男の浪漫に唾を吐け
そんな盛り上がりを第三者の如く見送る二人。
「あーあ。二人仲良く行っちゃったねぇ」
「正直、何が起きてるかわからないんだけど……」
腕組み苦笑するルキノに、ヒイロが鼻の下を擦りながらニヤリと笑う。鼻血はもう止まったようだった。
「お見舞いにね、来たんすよ」
「……もしかして、僕の?」
「他に誰がいるっつーの?」
ケラケラ笑いながら、ヒイロがバシンと背中を叩いてくる。それにルキノは小さく呻き、呼吸を止めた。
痛い。痛すぎる。絶叫して、のたうち回りたくなるくらいに痛い。
だけど、ルキノがグッと歯を食いしばり耐えたものの、ヒイロはその僅かな表情の変化を察して顔をしかめた。
「あ、もしかして……結構ヤバめ?」
「……あいつらには言うなよ」
「見栄っ張りは大変だねぇー、俺には無理だけど」
そうヒイロが笑った時、カランカランとベルの音がした。夜道にそぐわぬ幼女が、慌てた様子で駆けてくる。その大きな目には、目一杯の涙が貯め込まれていた。マールが兄を求めて飛び出してきたようだ。
「ルキ……にぃ……、バカ兄は?」
「タカバはここにはいないけど、どうしたんだい?」
ルキノは緩んだ顔を引き締める。本当はしゃがんで目線を合わせた方がいいのだろうが、それは膝と腰が許してくれなかった。
すると、ヒイロがヒョコッとルキノの横で膝を折る。満面の笑みで、マールのツヤツヤな頭を撫でていた。
「お嬢ちゃん、どうしたのー? 問題があるなら、このルキノお兄ちゃんが大抵どうにかしてくれるよー」
――俺かよ。
内心そう突っ込むものの、マールの手前そうは言えない。ましてや、幼女が縋る様な目で自分を見上げてきているのだから、尚更だ。
マールが鼻を啜りながら言う。
「パンがね……全部盗まれちゃったの……」
「盗まれた? 誰にだい?」
ルキノが尋ねると、マールは一言答えた。
「ヒューデルさん」
それは、ユイとタカバが追いかけていった変人の名前。
「お客さんの一人が、急にヒューデルさんに変身したの……」
その言葉に、ルキノは眉をしかめた。
「おいヒイロ。そのヒューデルさんの奇声の一回目の後に悲鳴をあげたのが、ユイだよな?」
「あー、そうだねぇ。パン屋の方からビュンッと風が吹いてね。それでスカートがフワッと……」
「今通り過ぎたのも、店の方から走って来たよな?」
「もっと、ユイさんのスカートの中に興味持とうよ。ルキノ君も男の子でしょ?」
――そんなもん、いつか山ほど見てやるからいいんだよ。
ヒイロの訴えを無視して、ルキノは腕を組む。
そして、シンプルな結論を口にした。
「ヒューデルさんっていうのは、二人いるのか?」
――そんな変人、何人もいる世の中なんて嫌なんだが。
だけど、嫌で考えを切り捨てるわけにはいかない。
この辺りの路地を回ろうにも、ユイが悲鳴をあげてから今まで数分。その間にとてつもない速さで駆け抜けることは百歩譲って出来たのだとしても、さらにパン屋のパンを全部盗むという暴挙は難しかろう。まだ結構商品は残っていたし、店の中にも客がたくさんいたのだ。それらを一人で成し遂げたと考えるよりも、二人いると考えるほうが自然だ。
一人目が駆け抜けたあと、ユイが悲鳴をあげる。
そして、ルキノが店を出たあとに、二人目がパンを盗んで逃走。
「マールちゃん、パンを盗んだヒューデルさんは、どんな人だったんだい?」
「背が高いの。すごく美人なお姉さんが、いきなり変身したら、黒い変な恰好していたの」
――客に扮していたわけか。
きっと、ルキノが接客した一人なのだろう。
変装道具を持っていそうな人物なんていたのか――と考えて、誰も思い浮かばない自分が腹立だしい。
――痛みのせいかな。
そんな考えがよぎり、ルキノは首を振る。
言い訳がましいにも、ほどがある。体調不良をおして、ここにいるのは自分だ。誰でもない、自分が決めたことだ。
――そのせいで、こんな女の子を泣かしちゃいけないよな。
