魔女の初めてのデートの相手
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「ユイさん、ほんと可愛いっすね!」
エクバタ都市部に細く流れるシェリル川。名前の由来は古代、賢者と呼ばれていた女帝の名前から来ているとのこと。どうにもこの川が、女帝の細く清らかな美脚に似ているからということらしいが、そんな理屈で名付けられたこの川が可哀想だと、ユイは思っていた。
――そもそも、賢者ってなんだって話だけどね。
今度ナナシにでも訊いてみようかと考えながら、そんな川沿いの白いタイルで整備された小道を歩く。
適度に緑化されており、所々にベンチも置かれている憩いの場。少し沈みかけた空の光源が、川面を暖かく煌かせていた。
そんな中、ユイは考えていた。
一生懸命考えていた。ただひたすら、現実を見ないために思考を逸らしていた。
「ねぇねぇ、ユイさん。手が汗ばんでるよ? 緊張してるんすか?」
「……ただ暑いだけよ」
考えたら負けだった。
なんで、自分はこんな男と手を繋いでいるのかと。
そもそも、病院から真っすぐここまで来たわけでもなかった。
この男に言われるがまま着いていってみれば、街の中を散策し、新しい雑貨屋さんがあれば入ったり、ついでにと要件を思い出したユイが思ったまま口にしてみれば、それが売っているおもちゃ屋に入り――何だかんだと、もうこんな夕方に近い時間になってしまっていた。
その間、何度「ルキノの職場はどこなの?」と訊いても、適当にはぐらかされるばかり。
ユイが買ったその大きな荷物は、背がユイより低いにも関わらず、彼が空いている手で抱えて持ってくれている。
「てかさ、ユイさん。俺、質問があるんだけど」
「何よ?」
「俺の名前、知ってる?」
訊かれて、ユイはピタリと足を止めた。
そのため病院で手を掴まれて以来、何だかんだと当たり前のようにその手を離さないクラスメイトの男子も足を止める。
ユイは彼の顔を、ジーッと見た。
どちらかと言えばのっぺりとした顔。だけど、オレンジ色の頭は一生懸命何かをアピールするかのように元気に逆立っていた。一時、この鶏冠頭がマシになっていたような気もするが、いつの間にか色も変え、再び生やしたようだ。いったいセットするのにどれだけの時間がかかるのだろうか定かではないが、正直あまりこの派手な髪形が似合っていない。
――無駄な努力ね。
そう思うものの、さすがのユイも可哀想なので口には出すのはやめておく。
背はユイよりも低く、体格も細め。タンクトップやTシャツを重ねて着ており、腰にもカラフルなシャツを巻いており、雑誌から飛び出たようなオシャレな恰好をしていた。
――でも、私の好みじゃないけれど。
同じクラスなのだから、年齢も同じはず。そんな彼が、赤らめた顔を背ける。
「ちょっ……そんなに見られたら、さすがに恥ずかしいんすけど」
「あ……うん。ごめんなさい……」
そんなことを言われたら、ユイも思わず顔を背けるしかない。
そして、違和感を覚える。
――恥ずかしそうに顔を背けられたことって、今までにあったかしら?
