子供を天使と呼べるのはその本性を知らないからだ
◆ ◆ ◆
子供は天使である。
誰かがそう言っていたのを聞いたことがあるが、ルキノは一回もそう思ったことがなかった。
「ルキノ君、いつもありがとねぇ。本当いてくれると助かるわぁ」
「保育士さんに褒めてもらうなんて、鼻が高いですよ!」
「まぁ、うまいこと言ってくれちゃって!」
この保育所の職員に肩を押されるものの、全力で体当たりしてくる子供に比べたら、痛くも痒くもない。そもそも多少痛かろうとも、我慢をする価値はある。
――高給取りに媚び売っておくと、後でいいことがあるかもしれないからな。
保育所の需要は高い。
この男女平等に働かねば生きていけない物価の高い時代。だからといって子供がいなくなれば、人類に待つのは滅亡だけ。
そのことに政府が気が付いたのは、なぜか比較的最近のことらしい。だがその結果、かつては低賃金の代表だった保育士という仕事の地位が上がり、同時に給金が急上昇したのだ。
その仕事を、ルキノが選ばない理由がない。
たとえボロボロのルキノの身体に、子供が三人ぶら下がっていたとしても。
「おにーちゃん、どーして腕がぐるぐる巻きなのー?」
「ん? それはね、怪我をしてしまったからさ」
――だから、さっさと下りやがれ!
温かな雰囲気の木目の広間には、所狭しとおもちゃが散乱していた。学園に通うにはまだ早い少年少女たちが、賑やかに好き勝手遊んでいる。
その中で、首を傾げてくる少女を左手で抱えながら、ルキノは笑顔を作っていた。
肩の上にも一人。足元にはまた他のが一人。
さらに別の少年がギブスをはめている右手に向かってブロックを投げて来ても、その笑顔は崩さない。
腕の上の少女は再び訊いてくる。
「どうして今日はお帽子かぶってるのー?」
少女がルキノの帽子を取ろうと手を上げる直前で、ルキノは慌ててその少女を降ろす。
すると、少女はプックリとした唇を尖らせた。
「やーっ! なんでおろすのー⁉」
開いた手で飛んでくるブロックを受けつつ、ルキノはその少女に向かって甘い笑みを見せる。
「手が早い女はモテないよ?」
その間も、ブロックはどんどん、どんどん飛んで来た。受けたそれを足元に落とし、また受ける。一人が投げているなら対応しきれるが、それが三人、五人と増えてくるとさすがに片手では限度がある。しかも、他の子供に当たらないように配慮するとなると至難の業だ。
その中で容赦なく三角帯で吊るしている右腕を照準とされ――ルキノは激痛を笑顔で誤魔化すしかない。
――クソガキが……。
ルキノは足元に纏わりつく子供を少し離し、転がっているカラフルな弾力性の高いボールを蹴り上げた。
そのボールは子供たちの間をすり抜け、壁に当たる。そして破裂。
静まり返る空間でも、やっぱりルキノは笑顔を崩さなかった。
「人に物を投げてはいけません……分かったかな?」
冷ややかなルキノの言葉に、頷かない子供はいない。
その単純な子供たちにバレないようにヒッソリとため息を吐いて、転がるボールを今度は優しく、子供たちが取れるか取れないかの加減で蹴ると、やんちゃな子供はすぐにそれにじゃれてくる。
その光景に、ルキノ少しだけ頬を緩めた。
――単純な所は可愛いんだけどね。
天使とは呼べないが、嫌いではない。
もうじき空がオレンジに染まり、仕事や遊びを終えた母親たちが迎えにくる時間だった。時に悪魔な子供との別れは、せいせいするけど名残り惜しい。そんな感傷に浸る時刻。
だが、そんな情緒がガラガラと音を立てて崩れるのは一瞬だった。
「おぉー? ルキノじゃねェーか!」
馬鹿みたいに大きな声で呼ばれ、ルキノは思わず振り向く。
ルキノよりも一回り大きい同級生が、おかっぱ頭の少女を片手で持ち上げていた。もう一方の手にはスーパーの大きな袋を持っている。
ラフなパーカーとジーンズにエプロンを付けた所帯じみた格好が、やけに似合っていた。
「……タカバ?」
「なんだよ! 一週間会ってねェくれェーで、オレの顔忘れたとは言わせねェーぞ?」
久々の再会を喜ぶように、タカバがニカッと笑いかけてくる。
しかし、ルキノの笑みはこわばっていた。
「そういえば、退院したんだっけね……病み上がりが、こんな所でどうしたんだい?」
「どーしたもこーしたも、妹を迎えにきたんだよ。療養中は実家の世話になることにしたからリハビリついでにな。なんか問題あるか?」
「いや、別に……」
タカバの抱えられた少女が、不愛想ながらもペコリと頭を下げる。艶やかな緑の髪には、天使の輪がきっかり浮かんでいた。
「えーと……マールちゃん、だよね」
「おーよ。マルはウチの紅一点なんだぜ。可愛いだろォ?」
「はは……そうだね……」
――紅一点?
