男として当然のことではないのだろうか。
そのためには、このままではダメだ。このままの世界ではダメだ。
黒髪の彼女が、堂々と暮らしていける世界を作り上げないとダメだ。
そのためなら、なんでもしてやる。
そのためなら、どんな痛みだって耐えてやる。
「くっくっくっ……」
そのためなら、たとえ理不尽な手段を取っても、成り上がってやる。
「はぁーはははははは! キサマら、僕は今、非常に機嫌は悪いっ! 腹いせに全員相手してやらぁ‼」
ルキノの哄笑にチンピラたちは一瞬狼狽えるも、一斉に殴りかかってくる。
騒ぎを駆け付けたのか、公園にはさらに柄の悪そうな男たちも集まり出した。
その一人を、ルキノは嘲笑しながら殴り倒す。
「はっ! いくらでもかかってきやがれ‼」
ルキノは自分に厳しい世界に対して、中指を立てた。
だから、ルキノは気付かない。自分のことだけで目一杯なルキノには気付けない。
砂場から、ユイと『ヒューデルさん』の姿が消えていて。
代わりに、ハリセンと男の片腕が落ちていることに気が付かない。




