恋する男と優等生の両立
「けど、今言ったばかりだよね? ユイを劣等種呼ばわりするのは良くないって、僕は差別しないよって、言ったよね? だったら、ユイの気持ちを断ったのは、違う理由がちゃんとあるんだよねぇ?」
――メグなのに珍しいな。
正直、そこまでの言い訳を考えてはいなかった。正確には考える必要はないと、ルキノは判断していた。大抵、好青年でいれば、これ以上誰も言及しない。しかも、相手は可愛げもない異端とされている女。普通ならば、誰もが彼女と付き合おうなんて思わない、友達すらろくにいない黒髪の女だ。
ユイがタカバと喧嘩していようとも、よほど危なくない限りは制止したり、割って入ったりしないのがメグだった。ユイと毎日ランチを食べていようとも、ユイの悪口を聞いたとて、聞き流しているようなのがメグだった。
だから、今回も傷心のユイを影で励ますだろう――ルキノはそう予測していたのだが。
――いきなりどうしたんだよ。
告白する。失恋する。
ユイにとっては一大事かもしれないが、世間一般の学生からすれば、よくある話の一つではなかったのか。実際、ルキノもこの一年で何度告白されて、何度断ってきたのか覚えていない。まわりに女子を侍らせることはあっても、特定の誰かと付き合うようなことはしたことなかったのだ。
そんな時間がないから。
そんな価値のある相手がいなかったから。
トップの成績を維持するために勉強して、生徒会活動にも勤しんで、それ以外にもやることはいくらでもあって。たかだかアクセサリーに、余計な時間と手間をかける暇なんて、この十年間全くなかったから。そうでなくても、自分が本当に好意を示したい相手は、一人しかいないのだ。
そんなルキノの内情を全く知らないであろうメグが、ちょっと優秀で浮いている存在であるだけのメグが、よくある恋愛話で、想定外の言動をしてきた。
――面倒だな。
率直に、ルキノは思う。直接出て来られると、面倒な相手だった。根本的に、頭がいいのだ。普段も自分に被害が被らないように上手く行動している強かさがある上、今もこうして、場の空気に呑まれることなく、ちょっとした穴を突いてくるのだ。
類稀な若き優等生。出来ることなら敵にまわしたくない。むしろ、できることなら味方につけたい。
「……そうだね。もちろん、違う理由があるよ」
だとしたら。取るべき手段はただ一つ。
見た目の可愛さ。飛び級するほどの優秀さ。令嬢かもしれないという立場。
その全てを、利用してやるのだ。
「僕にはね、好きな人がいるんだ」
ルキノはまっすぐ、メグを見つめた。真剣な眼差しで、彼女の赤く大きな瞳を射抜くように。すると、その視線に当てられて、メグの顔が赤くなった。
誰かがヒューッと口笛を吹いた、その時だった。
「たたたた、たのもーうッ!」
言うのが早いか、入るのが早いか。無遠慮にドアが開き、一人の男子生徒が入って来る。金髪がとてもよく似合う、少し小柄で派手な少年だった。小柄といっても、年下なのだから仕方ないだろう。彼はルキノのとてもよく知る後輩の一人だった。
「やぁ、アンドレ。君の所も授業がまだ始まっていないのかい?」
「ここ、これはルキノ先輩ではないかッ! このアンドレ=オスカー、生徒会会計として、上役たる会長殿にきちんと挨拶しなければならないのは重々承知しているのだが、今回ばかりは後回しにさせてくれたまえッ! ボクは早急にメグに伝えなければならないことがあるのだッ!」
バサッと払った前髪から、多量の汗が飛んでいる。早口で異様に焦っているような様のアンドレの隣では、先ほどまで気丈に訴えてたメグがため息を吐いていた。
「……教室には来るなって言っておいたよねぇ?」
「さっそく麗しの幼馴染メグよッ! こんなすぐそばにいるとは運命なのだと感涙したい所なのだが、残念ながらそれどころではないッ!」
「あたしはいつでもアンドレと話しているどころじゃ――」
「黒髪の乙女がさらわれたッ‼」
プイッと顔を背けたメグの顔が、ゆっくりとアンドレへ戻る。
「なんだって?」
「だだだだから、黒髪の乙女がテロリストに誘拐されたのだッ!」
「ユイが? テロリストに? なんで⁉」
メグの挙げる疑問符に、ルキノは身を乗り出した。
アンドレが言う『黒髪の乙女』とはユイのことだ。テロリストと称される組織の中で有名なのは、さっきもタカバとの会話で少し出てきた反政府組織のメサイアか。ルキノの記憶では、神様だか救世主様だかを信仰して、怪しげな研究をしている一味のはずである。だが、無論そんな輩が厳重警備されている学園内に容易く侵入できるわけがないし、ちょっと壊れた机を修理に出しに行っただけのユイと遭遇するなんて、普通ならば考えられない。
「アンドレ、どういうことだ⁉」
自分の発した声の余裕のなさに、ルキノ自身が驚いた。そんな気迫に押され、アンドレも泣きそうな顔で話し出す。
「会長殿……我々の仲間である副生徒会長殿こそ、反政府組織の一員だったのだ。ボクはたまたま彼が校内に爆弾を仕掛けているところを目撃し、どうにか止めさせようと説得を試みたのだが、逆に追われて……偶然通りかかった軍事クラスの先生も彼に破れ、そして黒髪の乙女も……」
彼のいう副生徒会長は、もちろんルキノも旧知の仲だった。科学クラスの彼とは学年が違うとはいえ、お互い特待生を維持している勉強仲間でもあった。
――彼が、テロリストだって……?