ルキノはヒイロのようにしゃがめないものの、なんとか腰を曲げて、膝に手をつく。そして、マールにニコリと微笑んでみせた。
「大丈夫だよ、パンは僕が取り戻してあげるから。そうしたら、また一緒にパンを売ろう?」
「ほんと?」
一縷の希望を抱いたその大きな瞳から、一粒の雫が零れる。
ルキノはその涙を親指で拭った。
「うん。女の子を二人も泣かす悪い奴は、懲らしめてやらないとね!」
するとマールは唾を呑み込んで、ルキノに何かを手渡して来る。
「これで、マルの仇を取ってほしいの」
「こ……これは……?」
その規則正しく折りたたまれた白い棒状のものは、それなりの重さがあった。先を広げて持ち手を握れば、それは扇状に広がる。それにルキノは眉をしかめると、
「ハリセンなの。兄ちゃんが『オレがいない間に悪いヤツに出くわしたら、これでやっつけるんだ』てくれた、形見なの」
真面目にそう話す彼女が可愛らしくて、ルキノはくすりと笑った。
「まぁ、タカバはまだ存命だけどね」
そして、ルキノはハリセンを受け取る。
「じゃあ、これも使ってみっか?」
陽気にヒイロが取り出したのは、白い板状の乗り物だった。タカバが好きだという、エアボードだ。なぜだか、それには赤いリボンがかけられている。
「それは誰かへのプレゼントじゃないの?」
ルキノの質問に、ヒイロは頷いた。
「そ。ユイさんからタカバへのプレゼント。嫉妬しちゃうよなー」
――彼女もなんやかんや、律儀だよな。
実習でタカバが先生に没収されたエアボードを、ユイが使った挙句に紛失したお詫びなのだろう。
そんなに安価なものではないはずなのだが、真面目というか、羨ましいというか。
――まぁいいさ。いつか彼女よりも金持ちになって、こんなおもちゃいくらでも恵んでやる。
そう決意を新たにするものの、ルキノはそれを受け取る手が止まった。
「ん? 嫉妬?」
ふと耳の残る違和感を口にすれば、ヒイロがいじらしく笑った。
「だってそうじゃねぇの? どういう経緯か俺はあまり知らないけど、女子からプレゼントなんて羨ましいじゃねぇか。ましてや、俺が狙っている女からなんてさ」
「いや、ちょっと待て。狙ってるって、誰が誰を?」
「決まってるじゃん。俺がユイを、だよ」
「はぁ⁉」
思わず出た声がひっくり返り、ルキノは誤魔化すように咳き込んだ。肺を通り越して、背中が痛い。
そして、ルキノは何回かまばたきした後、ヒイロの頭を軽くハリセンで叩く。パシンとした音が心地良かった。
「いい音鳴るね、これ」
「あれ、ルキノさん。現実逃避してる?」
そう言うヒイロが、ズイッと寄って来る。
「自分を好きになったコが、ずっと僕を好きでいてくれるなんて幻想、抱いちゃいけないよ? 心がポッカリ空いた女のコを狙う男は、たくさんいるんだからね?」
「まぁ、その理論を利用したことは僕も何回かあるけどさ……」
「さすが、学園一モテる色男!」
「茶化すなよ」
ルキノは一呼吸置いてから、片眉をしかめた。
「何、ユイがヒイロに惚れたの?」
「いや、俺がユイに惚れたの」
「なんで?」
ヒイロの返答は簡単だった。
「あんなに酷い目に遭っても一途な女のコって、可愛いじゃん」
――知ってるよ、そんなの。
その言葉を、ルキノはグッと呑み込む。
そんなルキノの胸中を知らず、ヒイロは嬉しそうに語った。
「彼女がいる男だってわかっているのにさ、健気に好きな男のお見舞いとか行っちゃって。花まで買ってってんの。なんかその健気さに俺、グッと来ちゃってさ。それに今日のユイ、オシャレしてたじゃん? 髪が黒いのはやっぱりアレだけど、でもそれさえ目を瞑れば、すげー見た目も可愛いなって思ったんだよね」
「……自分をいじめたことある奴を、彼女が好きになると思ってるの? お前、タカバと一緒にユイをからかったこと何回もあるだろ?」
それは、ルキノが思ったより低い声音だった。
だけどヒイロは拳を握る。
「好きって思っちゃったらさ、頑張るしかないよね! 今まで泣かせた以上に、笑わせてあげなきゃ!」
――何いい事言ったつもりになってんの?