少しの違和感を覚えつつも、ルキノはそれを軽く流して、この場から離れようとする。
どうやら、いつもは寮暮らしのため家の手伝いをしていなかったものの、休学する間は話が別らしい。知り合いの兄弟が在籍しているかどうかの確認を怠っていたルキノにも非があるが、それにしてもタイミングが悪すぎた。普段ならボランティアとか社会経験の一環としてなどと誤魔化しようもあるが、この見るからに満身創痍な状態でバイトをする適切な理由が、「金がないから」以外に思い浮かばない。
そもそも金銭のためにバイトをしているなどと誰にも知られたくないし、話を広められるなんてもっての外だ。これでも学園の王子様なのだ。貧乏な王子様なんて、格好悪いにも程がある。完璧優等生な自分に、苦学生という肩書は不要なのだ。
「じゃあ、僕はまだ仕事があるから……」
「オメェこそ、こんな所で何してんの? てか、入院してたんじゃねェーのかよ?」
追及され、ルキノの顔がますますこわばる。
「はは……君こそ怪我の具合はどうなんだい?」
「オレは一週間も寝っぱなしで、体がなまっているくらいだけどよォ……テメェは重症だって聞いたぞ?」
「ははは……なんかまた、間違った噂でも流れてるだけじゃないかな? 僕も今日退院して、リハビリ代わりにボランティアをしていただけだよ」
「でも、その腕――」
タカバが荷物を置いて、ルキノの吊るしている腕に手を伸ばす。
その時だ。
「あら、マルちゃんのお迎えきたのねー? じゃあルキノ君、今日はもう上がっちゃっていいわよ! この後、マルちゃんとこで働くんでしょー?」
奥で作業をしていた園長が、そう声をかけてくる。それに、タカバの手が引っ込んだ。
「なんだよ? 新しく入るバイトって、テメェなのかよ?」
「はははは……実習の時、タカバが止めてくれなかったら、僕危なかったようだしね。ちょっとした恩返しをと思ってさ」
ルキノの乾いた笑みは、当分収まりそうにない。
だけどタカバのエプロン姿を見て、一つだけ安心したことがあった
――ユイのデート相手は、タカバじゃなかったんだな。
でも、だとすればユイは誰とデートをしているのか。
誰のために、クリーニング屋の店長に「可愛いね」と言われるような格好をしていたのか。
――僕の見舞いに来るため……なんて、都合の良いことはないよな?
「オイ、テメェ何笑ってんだ?」
「え?」
タカバに半眼を向けられ、ルキノは顔を上げる。そして、改めていつもの笑みを浮かべた。
「君には関係のないことだよ」
「ケッ、気持ちわりィ――ほら、ウチ来るならとっとと行くぞ! 嫌ってほどこき使ってやるから、覚悟しとけよ‼」
タカバはルキノの全身を確認してから、苦笑交じりにそう吐き捨てた。