それもショックではあるが、それどころではないとルキノは頭を振る。
大事なのは、彼女の行方だ。
「……仮にアンドレの話を全部信じるとしよう。ならなんで、ユイはそんなテロリストにさらわれるようなことになったんだ? 逃げるなり、隠れるなり……悪いけどアンドレならともかく、ユイならどうにか出来たんじゃないのか?」
「それは、ボクを助けてくれたから……」
アンドレの声が萎む。俯いて唇を噛み締めるアンドレの肩を、メグが揺さぶった。
「アンドレがユイを巻き込んだっていうの⁉」
「無論、故意などではなかったのだ……偶然昇降機で鉢会ってしまい、一緒に逃げようと思ったのだが……だが、刺されそうになったボクを庇って、黒髪の乙女が……」
――なんでそういう時に限って、いい子なんだよ……!
平気で机を蹴り飛ばしたりするのに。護身用とか言って爆薬を持ち運び、今だって本来生徒は使用禁止の昇降機を不正解除してまで使おうとして――それなのに、たまに会うおかしな後輩のために、簡単に身体を張ってしまうのだ。
――格闘の授業だって、苦手そうにしているのにな。
そんな不器用な彼女が大好きで。そんな危なっかしい彼女を守りたくて。
「あの馬鹿っ」
考えるよりも早く、ルキノは駆け出していた。「ルキノくん、危ないよ!」とクラスメイトの制止の声が聴こえるが、それに再び舌打ちする。
「クラスメイトの危機にじっとしていられるわけがないだろ⁉」
吐き捨てた言葉が偽善なのは、ルキノ自身もわかっていた。だけど、そう言い訳でもしなければ、自分の本意が知れ渡ってしまう。それなれば、今までの努力がすべて無駄になってしまうのだ。
ユイと幸せになるためにせっかく彼女を振ったのに、彼女自身がいなくなってしまったら、何も意味がなくなってしまうのだ。
だから、ルキノは走る。
どこへ向かえばいいかも聞いていない。テロリストに対抗する武器すら用意していない。
それでも、ここにいて彼女を助けられないのは確かだ。
「会長殿ッ! 校内には化け物が――」
廊下へ出たルキノへと、叫ぶアンドレの声が辛うじて届く。
「化け物か」
その単語を、ルキノは鼻で笑った。
「だったら、僕は勇者か英雄にでもなんなきゃな」
廊下をそのままひた走ると、次第に異臭が漂ってきた。窓ガラスが割れている箇所の付近には、散らばったガラス片をさらに踏みつけたような痕跡。そして、すぐそばの昇降機が黒く焼け焦げていた。その中を覗くと、まるまるとした周囲と同色の何かが転がっている。
――こんなことが起こったのに、誰も騒ぎに気づいてないのか?
ここまで来る途中の教室では、いつもどおりの授業が行われていた。その異様さに顔をしかめつつ、ルキノはとりあえず手近の警報装置を押しておく。
けたたましく鳴り出したのを確認して見上げた際、ふと目に入ったのは旧校舎だった。
もうすぐ立て壊しが決まっていた古い木造の縦に長い校舎。昔はその高さを利用して、軍事クラスの訓練でロープ一本を頼りに降下訓練が行われていたという話だが、今はその危険度を考慮して、廃止されている。もちろん警察や軍人になるためのクラスではあるものの、死んでしまっては意味がない――という結論、開始する前に気づけという話でもあるが。
生徒会の記録によれば、そもそも時代錯誤な建造物の設立も、一部の生徒の融資で行われたらしい。その融資を募り、実行まで話を進めたのも、初代生徒会とのこと。
色々と曰く付きの建物の取り壊しに、生徒代表の生徒会長として何も躊躇うことなく同意したのはルキノの記憶に新しかったが――もっと早く進言しておくべきだったと、ルキノは舌打ちした。
その高い校舎の屋上に、揺れている黒いものが目に入った。
地上百メートル近くある建物の屋上に目を凝らすと、その縁に立った人物の長い髪が、大きくなびいていた。後ろにはもう一人いるようであり、今にも落とされてしまいそうである。
――ユイ……‼
果たして間に合うのか、そんなことを考えるよりも早く、足が動く。
ルキノは彼女のことしか考えていなかった。
可愛げのないところが可愛い女。
たとえ誰に嫌われていても、気丈に背筋を伸ばしている女。
いつも取り繕っている自分とは違い、いつも凛とした自分を誇っている彼女に、いつか手を伸ばせることを願って――何も持たない優等生は、全力で走る。