ルキノは小さく舌打ちした。
綺麗ごとで生きていければ、誰も苦労はしない。
もし、そうならば――スラム育ちの貧乏生活なんてしなくて良かっただろうし、楽しい家族旅行で両親も死なないだろう。好きな子が異端者扱いされている世の中ではないだろうし、そうならこんなにも全身が痛いのに、無茶して働く必要もない。
だけど、だからといって彼の言い分を否定するわけにもいかない。
今まで積み上げてきたものが、崩れてしまうかもしれないから。
彼女に好意があることが周知されれば、変人だと思われてしまうだろうから。
本当なら、ヒイロのように『ユイが好き』だと言ってしまいたい。
だけど、それでは、彼女を守れない。それでは、彼女を救えない。
彼女が平和で楽しく暮らせる世界を築いてから。
――それから、彼女を手に入れればいい。
「あれ、ルキノどうしたん? 機嫌損ねた?」
だからと言っても、苛立つ胸の内を隠すのは一苦労だった。
「そんなことあるわけないだろう。ただ、君が奇人扱いされるのが居た堪れないだけさ」
ルキノが嘆息交じりに吐いた台詞を、ヒイロが笑い飛ばす。
「それを乗り越えるのが、愛の力ってやつっすよ!」
「いつまでも夢、見てられるといいな」
そう言い捨てながら、ルキノはヒイロの持つエアボードを奪い取った。
赤いリボンをほどいては、一瞬それを捨てようとするも――やめる。会話についてこれない少女が、怯えたような表情で見上げてきていたからだ。
――ポイ捨ては情操教育に良くないよね。これでも保育補助の仕事もしてるんだし。
だから、ルキノはそのリボンをマールの頭に付けてあげた。赤いちょうちょ結びが、彼女の可愛らしさを引き立てる。
「じゃあ、行ってくるね」
「……それ、バカ兄のじゃないの?」
「だから、今から渡しに行くのさ。そのリボンは代わりに貰っておいてよ。タカバには似合わないでしょ?」
完璧な笑みを浮かべたつもりだったが、幼女にはまだこの魅力がわからないのだろう。
キョトンと首を傾げながら「案外いけるかも?」なんて兄のリボン姿を想像を膨らませているマールは置いておいて、ルキノはスイッチを押してからエアボードを地面に放つ。
フォンッと地面と反発し、微かに浮かび上がるそれにルキノは片足を乗せた。
――そういえば、乗るのは初めてだな。
子供のころ、こんなおもちゃが流行っていると話には聞いたことがあった。だけど家にそんなお金はなかったし、ダメ元でねだるにも気が引ける値段のは覚えている。
――頑張ればいつか夢が叶う……これも綺麗ごとなのかな。
足を蹴り出そうとする前に、ルキノは両手に塞がったものを見やる。
ハリセンは正直、途中で落としたらそれはそれでいいだろう。だけど、もう一方の花束を落とすわけにはいかない。
ルキノはチラリとヒイロを見て、
――こいつに預けるは、論外だな。
そう結論付けると、エプロンの腹部についた大きなポケットに、なるべく大事にその花をしまった。多少はみ出たり潰れる部分も出てくるが、致し方ない。
――本当に、残念で仕方ないけど。
嘆息を隠しながら、ルキノは足を蹴り出す。
すると、エアボードが急加速した。ボードの後方部が火を噴いた瞬間、それは急激に上昇を始める。
「だぁあああああああああ⁉」
ルキノがとっさに羽交い絞めするようにボードに抱き着くと、ボードはルキノをなびかせてミサイルのように路地を突き進んだ。
その中で、遠ざかって行くはずのヒイロの声が、なぜかハッキリと聴こえる。
「あ、そういや。なんかユイさんがチョコチョコッと改造してたよー。日頃のお返しだとか、嬉しそうに笑ってたぜ!」
「そういうことは先に言えええええええええ!」