他人だったら、おそらく嫌そうに顔をしかめてくる。
メグだったら、おそらくニコリと微笑んでくる。
タカバだったら、おそらく睨んでくる。
ナナシだったら、おそらく無表情のまま。
ルキノだったら、甘い笑みを浮かべて一言余計なことを言ってくるだろう。
そんな今までにない反応にユイが戸惑っていると、彼はユイのことをチラチラと見ながら言葉を続けた。
「まぁ、見たいんだったらいくらでも見ていいっすけど……んで俺の名前、思い出したんすか?」
「タカバと一緒によく苛めてくる人。あの時の下手な寸劇は、今でもよく覚えているわ」
「あー……ユイさんがルキノに告った時のっすか? 俺、ユイさんの役上手かったっしょ?」
「いや、全然。本気で殺してやりたいと思ったわ」
「ユイさんほんと容赦ねぇっすねー」
そう彼は笑って、テクテクとまた足を動かし始めた。
やっぱり手を離してくれない。手を振りほどこうにも、小柄な少年はユイよりも力が強く、思うように振りほどけないのだ。
――あからさまに拒否するのも、なんだか幼稚だし……。
彼が自然に手を繋いでいるから、一人騒ぐのも気が引ける。だからユイもこのまま歩くしかない。
ユイは今日何回も訊いている質問を繰り返す。
「ねぇ、ルキノの職場ってどこなの?」
空いた手には、青い花束を持ったままだった。置いてくるにもタイミングが掴めなかったのだ。
だから顔にかかる髪を払いたくても、それすらままならない。
「もうこの時間だから暴露しちゃいますけど、本当は俺も、夜からのバイト先しか分かんないんすよねー」
「はぁ⁉ だったら今歩いているのは何なわけ? そんな遠いの?」
「今はデートしてるんすよ」
振り向いてくる彼が笑う。犬歯が人より少し大きいのか、余計に無邪気な笑みだった。
「私服のユイさんが可愛かったから、二人で過ごしてみたいなー思ったんすけど……ダメでしたかね?」
直球な台詞に、ユイは再び視線を逸らす。そして返す言葉は、自覚するくらいに論点がずれていた。
「てか……なんであんた敬語なのよ。私たち、クラスメイトでしょ」
「デートの相手に払う、ちょっとした敬意っすよ。これから俺の名前覚えてもらわなきゃいけないしね」
そういう彼は「クラスメイトの名前くらい覚えてるのが普通だけど」と付け足して、ユイに顔を近づけてきた。
まっすぐにユイの黒い目を見つめてくる彼は、決して顔のどこかが触れる距離ではなく、息がかかる距離でもない。だけど自分を指差す少年の笑みが、ユイには新鮮で強烈だった。
「ヒ・イ・ロ! タカバと仲良くって、ルキノのルームメイトのヒイロ。ユイさんにしてみたら、その他大勢だったかもしれないけど、今日からはそれで済ませないつもりだから、覚悟しろよ?」
そう言うと、彼は自分の言ったことが恥ずかしかったのか、また顔を背けた。耳が夕焼けよりも赤い。
そして腕時計を見ては、「まだ時間ありそうっすね」と言って、ようやくユイの手を離し、
「ユイさん、アイスは好きっすか? 俺買ってくるっすよ!」
言うよりも速く、彼はユイの大きな荷物を抱えたまま近くの露店へ走っていってしまって。
「ななな……何なのよ、あれ……」
ユイはヨレヨレと後退り、近くにあったベンチに尻餅を付くように腰かける。
何かが違う。いつもと違う。
甘い台詞は、いつもルキノから息を吐くレベルの頻度で言われている。
手を握られる感触も、顔にかかる吐息も、ルキノの方が断然甘く、クラクラするレベルだ。
だけど違う。
ルキノのように完璧な見た目でないからか。
ルキノのような余裕さも感じられないからか。
ルキノのように慣れているわけではないからか。
「もう、私何してんのよ……」
ユイは頭を抱えるしかなかった。結局比べる相手が彼しかいないことにも辟易する。
ヒイロが路面店でアイスを二つ買っていた。ダブルの比較的シンプルなペアと、やたら奇抜なペアのアイス。奢られるのも癪なので財布を準備しようとするものの、ふと青い花束が邪魔なことに気が付く。
可愛げのないシンプルな花。名前も知らない。もちろん花言葉も知らない。ただ、なるべくシンプルで地味なものを選んだだけ。
そんな女に、器用にアイスを二つ持ってニカッと笑いかけてくる男が、今ユイの目の前にいるのだ。
「ユイさん、適当に選んでみたんだけど、どっちがいいっすか?」
「……ストロベリーとグリーンティーの方で」
「あ、シンプルなのが好きなんすね。了解っす」
差し出されるアイスを受け取ろうとした時に、ヒイロは言った。
「もちろん俺の奢りっすから。財布しまってから食べてくださいね」
ユイが半眼で見上げても、ヒイロは笑みを崩さない。
――私、デートなんて嫌い……。
ユイは深々とため息を吐いた。




